バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十四章
自己保身
10



 涼子は、その席へ向かって、足を踏み出した。滝沢秋菜の席は、わかっている。心の中の念仏の声が、ひときわ大きくなる。ごめん、ごめん、滝沢さん……。守ってあげられないばかりか、あなたのものを盗んじゃって……。ごめん、許して。ごめん、本当にごめんね……。ごめん……。
 そして、それと同じくらいに呪詛の声が膨れ上がった。あいつら……、絶対に許さない。吉永、竹内、石野。あの三人は、一生許さない。わたし、こんな人間じゃないに……。こんなこと、やらせて。いつか、思いっきり殴りつけてやる……。
 
 机の横に置かれた彼女のバッグの、チャックを開ける。教科書やノート、ポーチ、携帯電話などと一緒に、それは本当にあった。一目でわかった。黄色い封筒を手に取る。その中から、ビニールに入った写真を取り出す。香織の言葉どおり、写真は十枚以上ある。
 ざっと見てみると、四人の友達と、どこかのレジャー施設に遊びに行った時のものらしかった。ジェットコースターや観覧車、クレープ屋などが背景に写っている。写真の中の滝沢秋菜は、学校の時と変わらない髪型で、青いロングカーディガンに、タイトなクリーム色のパンツという格好だった。高校生というより、もう女子大生のような雰囲気だ。全員、この高校の生徒らしく、中には、涼子が一、二年の時に同じクラスだった子もいる。こうして見ると、わりと派手なグループで、もちろん、彼女もそこに溶け込んでおり、ルックスからすると、むしろ、その中でも目立つほうだった。学業優秀な彼女だが、勉強ばかりしているわけではなく、それなりに青春を謳歌しているらしいことが窺える。
 
 選ぶ写真は、彼女の姿が大きく写っているものは避け、だからといって、小さすぎても、香織を怒らせることになる。そんな基準で、最終的に一枚を選んだ。屋外レストランのような場所で、全員が揃ってテーブルに着いている写真。彼女は、隣の友達に肩をもたせかけ、少しいたずらっぽく微笑んで、Vサインをしている。
 こんな楽しそうな思い出の写真を、自分は盗むのだ。申し訳ない、後ろめたい、という気持ちで、その写真を見つめていると、そこに写る彼女の涼しげな眼差しが、なんとなく、冷ややかに自分を見ているような気すらしてくる。まるで、涼子の行為を軽蔑するかのように……。涼子は、背筋が薄ら寒くなる思いがした。
 しかし、涼子は思い止まれなかった。入っていたビニールに、その写真は戻さない。それ以外の写真をビニールにしまい、黄色い封筒に入れる。そして、黄色い封筒を彼女のバッグに戻し、チャックを閉めた。
 
 とうとうやってしまった……。涼子は、選んだ写真を手に持ち、Vサインをしている彼女に向かって謝った。ごめんなさい、滝沢さん……。
 こんなことをした自分が、彼女の身を案じる資格は、ないとわかっている。しかし、それでも、祈らずにはいられない。どうか、滝沢さんが、あの三人から、ひどい目に遭わされませんように……。あの子には、助かってほしい……。
 だが、本当にそうだろうか。
 はっとして、涼子は顔を上げた。
 本当に、わたしは、あの子に助かってほしいと願っているのか……。
 さっきトイレで、香織が、滝沢秋菜について話し始めた時のことを思い出す。たしか、香織は、こんなふうに言った。
『今、あたしたち、滝沢さんに、目、付けてるんだよね』
 その言葉を聞いた直後、自分は、何を思ったか。どんな感情を胸に抱いたか。
 クラスメイトである彼女への心配。彼女に何をするつもりなのかという不安。そして、彼女を守らなくてはという使命感……。そういったものが、心の中を占めていたはずだ。
 けれども、それらと相反するような感情も、同時に生まれていたのではないだろうか。
 一言で表すのなら、きっとそれは、微かな、期待……。
 あの時、頭の片隅では、冷静に、冷酷に、計算をしていた自分が……。
 もし、彼女が、自分と『同じところ』にまで落ちてきてくれたら……。つまり、彼女も、自分のように、香織たちの慰み者に成り果てたとしたら。そうなったら、あの、涼子の汚辱がこびりついた体操着や、その瞬間を写した写真の存在が、涼子にとって、それほどの脅威ではなくなってくる。たとえ、彼女の手元にそれらが送られるのだとしても、そのことは、涼子の命取りには、ならなくなるはずだ。なぜなら、彼女だって、涼子と同じ立場なのだから。涼子の事情を、わかってくれるだろう。
 一番の問題は、一段高いところから彼女に見下され、軽蔑され、嫌悪されるという状況なのだ。その立ち位置の『落差』が消えるということ。つまり、それは、滝沢秋菜という涼子の最大の弱点が、弱点ではなくなることを意味している。
 利点は、それだけではない。もしかすると、香織たちの標的となった者同士、彼女と共闘できるかもしれない。頭のいい彼女と知恵を出し合えば、香織たちの呪縛を破る方法だって、見つかる可能性も出てくる。
 もう、高校を卒業するまでは、この地獄から抜け出せないと思っていた。しかし、そこに、一筋の光明が差したような……。
 
 涼子は、ぞっとした。いくら自分の身が大事だからといって、そんな、クラスメイトの不幸を望むような考えを、頭の片隅で巡らせる自分が、いたなんて……。なんだか、自分は、転がり落ちるように、卑しい人間になっていっている気がする。
 真っ直ぐな性格。間違ったことだけはしたくないという信念。バレー部のキャプテンとしての誇り。そういったものは、しょせん、これまで自分が、恵まれた環境の中で生きてこられたからこそ、育まれていたに過ぎないというのか。本当は、わたしって、こんなに弱かったんだ……。
 心の中の暗い部分には、自己保身に染まった自分が、うずくまっているのを感じる。その自分は、病的に青ざめた顔をし、血走った目を見開いている。今や、その存在が、どんどん心の前面に出始めていた。
 
 抜き取った写真を手に、涼子は、教室の後ろの並んだロッカーへ向かった。自分のロッカーの戸を開け、念のため、中にある教科書に写真を挟んだ。戸を閉め、溜め息をつく。
 涼子の脳裏で、身の毛のよだつようなイメージが動きだしていた。
 地面に空いた穴のような場所に、涼子が落ちている。涼子は、一糸まとわぬ姿で、性的な部分を隠すように、体を丸めている。不気味なのは、涼子の顔が、亡霊のように青白いことだ。そして、地上から、セーラー服姿の香織たち三人が、穴に落ちた涼子を見て、にたにたと笑っている。
 と、そこに、同じくセーラー服を着た滝沢秋菜が、ふらりとやって来た。秋菜は、穴の縁に立ち、涼子の姿を認めると、口もとを手で覆い、好奇とも同情とも取れるような眼差しを向ける。
 その時だった。全裸の涼子は、突然、飛び上がったかと思うと、地上にいる滝沢秋菜の脚をつかんだのだった。秋菜は、驚愕の悲鳴を発する。涼子の手で、引きずり落とされそうになった秋菜だが、なんとか穴の縁に手を掛けた。落ちまいと懸命に堪える秋菜と、その脚にぶら下がった涼子。
 秋菜は、片方の脚で、涼子の顔面を激しく蹴りつけた。
『離してよ! なんで、わたしを道連れにしようとすんのよ! わたしは、あんたとは違うんだから!』
 しかし、青白い顔をした涼子は、死にもの狂いで秋菜の脚に食らいついている。
『あなたも、わたしのところまで落ちてきてよお! そうじゃないと、わたし、助からないのよお!』
 ほどなく、穴の縁から秋菜の手は離れ、二人は下に落ちた。
 その後、涼子は、倒れ込んだ秋菜ににじり寄り、両手を地についた。
『お願い! 服を脱いで! あなたも、わたしと同じ格好になって!』
 憤慨した秋菜は、思いつく限りの罵倒を涼子に浴びせる。
 すると、目の血走った涼子は、ぼそりと言うのだった。
『どうしても嫌だって言うなら、力ずくでも……』
 涼子は、取り憑かれたような形相で、秋菜に襲いかかった。秋菜の金切り声の絶叫が、穴の中に響き渡る。
 地上では、それを見物している香織たち三人が、指を差したり、腹を抱えたりして、大笑いしている……。
 
 そのおぞましいイメージを、涼子は慌てて打ち消した。全身が総毛立っているのを感じた。
 もうすぐ、五時限目の開始の鐘が鳴る。
 薄暗い教室で、涼子は、ロッカーにもたれて小さく呟いた。ごめんなさい、滝沢さん……。



第十五章へ

登場人物・目次
小説タイトル一覧
メニュー
トップページ

PC用のページはこちら

Copyright (C) since 2008 同性残酷記 All Rights Reserved.