バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十八章
醜い心
8



 最初のサーブ権は、三年生にあった。
 一番手にサーブを打つ選手が、すでに、その位置に付いている。
「ナイッサー、イッポン! 入れてけ、入れてけ、ナイッサー、イッポンッ!」
 三年生を応援する側の一年生たちが、コートを盛り上げる。
 笛が鳴らされた。
 ジャンプサーブで放たれたボールが、ネットを超えていく。
 その瞬間、涼子は、Tシャツから両手を放していた。なにやってんだろう、わたし……。そう疑問に感じながらも、相手とボールの動きに、意識を傾ける。スパイクを打とうとする相手の正面に移動し、伸び上がるように跳躍する。
 時間と空間が、ぐにゃりと歪んだ気がした。
 ボールは、勢いよく涼子の手の平に当たって、相手コートに落ちた。ブロック成功。着地と同時に、Tシャツの前すそを、さっと両手で下に引っ張る。
「ナイスブロック、ミナミ! ナイスブロック、ミナミ!」
 一年生たちのかけ声が上がる。だが、何人かが声を出していないのか、なんとなく、いつもより弱い響きに聞こえるような……。
 毛、見えてなかったよね……?
 得点が入ったことで、コート内の三年生のメンバーが、ハイタッチをするために、真ん中に集まっていく。
 しかし、涼子だけは、その輪に加われなかった。仲間たちの至近距離で、両手を上げるなど、とても無理な話だった。それに、たった今、コート内のメンバーにも、陰毛を見られたかと思うと、怖ろしくて、そちらに顔を向けられない。
 チームの結束を乱すような涼子の態度に対し、五人は、強い不快感を抱いていることだろう。いや、もしかすると、ある者は、我が目を疑うような思いで、涼子のおしりの下の部分を、じいっと凝視しているかもしれない。ハイタッチを終えた五人が、それぞれのコートポジションに戻っていく。
 
 涼子は、必死に自分を励ましていた。
 だいじょうぶ、だいじょうぶ。誰も、気づいてない。わたし、すごい速く動いてたんだから……。
 最初に異変を示したのは、フロアの出入り口のところで並んでいる、制服姿の後輩たちだった。こちらを見ながら、何事かささやき合っている姿が、横目に映る。
 えっ。なに……? まさか……。
 彼女たちの声は、ほとんど聞き取れないが、耳に神経を集中していると……。
「……ケ」
 その音が耳に入った瞬間、涼子は、全身が引きつるほど震かんした。
 毛。聞こえた。毛って……。やだっ、見られてた。見られてたんだ……。やっぱり、みんなに、気づかれないはずがなかったんだ……。
 制服姿の後輩たちが目にしたとなると、当然、その隣に立っている秋菜にも、目撃されてしまった可能性が、極めて高い。たとえ、秋菜の目には留まっていなかったとしても、後輩たちのそんな話を、横で聞いたら、彼女は、次の回で、それを確かめようとするに決まっているのだ。
 滝沢さん……。
 もはや、秋菜のほうは、絶対に見られない。次、秋菜のあの冷ややかな眼差しと、目が合ったら、自分は、コート上で半狂乱になってしなってしまいそうだ。
 
 笛が鳴らされる。
 三年生側のサーブのボールが、相手コートに飛んでいく。
 涼子は、Tシャツから両手を放し、ネットぎわを横跳びするように動いた。
 その時だった。フロアの出入り口に並んでいる制服姿の後輩たちが、悲鳴のような声を発したのだ。南先輩の、そんな姿は、見たくなかった……、とでもいうように。
 確定した。見られてる。今、下の毛を、みんなに見られてるんだ……。
 絶望感に、意識が暗転しそうになる。だが、涼子は、自分の体に鞭打って、それでもプレーを続けた。ジャンプ。ブロック。左右への移動。
 三年生チームのセンター、高塚朋美のスパイクが、見事に決まった。
「ナイスキー、タカツカ、ナイスキー、タカツカ。タカツカのスパイクは、誰にも止められないっ……」
 一年生たちの声量は、明らかに小さかった。ゲームに対して、何か戸惑いを覚えているかのように。
 前回と同様、涼子を抜きに、五人が、ハイタッチを交わす。三年生側のコートには、なんとも言い様のない異様な空気が漂う。
 壁ぎわに並ぶ部員たちも、ざわめき始めていた。
 一、二年生たちから、涼子に向けられる、視線、視線、視線……。憧れだったキャプテンに対する幻滅、失望、といった感情が、早くも、少なくない後輩たちの顔に、表れてきているような。
 涼子は、Tシャツの前すそを下に引っ張りながら、誰とも目を合わさないよう、空中の一点に視線を固定していた。後輩の部員たちに、白い目で見られていると思うと、悲しくて悔しくて、胸が張り裂けそうだった。
 それに何より、真横に立っている秋菜の存在が、苛烈な重圧となって、心身にのしかかってくる。
 滝沢さんに、下の毛、見られちゃった……。どうしよう、わたし……。やばいやばいやばいやばいやばいやばい……。
 
 その時、部員たちと共に並んでいる明日香が、突き抜けるような声を発した。
「りょーちんっ! ぜんぜん、声が出てないぞっ! 声、出していこっ!」
 まるで、彼女ひとり、涼子の陰毛には気づいていないかのような言動である。
 誰よりも大きな声で、声出しをすること。体育倉庫の地下で、そう言い付けられていた。部員全員の前で、恥辱にまみれたうえ、この状況に黙って耐えることさえ、涼子は許されていない。要するに、明日香は、あらゆる要素を利用して、とことんまで涼子を追い詰めようとしているのだ。
 はらわたの煮えくり返る思いだったが、命令に背けない涼子は、あるかなきかの気力を振り絞って、声を吐き出した。
「サァックッラァーッ! もうイッポンッ、サーブ入れてっけぇー!」
 サーバーに声援を送ってから、今度は、一年生たちのほうに体を向ける。
「ほらほらぁっ! 一年生も、もっともっと、声、出してっ! 声が出ないならっ、ゲームが終わったあと、全員、ダッシュ二十本だからねっ!」
 痴態をさらしながら、後輩を怒鳴る自分の顔は、いったい、どんなふうに見られているだろうかと思う。
「……はぁーい」
 返事をする一年生たちの表情の、なんとも締まりのないこと。中には、薄笑いを隠すように、口もとを手で押さえる部員の姿まで、目に入った。
 わたし、馬鹿にされてる……。
 キャプテンとして、彼女たちの態度は、とても容認できるものではなかったが、今の自分が叱りつけたところで、説得力など皆無に決まっている。それより、ゲームに集中するべきだろう。大きな声で声出しをするだけではなく、この状況下でも、全身全霊でプレーし、三年生チームの勝利のために尽くさなくてはならない。二年生に、一セットでも取られたら、明日の練習も、この格好で行わされる羽目になるのだから。



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