バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十九章
しんしんと
14



 明日香が、バレー部のマネージャーの任に就く形で、部内にもぐり込んでから、十日ほどが過ぎた頃のことだという。
 
 午後六時前後。同じく体育館を練習場としている、バスケット部も、卓球部も、その日の練習を切り上げた。だが、強豪校としての伝統を誇るバレー部だけは、例外的に練習時間が長い。
 バレー部の練習が終了したのは、普段と同様、午後七時を回った頃だった。
 
 それから、十数分後。
 体育館フロアに残っているのは、一年生の部員たちと、それに、駆け出しのマネージャーである明日香だけだった。
 一年生の部員たちが、フロアのぞうきんがけや、器具の後片づけなどで、せかせかと動き回っている。明日香は、そんな彼女たちの様子を横目に見ながら、練習日誌に、その日の記録をつけていた。
 その時、フロアの出入り口の外、館内通路から、二、三年生の部員たちの、奇妙なざわめきが聞こえてきた。
「あれえっ? あの子、なに……?」
「ホントだ……。何部の子だろ……?」
「みんなに、置いていかれちゃったのかな」
「ねえっ、きみ。どうしたのー? うちの部活の誰かを、待ってんのー?」
「なんか、可愛いんだけど」
 それらの言葉が、何とはなしに気になって、明日香は、館内通路に出て行った。
 そして、そのまま、声のするほうに、足を向けた。
 目の前に、すでに制服への着替えを終えた、二、三年生の部員たちが、十人ばかり立っている。彼女たちが、一様に、向こう側、玄関のほうを向いているので、明日香も、そちらに目をやった。すると、七、八メートルほど前方に、小柄な生徒の姿が見えた。どこからか迷い込んできた、近所の子供のよう。それが、その生徒の第一印象だった。とても高校生には見えないほど、外見が、とにかく幼いのだ。おそらくは、一年生だと思われた。その生徒が、なにやら、遠慮がちにこちらをうかがっている。
 明日香も、ほかの部員たちと同じく、怪訝の念を抱いた。この時間、体育館に残っているのは、バレー部の部員だけのはずである。それ以外の生徒が、いったい、そんなところで、何をしているのか。
 そう思っていると、その生徒が、出し抜けに、こちらに向かって駆けてきた。
 そして、部員たちの前で、ぴたっと立ち止まった。
 いや、というより、彼女は、あるひとりの部員の前で、足を止めたのだ。その部員とは、ほかならぬキャプテンの南涼子だった。
 一同の視線が、その二人に集中する。
 その小柄な生徒の様子は、明らかにおかしかった。じっと何かに耐えているような、悲壮感の漂う顔つき。それに、彼女の柔らかそうな頬は、いかにも乙女じみた桜色に染まっている。
 一方、涼子のほうは、戸惑うように、自身の横にいる部員と、視線を交わし合う。だが、そこは、やはりキャプテンらしく、おおらかに対応した。おしりを後ろに突き出すようにして、大きな身をかがめ、その小柄な生徒と、目線の高さを合わせる。それから尋ねた。
「どうしたの・か・なっ?」
 こちらからだと、涼子の表情は確認できないが、あの、透明感あふれる笑顔を向けているのが、目に浮かぶようである。
 間もなく、その小柄な生徒は、バッグのポケットから、何かを取り出した。
 それは、薄いピンク色の封筒だった。
「先輩……。これ、受け取ってほしいんです……」
 消え入りそうな声で言い、彼女は、両手に持った封筒を、こわごわとした手つきで涼子のほうに差し出す。
 突然の出来事に、涼子も面食らったようで、一刹那の間だったが、その体が固まった。
「えっ。これ、わたし個人に……?」
 愚問だろう。
 その小柄な生徒は、こくんとうなずく。不安でたまらないらしく、彼女の顔は、泣きべそをかいたように歪んでいる。もし、ここで、涼子に冷たくあしらわれたら、たちまち泣き出してしまいそうに思われた。
 涼子は、困惑から立ち直った。
「わかった。それじゃあ、家に帰ったら、ちゃんと読ませてもらうねっ」
 そう明るく答え、封筒を受け取る。
 その小柄な生徒の顔に、ぱっと安堵の表情が浮かんだ。そのうえ、ほっとしすぎたのか、彼女の大きな瞳が、じんわりと潤み始める。
 涼子は、小さな子供をあやすように、その彼女の頭を、ぽんぽんした。涼子にとっては、何気ない行為だったはずだ。が、涼子から、そんなふうにされたことで、彼女は、心臓の乱調をきたしてしまったらしい。ただでさえ、桜色だった彼女の頬が、ぶわっと赤みを増し、またたく間に、顔全体が、ゆで上がったように真っ赤になった。
 彼女は、血がのぼった顔を隠すように、慌てて身をひるがえす。そして、脱兎のごとく逃げ出した。
 一同は、走り去る彼女の後ろ姿を、黙って見送る。
 つかの間、意味深な沈黙が流れる。
 しかし、彼女が玄関の外に出た、そのとたん、部員のひとりが、嬌声を発した。
「きゃああああああ」
 それが呼び水となって、部員たちは、にわかに色めき立った。
「見っせろっ! 見っせろっ!」
「先輩っ。ちょっと読ませて下さいよっ」
 何人かの部員が、涼子の体に飛びつく。
 だが、涼子は、首を横に振る。
「だめ。こういうのは、ほかの人が見るもんじゃないのっ」
 きっぱりと言い、貰った封筒を、自分のバッグにしまい始める。
「ええー、いいじゃないですかあ……。なに書いてあんのか、めっちゃ気になるぅ」
 二年生の部員が、なおも食い下がる。
「ちっともよくないっ。わたし、家に帰るまでは、この封筒、絶対に開けないから」
 涼子の意思は固い。
 部員たちも、封筒の中身を見るのは、無理だと悟ったようだった。とはいえ、それで、騒ぎが沈静化するはずもない。三年生の部員が、涼子に、冷やかしの言葉を浴びせる。それに合わせて、部員たちは、口々に、涼子を、はやし立て始めたのである。
 渦中の涼子は、やれやれ、という仕草をしてみせる。
 
 明日香は、その光景を、後ろから、ただ眺めていた。それから、ほどなくして、フロアの出入り口へと引き返した。フロア内に戻ると、ある予感を抱いた。この出来事は、いつかきっと、何らかの形で役に立つ……。自然と微笑みが湧いてきた。



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