バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十九章
しんしんと
1



 ひとりの時。
 たとえば、部屋のカーペットに寝転び、ぼーっと天井を眺めながら……。あるいは、学校からの帰り道、他校の女子高生たちとすれ違った後に、ふと……。学校内でも、周りに、誰も生徒がいなければ……。
 吉永香織は、しばしば、こう声に出していた。
「ミナミ・リョウコ……」
 もはや、その名前の響きからして、ダサい気がする。いかにも、不幸を背負って生きている女、という感じではないか。哀れな。
 
 このところ、どうしても錯覚しがちだった。あの、南涼子というクラスメイトは、もともと、あらゆる面において、レベルの低い人間だったのではないか、と。
 まず、頭が悪いように思えてならない。
 涼子は、香織たちに脅迫されると、それをはね返すことができずに、結局のところ完全服従する。つまり、恥にまみれた姿をさらす。毎回、毎回、その同じことを繰り返しているのだ。そうして回を重ねるごとに、どんどん泥沼の深みへと沈み込んでいく。香織にとっては、笑いの止まらない話である。しかし一方で、香織は、涼子のそんな間抜けぶりに、少々、失望感を覚えてもいた。南涼子って、この程度の女だったのか……、という思い。だから時には、涼子に向かって、本心から言ってやりたくなる。馬鹿だね。あたしたちのオモチャにならないように、もうちょっと、知恵を働かせたらどうなの?
 しかし、涼子は、決して頭の悪い人間ではないのだ。というより明らかに、優秀な頭脳の持ち主である。学年トップクラスに入るに違いない、高い学力。それに、勉強だけではない。クラス随一ともいえるコミュニケーション能力や、バレー部のキャプテンを務めるだけのリーダー性といったものも備えている。つまり、本当の意味で、知的能力に優れた生徒だということ。
 では、なぜ、その聡明なはずの涼子が、香織などに翻弄され続けているのか。
 答えは簡単だった。
 香織は、自分のオリから涼子を逃がさないように、幾重にも幾重にも柵(策)を張り巡らせている。そして、そのオリをさらに堅牢なものとするべく、毎夜、何時間も、思索にふけるような生活を送っている。そんな自分の異常性には、自嘲せざるを得ない。だが、芸術的なアイディアというのは、えてして狂気の世界に入り込んだ者にこそもたらされるものである。要するに、いくら涼子の頭脳が優秀だろうと、『常識的に』物事を考えている限り、異次元から降り注ぐ知略の前には、ただただ、愕然と立ち尽くすしかないのだ。
 そう。だから、涼子が、実は馬鹿な女だった、などという興ざめな結論に至ることはない。そのように考え、香織は、涼子に対する失望感を打ち消すのだった。
 
 しかし、涼子には、ほかにも残念な点があるのだ。
 これまでに幾度となく、涼子が、感情を爆発させるところを、目の当たりにしてきた。
 目尻をつり上げた憤怒の形相で、獣じみた怒号を浴びせてきたり。
「ふざけるのもぉぉぉっ、いい加減にしてよおぉぉぉっ!」
「あんたの頭の中はぁぁぁっ、どうなってんのよぉぉぉっ!」
 あるいは、頭を振り乱して、ヒステリックに絶叫したりと。
「もおぉぉぉぉうっ! いやぁぁぁぁぁっ!」
「わたしぃっ、バレー部の子たちの前で、恥かくくらいだったらぁっ、家に、帰るっ!」
 理性のかけらも感じられないような、見苦しい言動の数々である。涼子のそういった姿ばかり、脳裏に浮かべていると、どうも思ってしまうのだ。ひょっとすると、涼子は、もとから少々、情緒不安定なところのある人間だったのではないか……。もし、そうだとしたら、そんな女のことを、憧憬の眼差しで見ていた自分は、いったいなんだったのか……。
 けれども、どうだろう。
 三年に進級してから、この数ヶ月の間、クラスメイトである涼子のことを、様々な角度から事細かに観察してきた。そして自分は、南涼子という人間から、何を、もっとも強く感じていたか……。それは、心の健全性……。真っ直ぐで、伸びやかで、ゆとりがあって、常に晴れ晴れとしたオーラを発散させているような生徒だった。あの涼子に限って、病的な一面を持ち合わせているなどということは、絶対にあり得ない。そのことには、自信が持てる。
 では、なぜ、その健全なる精神の象徴のような涼子が、香織たちの前では、見るに堪えないほど非理性的な言動を、たびたび繰り返しているのか。
 これも、答えは簡単かもしれない。
 香織の、涼子に対する基本方針は、生かさず壊さず、である。とにかく、涼子の苦しむ姿が見たい。とはいえ、涼子というオモチャが、完全に壊れてしまったら、それ以上、遊びは続けられない。そのため、度を超した加虐行為は、自制する必要がある。当初、自分には、そのコントロールが可能だと考えていた。しかし、実際には、それが、なかなか難しいことに気づかされた。もっともっと、涼子に大きな苦痛を与えたい。その欲望ばかりが先走り、涼子への責めは、無制限にエスカレートしている。それに対して、涼子が、激烈な拒絶反応を示すのは、香織たちによる破壊行為から、自分を守りたいという、いわば人間としての本能である。生身の人間ならば、当たり前のことなのだ。要するに、涼子の言動を見苦しいと感じる時は、香織たちが、暴走状態にあるということ。その点は、念頭に置いておくべきだろう。
 そう。だから、涼子は、情緒不安定だとか、精神面に問題があるとか、そういう捉え方をするのは、明らかに間違っている。とんでもない思い違いである。
 香織は、ひとり納得した。
 
 ほかにも、涼子のことを、低レベルな人間だと判断したくなる理由は、いくつも挙げられるのだが、それらもきっと、自分の思い違いなのだろう。
 たとえば……。涼子は、高校生活における苦悩、つまり香織たちのことだが、それを、バレー部の仲間たちにも、親しいクラスメイトにも、打ち明けられないでいる。プライドなのか。それとも、誰かに相談するのは、リスクが大きすぎると考えているのか。その両方かもしれない。だが、ちょっと勘ぐってしまう。いくら性格が明るく、社交性が高くても、それらに比例して、心から信頼できる友達も多いとは限らないのだ。もしかして、案外、涼子には、本当の友達など、一人もいないのではないか……? 香織たちから散々、辱めを受けているにもかかわらず、誰にも助けを求められない、また、誰からも助けてもらえない、南涼子。なんだか、哀愁を誘うほど、涼子が、孤独で惨めな存在に思えたりする。
 
 あるいはまた、休み時間や昼食時のこと。香織は、友人たちとお喋りをしている最中でも、涼子の姿が視界に入っている限り、その動向を目で追い続けている。時たま、そんな香織のほうに、涼子も、ふと、視線を向けてくることがある。まるで、香織の顔色を覗うかのように。目が合ったとたん、涼子は、視線をそっぽに泳がせるのだ。そして、何事も感じていないふうを装う。どうやら、こちらをにらみ返す度胸もないらしい。そういう時、香織は、涼子の横顔を眺めながら、心の内で毒づくのだった。あんたってさ……、本当は、ものすごい小心者なんじゃないの……? 弱虫で弱者の、南涼子。
 ……そういった涼子のネガティブなイメージは、自分の馬鹿げた思い違い、錯覚に過ぎないのだ。どう考えても、涼子が、孤独な存在とか、弱者であるとか、そんな話は、現実からかけ離れているではないか。
 うん、うん。そうだ。
 香織は、ひとりうなずいていた。
 
 だけれど……。まだ、拭いきれない思いが、胸の中に残っている。



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