バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十九章
しんしんと
8



 階段を下り、一階の通路を進む。玄関の前で、さゆりと舞を待たせることにし、香織は、フロアの出入り口へと向かった。秋菜に、一言伝えておくために。明日香には、バレー部の練習が終わったら、香織たちのいる店に来てもらうつもりだった。
 
 フロアの出入り口のところにも、制服姿の後輩が数人、固まっている。驚くことに、その彼女たちにまで、二階のギャラリーにいた後輩グループと同様の、心理的変化が起こったらしい。口もとを押さえたり、互いに頭をくっつけ合うようにしたりして、くすくすと笑い声を立てているのだ。まだ帰らないのは、憧れだった涼子の見せる別人のような狂態が、この上なく愉快なショーに思えてきたからに違いない。
 まったく、どいつもこいつも、と香織も苦笑させられる。この学校に、本当に善良と呼べる生徒が、果たして何人いるのだろう。もしかすると、砂山から砂金を見つけ出すようなものかもしれない。その貴重な貴重な一粒の光である南涼子が今、他の生徒たちの笑い物になっているのだ。そんな世も末のような状況を、自分が作り出してしまったと考えると、罪悪感めいたものが芽生えそうになるが、すぐに、どうでもよくなる。
 
 フロアの出入り口の少し手前で、香織は足を止めていた。香織と秋菜が一緒にいるのを、涼子に見られるのは、都合が悪いからだ。変貌した後輩たちの横にいる、秋菜を呼ぶ。
「滝沢さん」
 秋菜は、香織の姿を見ると、上機嫌な様子でやって来る。
 香織は、話し始めた。
「たった今さ、この前、言ってた、あの……」
 足立舞については、涼子にファンレターを手渡した一年生として、すでに簡単に話してあった。その舞を誘い出すのに成功したこと。これから、駅前の喫茶店にでも移動し、そこで舞を『落とす』つもりであること。その二点を伝える。
 すると秋菜も、興味を持ったらしく、一緒に来ると言った。
 香織は、秋菜と共に玄関に向かう。
 歩き始めると、秋菜は、なにやら勢い込んで言い始める。
「ねーねー、吉永さん。聞いてよ、もう……。さっき、南さんがさ、わたしの目の前で、コートのサイドラインの、外に出そうになったボールを拾おうと、こっちに向かって身を投げ出してね、そんで、思いっ切り、どだんって倒れ込んだの。ほんと、わたしの、二、三メートル前で。その、這いつくばってる南さんと、目が合ったわけよ。だから、わたし、南さんの顔を、じーっと見下ろしてやったの。じーっとね。そうしたら、南さんったら……」
 秋菜は、言葉を切り、冷然と整った顔を、一瞬の間、激怒したように歪めた。眉間にしわを寄せ、歯茎をむき出しにする。
「こーんな顔で、わたしのこと、にらみ上げてきたの。なんていうか、地獄の鬼って感じの、ものすごい形相で」
 その二人の図を想像してみる。
「えー。なにそれ、なにそれ……。滝沢さんに向かって、『見世物じゃないわよお!』って言うように?」
 涼子が、秋菜に対して、憤激を露わにしたというのか。
「いや、そういう怒りっていうより……、あれは、わたしに対する、憎しみね」
 秋菜は、ときめきを覚えているような仕草をする。
「憎しみ?」
「そう。あの南さんの顔は、わたしに、こう言いたげだった。『あんたのことも、絶対、地獄に引きずり込んでやるから』って」
 本当に、あの涼子が、そんな怨念めいた形相を秋菜に向けたのだろうか。
 秋菜は、うわごとのように言う。
「あー、あの、憎悪に歪んだ南さんの顔、写真に撮って、保存したかったーん」
 背筋が、むずむずとする。秋菜の悪意に接していると、時々、香織でさえ嫌悪感を覚えることがある。
 
 玄関のところで、舞は、さゆりと一緒にちゃんと待っていた。
 その二人と合流すると、秋菜は、しげしげと舞のことを観察した。
「ふーん。この子が……」
「そうなの」
 舞のほうは、どうしていいかわからず、まごつくばかりである。
 秋菜は、その舞に優しく笑いかけ、さらりと口にする。
「わたしも、南涼子さんの大ファンなの。ファン同士、よろしくね」
 舞は、えっ、と意外そうに秋菜の顔を見つめる。
 なるほど、と秋菜の意図を察する。まず、舞の警戒心を解こうということか。それには、たしかに、同じ涼子のファンを称するのが、もっとも効果的だろう。
 香織からも舞に言う。
「そういうわけだから、この先輩とも、仲良くしてあげてね」
 舞は、曖昧にうなずく。
 香織は、舞の背中を、ぽんっと叩いた。
「じゃ、行こっか」
 それぞれ、上履きから革靴に履き替え始める。一番遅れて、舞も同様に。
 もたつく舞を待ち、四人は、そろって玄関を出る。
 ふと、香織は、夕刻の空を見上げた。
 頭上には、重苦しい黒雲が垂れ込めていた。まるで、今、体育館内にいる誰かの、恐ろしい未来を暗示するかのように。



次へ

登場人物・目次
小説タイトル一覧
メニュー
トップページ

PC用のページはこちら

Copyright (C) since 2008 同性残酷記 All Rights Reserved.