バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十六章
二年前
10



 つと、秋菜は、香織に向き直って言う。
「あっ、そうだ……。結局、どこまで脅したら、南さん、わたしの写真を盗んでくることを、決めたの?」
 秋菜の写真を、涼子に盗んで来させるということ。あれは、なにも、秋菜の写っている写真を、香織たちが必要としていたわけではない。涼子に、『盗ませること自体に』意味があったのだ。秋菜が言うには、自分の身を守るために、他人を裏切るような行為に走るのは、人間として、もっとも恥ずべきことらしい。そして、それを、あの、正義感や責任感を絵に描いたような、南涼子にやらせたい、と秋菜は強く望んだ。むろん、その写真は、秋菜が、わざとバッグの中に入れておいたのだ。
 そして、今日の昼休みの時間、ひと気のないトイレで、涼子に対して、一種の『テスト』を行った。香織たちは、涼子に写真を盗ませるため、『段階的に』脅迫した。第一段階は、検尿。第二段階は、検尿プラス、ギョウ虫検査。最終段階は、汚れた秋菜の体操着と、その犯人が涼子であることを示す写真の、二つのセットを、秋菜本人に送りつけるというものだった。要するに、軽い段階で心が折れ、盗みを引き受けるほど、涼子は、人間として卑しいという評価となる。
 香織は、その時のことを思い返しながら、少し逡巡していた。涼子は、最終段階まで、盗みを拒絶したのだ。香織にとって、それは、面白味のない結果だった。秋菜も、同様に感じるはずだ。
 だったら……。
「ああ、それねえ……。写真、盗んでこなかったら、放課後、トイレで、また、服、脱がすよって、かるーく脅した程度で、あの子、あっけなく、『わかった、盗んでくる』って、言ったよ。盗んでくるから、もう、ひどいことは、やめて……、みたいに」
 香織は、嘘を口にした。事実を話しては、興ざめだと思ったのだ。それに、秋菜は、涼子への脅しについては、最終段階の内容しか知らないので、検尿だのギョウ虫検査だのと、悪趣味な発想で脅迫をしたことは、なんとなく話すのが憚られた。
「ええ……? それ、本当?」
 秋菜の眼差しに、懐疑的な光がある。あの南涼子が、そんなに弱いはずはないんだけど、と疑っているのだろう。
 ここは、勢いで押し通そう、と香織は決めた。
「うん、ホント。あの子、もう、自分のことしか、考えてない感じで……、だから……」
「吉永さん。それ、本当……?」
 秋菜は、香織の言葉をさえぎり、もう一度、静かに言った。
 香織の勢いは、急停止してしまった。なんだか、冷徹な大人のお姉さんを相手にしているような気がしてくる。
「あっ……、あれっ、ちょっと違ったかな……」
 香織は、へどもどしながら、今一度、ちゃんと思い返すフリをした。なによ、白けさせないでよ……。
「そうだ、最後の段階まで、行ったんだった。南さんのまん汁で汚れた、滝沢さんのシャツと、南さんが、それをやってる決定的瞬間を写した写真の、二つを、滝沢さんに送りつけるっていう、脅迫まで」
 香織は、ばつが悪くなった。
「うーん、やっぱりそうか……。そうだよねえ。南さん、正義感の強い人だもんねえ。精神的にもタフそうだし。ちょっとやそっとの脅しじゃあ、悪事に手を染めるようなことは、しないだろうねえ」
 秋菜は、ようやく納得したように、また、やや残念そうに、そう言った。最後の『切り札』を使えば、涼子といえども、盗みを引き受けざるをえないだろうことは、香織も秋菜も、予想が付いていたのだ。むしろ、涼子のような真面目な生徒だからこそ、最終段階の脅迫内容は、脅威だったに違いない。最悪の場合、高校生活が破滅するという事態が、涼子の頭には、浮かんでいたはずだから。
 
 香織は、舌打ちしたい思いだった。これではまるで、秋菜の中で、涼子の好感度が上がり、逆に、香織の信用度が落ちてしまったみたいではないか。なんとかして、涼子の名誉を貶めなくてはならない。そうすることが、自分の名誉回復にもつながる。このままでは、気が済まない。
 と、そこで、香織の脳裏に、ある一場面が浮かび上がった。そうだ……!
「あっ、でもでもでも……、あいつ、すごい気持ち悪かったんだよ」
 香織は、反転攻勢に出るような意気込みだった。
 秋菜は、ぼんやりと小首を傾げている。
「あたしがさ、『今、あたしたち、滝沢さんに、目、付けてるんだよね』って言った瞬間……、あいつ、なんか、ちょっと期待するように、ほっぺたが、かすかに緩んだの……。これは、助かるチャンスかも、みたいに、計算してる顔だった。あたし、それ、見逃さなかったもん」
 これは嘘ではない。少なくとも、香織の目にはそう映った。あの時、香織は、涼子の内面のさざ波を読み取るがごとく、その表情や仕草に、神経を集中していたのだ。
「それ、ほんとーう!?」
 一転、秋菜は、興奮した声を上げた。今度は、疑わしげな表情などではなく、きらきらと目を輝かせている。
「ホントホント。そうだ、あとさ、あと……、滝沢さんに、メッセージ届けるっていう時だって、あいつ、『そんなの、滝沢さんの机に、勝手に入れておけばいいじゃん』とか言い出したし。あいつ、もう、自分が助かることしか、考えてないの。滝沢さんのことなんて、全然心配してないの」
 香織も興奮して、唾を飛ばしそうな勢いで喋った。
「うっそーん……。なーんだ、南さんも、その程度かあ。そこらの子と、たいして変わらないんだあ……。それじゃあ……、わたしが、また、仲間と思わせるような芝居を打ってやれば、案外、ものすごい醜態、さらしてくれるかも」
 秋菜は、うっとりとした三白眼の目つきで、なにやら想像を巡らしていた。
 
 これで自分の名誉は、挽回できたという感じがする。香織は、得意な気分になっていた。
「もう、あいつ、人のものを盗んだから、窃盗で、立派な犯罪者だよね。しかも、このメッセージ、視聴覚室で発見したとか、滝沢さんに嘘ついて、渡すことまでしたし。こんなものを受け取る、滝沢さんの気持ちとかは、まったく考えずに」
 秋菜へのメッセージ。それも、秋菜に対しては、なんの意味も持っていなかった。メッセージの目的は、『涼子の手で、それを渡させること自体に』あったのだ。まず、秋菜に嘘をつかなければならないので、また一つ、涼子の罪が増えることになる。そして何より、苦手意識のある相手に、自分の顔はくり抜かれているとはいえ、全裸の写真を見せなければならないという、そのじりじりとした屈辱感を味わわせるためだった。最後、秋菜の発言で、真っ赤になった涼子の顔は、傑作だった。
 ふと、香織は、本質的なことを尋ねた。
「ねえ。南さんは、滝沢さんに、苦手意識があるわけだから……、苦手な子の見てる前で、ブラもパンツも脱がされるって、すごい屈辱じゃない?」
 まさに、その点こそ、秋菜を仲間に加えたポイントなのだ。本人である秋菜の意見も、ここで聞いてみたいと思った。
 秋菜は、はにかむように唇を曲げ、やや思案してから、答えた。
「うん、それはもう、間違いなく……」
 香織と秋菜は、互いの目を見て、含み笑いをこぼした。
 秋菜は、自分が涼子の脅威となっていることが、この上もなく嬉しい様子で、言い始める。
「わたし、南さんのこと、問い詰めるつもりなの。『どうして、わたしの写真、盗んだの?』って。徹底的に責める。謝ったくらいじゃ、許さない」
「そうだよね。滝沢さんは、写真を盗まれた被害者だもんね……。怒る権利があるよ。今度ばかりは、悪いのは、全部あいつだから」
 あの真っ直ぐな性格の涼子が、秋菜に対し、どう言い訳をするのかが、愉しみだった。
「吉永さん。人間にとってね、自分を守るために、ほかの人を、あしげにするような真似をしたってことを、人から責められるっていうのは、すぅーんっごく、惨めなことなの。それも、自分だけ、服を脱がされてるなんていう状況だったら、もう、頭がおかしくなっちゃう」
 秋菜は、両手の拳を握り、天にも昇るような仕草を見せていた。
「うんうん。……だろうね」
 頭のいい子は、やはり、考えることが少し違うなと思いながら、香織は相づちを打った。つまり、涼子には、二重三重の地獄が襲いかかるわけだ。
「それでね、人間ってさ、自分が、惨めすぎる時って、なんか、脳の、大脳皮質とか、そのあたりが、異常を起こして、その影響が、表にも出てくるみたいなのね……。そうすると……」
 秋菜は、一オクターブ声を低くし、うなり声のようなものを出した。
「うーうーうっうー……、みたいな、変な声を出し始めるらしいよ」
 そして、秋菜は、にっこりと微笑んで付け加えた。
「南さんが、そんなふうになるところ、見てみたくない?」
 その言葉に、さすがの香織も、背筋が薄ら寒くなった。



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