バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十八章
醜い心
9



 三年生側のサーブのボールが、相手コートに飛んでいく。
 涼子は、Tシャツから両手を放した。
 見ないで、みんな、見ないで、みんな……。わたしの、へんなところ、見ないで……。心の中で、そう訴えながら、ネットぎわで脚を動かす。
 ラリーが繰り返される。
 コートの左へと移動する時、一瞬、秋菜のほうに、よそ見した。
 秋菜は……、涼子のことを、たしかに見ていた。しかし、目と目は合わなかった。なぜなら、秋菜の目線は、涼子の顔のずっと下方、ちょうど下腹部のあたりへと、真っ直ぐに向けられていたからだ。
 涼子は、恐怖の激流に、頭頂から魂が抜けていくような感覚を覚えた。
 見てる……! 滝沢さんが、わたしの股間を、すごい見てる……! もうだめっ……!
 二年生チームのライトアタッカー、斉藤加奈子が、強烈なスパイクを打ち込んできた。そのボールは、涼子のブロックのわきを抜けて、三年生側のコートに突き刺さった。
「ナイッスッキーッ! サイトォウッ! ナイッスキィーッ! サイトォウッ! サイトウのスパイクはっ、誰にも、止められないっ!」
 二年生側を応援する一年生たちが、沸き立って斉藤加奈子を称える。まるで、気持ちの悪い姿でプレーするキャプテンに対しては、敵がい心を抱き始めたかのように。
 涼子は、Tシャツの前すそを、股間に押しつけるようにして、腰をかがめていた。ぜえぜえと荒い息を吐く。第一セットが始まったばかりだというのに、もう、息が切れていた。
 
 すると突然、後ろから、どすんと肩を組まれた。
 驚いて見やると、副キャプテンの高塚朋美だった。
「りょーこ、ちょっと……」
 朋美の表情には、ただならぬものがあった。
 そのまま、無理やり歩かされる。自分よりも背の高い朋美に、こんなふうにされると、かなりの威圧感を感じる。
 涼子と朋美は、コートラインの外に出た。
 ゲームが、一時中断される。
 フロア内のバレー部員、全員が、すっかり押し黙って、二人のことを目で追っていた。
 二人の立ち止まった場所は、フロアの出入り口のすぐ近くだった。
 朋美は、腕をどけて言った。
「ねえ、なんのつもり?」
 この静まり返った状況では、そばにいる制服姿の後輩たちや秋菜はむろんのこと、多くの部員に聞こえているだろう。
 朋美の言葉の意味は、もちろん、わかっていた。けれど……。
「えっ? なにがっ?」
 涼子は、精一杯、とぼけてみせた。
 朋美は、こめかみに青筋を立てているかのようだった。
 言わないでっ。言わないでっ……。
「あんた、下、思いっ切り、毛がはみ出てんの、自分でわかってんでしょう!?」
 激昂した朋美の声が、静寂に響いた。
 ぷっつんと、頭の中で糸が切れた。バレー部のフロアで、時間が止まった。
 やだっ、やめてよ……。
 自分にだけ、この世の終焉が訪れたような心地だった。
 部員たちが、かたずを呑むようにして、涼子の返事を待っている。
 当然、今の朋美の発言は、秋菜にも聞かれている。
 出入り口のほうには、絶対に顔を向けられないが、そちらから伝わってくる気配で、おおよそのことは見当が付く。制服姿の後輩たちは、嫌悪に満ちた眼差しで、涼子の姿を見すえている。そして、彼女たちの隣、秋菜の瞳には、涼子への冷たい怒りの炎が宿っていることだろう。
 考えろ、考えろ……。ここで自分は、どう対応するべきなのか……。
 涼子は、顔中の筋肉を使って、笑いの表情を作った。
「気にしないでっ!」
 その瞬間、朋美の目が、信じられないものを見るかのように見開かれた。
「さっ、朋美っ。ゲーム、ゲーム」
 唖然とする朋美を置いて、涼子は、コートに戻っていく。
 自分のコートポジション、フロントレフト(左前)の位置にふたたび立った。
 終わっちゃった……。わたしが、今まで、血と汗と涙を流して、必死に積み上げてきたものが、全部、壊れていっちゃった……。青春そのものの部活生活が、こんな悲惨な形で、幕を閉じるなんて……。
 胸の内から悲しみが噴き出てきて、ぽろぽろと涙がこぼれそうだった。
 
 審判役の部員は、ゲームの再開をためらうような素振りを見せつつも、笛を吹いた。
 二年生側のサーブのボールが、右後方に飛んでくる。
 その位置に構えていた選手が、しっかりとレシーブする。トスが上がる。涼子の上空へと。
 涼子は、悲しみを振り切ってジャンプし、ありったけの力でボールを叩き落とした。たしかな手応えだった。
 スパイクのボールは、二年生の選手の腕に当たって、コート外に飛んでいった。
 しかし、もはや、大きなかけ声は響かなかった。
「南せんぱい、ナイスキー」
「ナイスキー」
 申し訳程度の声が、ちらほらと上がっただけだ。
 コート内の三年生の選手たちも、涼子には、ハイタッチどころか、どんな声もかけてはこなかった。
 おまえは、キャプテン失格だ。部員たちから、そう告げられているような気がしてくる。
 コートポジションが移動し、涼子は、フロントセンター(中央前)の位置に立つことになる。すでに、ブルマから陰毛がはみ出ていることは、バレー部のフロアにいる全員に気づかれている。けれども、いくらそうだとしても、開き直って、陰毛をさらしっぱなしにするわけにはいかない。次にサーブが放たれるまでは、自分の股間へと向かってくる視線を、Tシャツの前すそで遮断し続ける。
 足を止めていると、頭の中では、滝沢秋菜に対する恐怖が膨らむばかりだった。
 こわい……。滝沢さんが、こわい……。
 まるで、秋菜の心の声が、テレパシーみたいに、脳内にぎんぎんと響いてくるかのようだ。
 南さん。その毛……。やっぱり、あの写真の裸は、あなただったのね……。わたしの教科書、視聴覚室で発見した、とか言っちゃって。本当は、盗んだくせに。人の教科書に、自分の裸の写真を貼りつけて、それから返すなんてことして、なにがたのしいわけ……? この、変態、変態、変態、変態、変態、変態、変態、変態、変態、変態、変態……!
 この場で叫びだしてしまいそうなほど、秋菜が怖ろしく、歯がかちかちと鳴り始める。
 今、恐怖と恥辱に崩壊しそうな涼子の精神を支えているのは、あの滝沢秋菜だって、もう少しすれば、自分のところまで堕ちてくるのだから、怖がることなんてない、恥ずかしがることなんてない、という、人間として、醜くて浅ましい一念だった。



次へ

登場人物・目次
小説タイトル一覧
メニュー
トップページ

PC用のページはこちら

Copyright (C) since 2008 同性残酷記 All Rights Reserved.