バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十九章
しんしんと
10



 しかし、その翌日、つまり昨日、学校に行き、事態の深刻さを悟ったのだ。
 涼子は、言うなれば、香織たちによって、見えない首輪を付けられた状態で、高校生活を送っているようなものである。にもかかわらず、これまで、クラスメイトたちの前では、決して苦悩の影を見せず、気丈にも、一点の曇りもない笑顔を振りまき続けてきたのだ。それこそが、ある意味、涼子の一番すごいところだと、香織は感じていた。だが、そんな涼子の明るさも、とうとう、大きく陰り始めたのだった。
 
 鈍感なクラスメイトたちでさえ、涼子の異変に気づいていた。休み時間、昼食時、移動教室など、様々な場面で、涼子に向けられたこんな言葉が、香織の耳にも入ってきた。
「りょーこー。今日、朝からずっと、テンション低すぎぃ。なにか、訳あり?」
「またまた、孤独な世界に入り込んじゃってるっ! いくら最後の大会が近いからってさあ、教室でまで、精神修行に励むなんて、やめてよねー」
「南さーん。おーい、おーい、起きてるー? 具合でも悪いのー?」
「ふさぎ込んでる涼子の姿なんて、ほんと、新鮮だねえ。で、なになに? 悩み事は……。もしかして、男? まさかね。涼子に男関係はないよね。涼子だもんね」
「ちょっとちょっと、あんた、目、死んでるよ。本当に、だいじょうぶなの?」
「うわぁ。しんどそぉ……。立ってるのもつらいくらいなら、早退したほうがよくない?」
 そういった言葉をかけられるたび、涼子は、精一杯の笑顔を作って、その場をやり過ごしていた。だが、友人たちが離れたとたん、その顔には、反動のように、前よりさらに沈んだ表情が浮かぶ。
 
 前日、バレーコート上で繰り広げられていた、非現実的なまでに凄惨な光景。その被害者たる涼子に関して言うなら、こう表現しても大げさでないかもしれない。涼子は、気力も体力も、持てる力を最後の一滴まで出し尽くし、あの地獄から『生還』したのだ。そのことに対しては、心からの賛辞を送りたい。だが、どうやら、その苛烈を極めた体験ゆえに、涼子の心身には、回復不能なダメージが残ってしまったらしかった。なんのことはない。結局のところ涼子も、一介の女子高生に過ぎなかったということだ。
 
 そして、その涼子を一層、追い詰めるような事態が生じていた。
 前日、バレー部の練習場で起こった出来事は、噂となって、ひそやかに、だが確実に、クラスメイトたちの間に浸透しつつあったのだ。
 少々、驚いたことに、香織が、クラス内で便宜的に付き合っている、冴えない友人までもが、その噂を、どこからか聞き及んでいた。その友人は、何か、悪だくみでも打ち明けるかのように、こう切り出した。
「ねえ、香織ちゃん、香織ちゃん、知ってる? 南さんのこと……」
 超小さい水着みたいなもの、あり得ない最悪の格好、あそこの毛、怪物的な大声の絶叫、といった言葉を用い、友人が、前代未聞の珍事件のあらましを語る。その内容に、これといって事実に反する事柄は含まれていなかった。
 むろん、それを聞いた香織は、信じらんない、と驚愕してみせ、さらには、南涼子への嫌悪感を、ぞんぶんに示しておいた。
 そういうクラスの状況を踏まえ、涼子と、その周囲に集まる生徒たちを観察していると、ある現象が起きていることに気づいた。各自が、噂を耳にしたのだろう、くしの歯が欠けるように、一人、また一人と、涼子のそばから離れていっているのだ。涼子に話しかける生徒の数も、帰りのホームルームが近づく頃には、普段の、三分の一以下に激減してしまっている感じだった。
 涼子は、もちろん馬鹿ではないし、また、鈍感でもないはずだ。クラスメイトたちに、そうして距離を置かれ始めていることは、誰よりも涼子自身が、一番わかっているに違いない。机に頬杖をつき、自分の席で暗く沈み込んでいるのは、その、いたたまれない思いに、ただただ耐えている姿、というふうにも見受けられる。
 その光景の残酷さに、香織は、いささか困惑を覚えていた。たかが噂ぐらいで、クラスの太陽のような存在だった涼子のことを、あからさまに忌避し始めたクラスメイトたち。なんと薄情な連中だろうかと、香織でさえ呆れ返ってしまう。あるいは、涼子の交友関係の実態は、まさに広く浅くで、本当に友達といえる友達など、ごく一握りだったことが、はからずも証明されてしまったというほうが正確かもしれない。なんにせよ、涼子を取り巻く環境が、こうも悪くなってしまうなんて、香織にとっても想定外だった。
 
 しかし、思い出すべきだろう。その噂は、単なる噂では終わらないかもしれないのだ。
 香織の脳裏には、前日の、ある出来事が思い浮かんでいた。
 体育館の二階のギャラリーで、涼子の恥辱の舞台を見物する、香織たちの横に、後輩が、四、五人、固まって立っていた。その後輩グループの取った行動が、とてつもない問題をはらんでいるのだ。彼女たちのうち、選ばれたひとりが、スマートフォンを使って、眼下の光景を、というより、涼子のその、陰毛をはみ出させたままプレーする醜悪な姿を、動画として撮影していたのだから。さらに、別の誰かは、その映像を校内に広めるとか、そんなことを匂わせる発言をしていたはずである。
 このご時世だ。あの後輩たちが、本気で、くだんの映像を、学校中の生徒に視聴させようと企んだのなら。そのもくろみが達成されるのにかかる時間は、ほとんど一瞬だという気がした。つまり今、流れている涼子についての『噂』が、そっくりそのまま、決定的な場面を捉えた『映像』に、置き換えられてしまうのだ。
 
 香織は、今一度、クラスの状況を見つめ直した。
 噂の段階で、すでに、涼子を中心とした人間模様は、亀裂だらけの様相を呈しているのだ。それが、実際の映像という、比較にならないくらいの破壊力を持つ代物に変わったとしたら……。想像するだけで、背筋に寒いものを感じてしまう。もし、実際にそうなった場合、涼子には、災厄にも等しい逆境が襲いかかるに違いない。そこで、さらに問題となるのが、涼子の健康状態である。ただでさえ、心身ともに衰弱している涼子が、果たして、そんな逆境に耐えられるだろうか……?
 耐えられなくなる可能性も、充分にある。そんな気がした。それはつまり、どういうことを意味するのか。下手をすると、涼子は、この学校からドロップアウトしてしまうかも……。
 香織は、目の前が暗くなる気分を味わった。香織にとっても、それは、最悪の事態といえた。なにしろ、もう二度と、涼子に会えなくなってしまうのだから。涼子に対して、やりたいことは、まだまだたくさん残っているのに、それらすべてを、諦めさせられることになるのだ。
 だが、あの涼子である。香織や、そこいらの生徒たちとは違って、人生の設計図というものを、ひしと胸に抱えているはずなのだ。それを、そう簡単に捨て去ることはできまい。香織は、自分に言い聞かせる。だいじょうぶ。涼子なら、今後、たとえ身を切るような逆風に煽られようとも、土俵際で踏み留まってくれるに決まっている。そう。学校という境界線の、ぎりぎりところで。
 香織は、そうして、なんとか不安を抑え込んだのだった。



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