バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十章
地獄からの脱出口
11



 涼子のほうから口を開いた。
「あの……、滝沢さんは、誰に呼ばれて、こんなところに来たの……?」
 そう問うと、秋菜は、一瞬、涼子と目を合わせたが、しかし、視線を落とし、口に出すのをためらうような素振りを示す。
 数秒の間、涼子は、秋菜の返答を待った。
 だが、秋菜は黙っているため、思い切って尋ねる。
「ねえ、もしかしてだけど……、うちのクラスの……、吉永香織?」
 かなり高い確率で、当たるだろうと思った。
 案の定、秋菜は、はっとした表情を見せる。
「どうしてわかったの……!? まさか、南さんも、あの、吉永香織に呼ばれて、ここに来たってこと!?」
 その名前の言い方から、秋菜にとっても、吉永香織は、単なるクラスメイトではない、憎んで当然の相手であることが、はっきりと伝わってきた。
 涼子は、どのように答えようかと迷う。
 その直後、秋菜は、いかにも打ち解けて話せる仲間と出会えたとでもいうように、唐突に駆け寄ってきた。
 お互いの距離が、五メートルを切ろうとしている。
 ちょっと待って……! 涼子は、心の内で悲鳴を発した。
 瞬時の判断で、体の向きを右に変え、壁に向かって、逃げるような早足で歩いていく。
 壁のところまで行くと、ふたたび、秋菜と、十メートルほどの距離を取ることができた。
 秋菜は、涼子の行動に、いささかショックを受けたのか、切なげな眼差しをこちらに向ける。
「あっ、いや、うーん、まあ……」
 涼子は、意味のない声を出しながら、ごまかすように笑った。
 今、近寄られた瞬間、秋菜に、汗臭い、と思われなかったか、心配で仕方がない。いや、もしかすると、こうして離れていても、自分の体が発する強烈な汗の臭いは、秋菜の鼻孔に届いているのではないか。それを思うと、羞恥の情でいたたまれなくなる。
 だが、そんな内心を押し殺し、平静な表情を作って口を開く。
「なんていうか、わたしは……、あの吉永香織と、色々あったんだけど……。揉め事。……ううん、違うな。嫌がらせ……。そう。すごい嫌がらせを、散々、受けてきて……。あのっ、滝沢さんも、吉永香織との間に、何かあったの?」
 まだ、今の段階で、多くのことを語る気持ちにはなれなかった。
 秋菜は、人差し指を頬に当て、考え込むような表情をした。話そうかどうか迷っているようだ。
 涼子は、続けて尋ねる。
「ねえ、もしかして……、滝沢さん、吉永香織に、なにか弱みを握られてない?」
 すると、秋菜の目が見開かれた。図星だったらしい。
「どうして、そこまで知ってるの……?」
 秋菜は、茫然とした様子で言う。
「お願い、話して……! いや、わたしから話す。実は、わたしも、吉永香織に、弱みを握られてるのっ」
 涼子は、勢い込んで打ち明けた。
「南さんも……?」
 秋菜は、ひどく驚いている。
「うん。正確に言うと、吉永香織っていうか、あいつを含めた三人のグループに、弱みを握られてる。一人は、さっき、わたしとここに来た、竹内明日香。もう一人は、一個下、二年の、石野さゆりっていうやつ。三人とも、人間じゃないと思うくらい、腐りきった性格してる」
 涼子は、思いっ切り顔をしかめた。
「三人なんだ……? それで、南さんの握られてる弱みって、なに……?」
 当然の質問だろう。
 涼子は、唇を舐め、腹を決めて話し始めた。
 
 事の経緯を、秋菜に、よく理解してもらえるよう、話の起点は、竹内明日香が、バレー部のマネージャーに志願してきたところからにした。その内容に続き、明日香は、表向き、バレー部のために献身的に活動していたが、その目的は、涼子を罠にハメるのに、何かいい機会がないか、それを探ることであったのだと説明する。
 そして、話は、バレー部の合宿費を、あの三人に奪われた日のことに移った。
 涼子は、あの日、起こったことを、順を追って細かく話していった。
 消えた合宿費。竹内明日香によって、この体育倉庫の地下に誘導され、その後、ひとりで待っている間、いかに心細かったか。竹内明日香が、部外者である、吉永香織と石野さゆりを連れて戻ってきた時、自分は、怒りを通り越して呆れるしかなかったこと。さらに、その、石野さゆりという後輩に対しては、最初に会った瞬間から、生理的に受けつけない生徒だという印象を持ったこと……。
 いよいよ、話の核心部分に入る。
 吉永香織は、状況的に、バレー部の合宿費を盗むことができたのは、涼子しかいないのだから、涼子には、身の潔白を証明する義務があると主張した。その証明とは、服を脱いで、体のどこにもお金を隠していないことを、三人の生徒に確認させる、というものだった。もちろん、涼子は、拒否をした。すると、吉永香織は、それならば、涼子のことを、窃盗の犯人として、学校側に報告すると言い始めたのである。涼子は、それを聞いて怖ろしくなり、正常な判断能力を失った。そして……。
 
 涼子は、秋菜の視線から逃れるように、下を向いた。同学年の生徒、二人に加え、後輩まで見ている前で、着ているものを、すべて脱がされた、あの、屈辱そのものの体験。それを、いったい、どのような言葉で表現したらいいのか、途方に暮れる思いである。だが、ここで、変なプライドから、話をあやふやにしてしまえば、秋菜との関係は、まったく前進しないだろう。それでは、意味がないではないか。
「……わたしは、下着だけの格好になった。当然、そこまでしたんだから、無実の証明になると思った。だけど、吉永香織は、わたしに、下着も脱ぐことを要求してきた。わたしが、それを拒んでると、もう、無理やり……。自分でも情けないって思うんだけど、わたし、全然、抵抗できなかったの。あまりに非日常的な事態だったせいで、頭が混乱しすぎてたっていうのもあるし、もちろん、下着だけの格好にさせられた恥ずかしさで、すっかり気持ちが萎縮してたこともあるし、あとは、何をされるかわからない恐怖心で、体が、ほとんど硬直してた感じもする。それで……、わたしは、結局……、裸にさせられた。そうしたら、あの三人、スイッチが入ったように、大喜びではしゃぎ始めたの。さすがに、その時になって、わたしも、ハメられたってことに気づいた。それと、バレー部の合宿費を盗んだのは、吉永香織たちだってことも、確信した。もう、その時には、何もかもが遅すぎたんだけどね……。そうだ。最後の最後、わたしは、裸で立ってる姿を、デジタルカメラで撮られたの。その写真が、要するに、わたしの弱み……」
 話していて、苦しくてたまらなかった。正直、誰にも知られたくなかった体験を、今まで、苦手意識を抱いていた相手である、滝沢秋菜に語ったのだ。
 涼子は、秋菜の顔を、ちらりと見る。
 秋菜は、口もとを手で覆っていた。涼子の話の内容に、ずいぶん衝撃を受けている様子だ。
 
 自分が握られている弱み。そのことについて、十五分くらい時間を使って語ってきた。
 だが、実際には、まだ、真実の半分も明らかにしていないといえる。
 なぜなら、現在、涼子にとっての、一番の弱みは、単なる裸の写真ではなく、ほかでもない滝沢秋菜がらみのものなのだ。涼子の体液で汚れた、滝沢秋菜の体操着のシャツ。それと、その体液が、紛れもなく涼子のものであることを示す写真。そのセットが、香織たちの手中にある。しかし、そのことを、今、秋菜に説明するには、それこそ、自分の味わった、身を焼かれるような恥辱の数々を、赤裸々に打ち明ける必要がある。まだ、秋菜に対して、そこまで心をさらけ出すことはできない。いや、できれば、最後まで、自分の胸の内に秘めておきたいと思う。
 
 ただ、いくつか、この場で、秋菜に告白しておくべきことがある。
「滝沢さん……。頭のいい、あなたなら、もう、勘付いてることだと思うけど……、わたし、あなたのバッグから、写真を盗んじゃった……。もちろん、わたし、そんなこと、絶対にやりたくなかったんだけど、吉永香織たちに、滝沢さんの写ってる写真を盗ってこないと、どうなっても知らないよ、って脅迫されて、それで、逆らうことができなかった……。あの、今さら謝って済む問題じゃないって、自分でも、よくわかってるんだけど……、本当に、本当に、ごめんなさいっ」
 涼子は、秋菜に向かって、腰を折り、深々と頭を下げた。
「……ああ、そういうことだったんだ」
 秋菜は、納得したように言う。だが、低頭している涼子に対し、それ以上のことは口にしなかった。おそらくは、涼子が、写真を盗んだのも、致し方ないと思う反面、完全に許していいものか迷っているのだろう。
 涼子は、そろそろと顔を上げた。秋菜に対する罪悪感で、胸を締めつけられる思いである。
「あと、それと……」
 二つ目の告白だ。それは、文字通り、自らの恥部をさらすようなものだった。
「滝沢さん……。あの……、あなたの保健の教科書に、……裸の写真が、貼りつけてあったでしょ? あれ……、わたしを、写したものだから。ねえ……、滝沢さんも、そのこと、とっくにわかってたよね?」
 涼子は、おそるおそる尋ねる。
 すると、秋菜は、斜めに視線を落とし、答えにくそうに唇を歪めた。
「……あ、まあ、うん」
 それを聞いて、涼子は、少なからず動揺した。充分、予期していたとはいえ、いざ、そう答えが返ってくると、どう気持ちを整理していいのかわからない。案の定、秋菜は、例の写真に写っている全裸の女について、これは、南涼子の裸だ、という確信を持っていたのだ。ならば、この数日間、秋菜が、涼子に対して、どのような感情を抱いていたのかは、容易に察せられる。変態。変態。毛深くて汚らしい体の、変態女……。そういう目で見られていたと思うと、今さらながら、ぶるりと身震いしてしまう。
「そうだよね……。わかってたよね……。まあ、ああいう写真を……、吉永香織たちは、わたしの弱みとして握ってるってわけ……。それで、もし……、滝沢さんの家に、まだ、あの写真が残ってるなら、さっさと捨てちゃってね。あんな、気持ちの悪いもの」
 涼子は、かろうじて苦笑の表情を作ることができた。
「……うん、わかってる」
 秋菜は、気まずそうに横を向く。
 どうやら、例の写真を、まだ、処分していなかったようだ。処分するにしても、最低でも、あと一回は、秋菜が、写真の中の光景とはいえ、涼子の全裸を目にする機会があるということ。なるべく、秋菜には、その裸体から目をそらし、写真を、手早くゴミ箱の奥に突っ込んでほしいと思う。
 最後に、秋菜に弁明したいことがあった。
「あの……、三日前のことなんだけどさ……、滝沢さん、バレー部の練習を見に来たよね? あの時……、わたし、なんていうか、見るに堪えない格好で、練習に出てたでしょ? 実はさ、あれも、吉永香織たちに脅迫されて、無理やり、やらされたことなの。わたし、ゲーム中は、もう、泣きたいくらい恥ずかしくて、本当に、地獄の思いだった。でも、それを見てたみんなは、当然、そんな裏の事情は知らないから、わたしが、自ら望んで、あんな格好をしてたと思ってる。だから、わたし、キャプテンとしての面目を完全に潰されたし、それに、わたしが変態だっていう噂が広まったせいで、たくさんの友達を失ったし、高校生活は、何もかもめちゃくちゃになっちゃった。もう、最悪としか言い様がないよ」
 涼子は、髪の毛に両手を突っ込み、くしゃくしゃとかきむしった。
 秋菜は、同情的な眼差しで、涼子のことを見ている。
「そっか……。わたしも、あの時は、なんで、南さんは、こんな格好で練習に出てるんだろう、って不思議でしょうがない思いだったんだけど……、そういう事情だったんだ……。なんか、南さんに対する誤解が、全部、解けた感じがする……」
 彼女の言葉に、涼子は、大いに救われた。
「ありがとう。滝沢さんに理解してもらえただけでも、わたし、すごく嬉しい」
 両肩にのしかかっていた重荷が、すーっと軽くなっていく気分だった。
 涼子は、胸に手を当て、秋菜の顔を真っ直ぐに見すえた。
「わたしのほうから話せることは、すべて話したつもり。今度は、滝沢さんが話してくれる? 吉永香織に、どんな弱みを握られてるのか」
 沈黙が落ちる。



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