バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十一章
邪悪な罠
2



「さゆりっ。おしくらまんじゅう始めるから、手伝って。あたしたちが、あの二人の背中を後ろから押して、お互いに、くっつき合うようにしてやるの」
「はーい」
 香織とさゆりは、バッグを地面に置き、涼子たちのほうに歩いてくる。
 双方の距離が、三、四メートルほどになったところで、さゆりが、ぴたっと足を止めた。
「うえっ……。臭ってきた、臭ってきた。この辺、一帯に、ものすごい漂ってる。南せんぱいの、汗の臭いが……」
 苦笑しながら、鼻を押さえる。
 案の定、という感じだった。涼子の体臭について、あからさまに指摘してくるだろうことは、事前に予想がついていたのだ。だが、それでも、涼子は、またもや女の子としての誇りを穢された思いで、自分の身を大事にするように両肩を抱いた。
「ホントだぁ……。南さんのことを、汗臭いって思ったことは、これまでに、何度もあったけど、今日の、この臭いは、今までとは、段違いって感じ。たしかに、滝沢さんの、言ったとおりだわ……」
 香織は、そう言いながら、さらに涼子に近づいてくる。
「でしょう!?」
 秋菜が、なにか嬉しそうに同調する。
 香織は、涼子のすぐ目の前、体に触れられる距離まで来て立ち止まった。そうして、涼子の胸の辺りに、顔を突き出すようにし、すんすんと鼻を鳴らす。
 涼子は、後ろに下がりたい衝動に襲われた。だが、涼子が、そうやって嫌がれば嫌がるほど、香織の嗜虐欲を満たすだけなのだ。だから、両肩を抱いたまま、身動きせずに、じっと耐えていた。
 香織は、あああっ、と切なげな声を漏らした。
「ねえ、南さん……。この汗の臭い、どう考えても、やばいよ。もしかして、どこか、体の悪いところがあるんじゃないの? あたし、南さんの体が、心配になってきちゃったあ……」
 秋菜が、それに追従した。
「きっと、食生活の問題よ。この人、バレーのことしか頭にないからさ、筋肉量を増やしたくて、毎日毎日、肉ばっかり食べてんのよ。わたしたちから見れば、女っていうより、獣みたいな生き物。いくら女子校通いだからって、そこまで女を捨てたら、本当に、おしまいね」
 どうやら、秋菜は、この期に及んで、まだ、香織たちと一緒に、涼子を侮辱し続けることで、自分の助かる道を見いだそうと考えているようだ。
「たしかに、南さんの、この体臭は、食生活も関係してるかもしれない。ただ、あたし、気になるのは……」
 香織は、涼子の体に、両手を伸ばしてきた。
 涼子は、左右の脇腹に、ぺたりと触れられ、上半身の筋肉全体が、ぐっとこわばるのを感じた。
「この、半端じゃない汗の量……。シャツが、びしょびしょだもん。この格好で、プールにでも入ったのかって思っちゃう……。南さん、どうして、こんなに汗っかきになったの? もしかして、あたしたちのせい? あたしたちに、苦しめられるストレスのせいで、健康な体じゃ、なくなっちゃったの? もし、そうだったら、ごめんねえ」
 おそらく、香織にしてみれば、自分たちの行いによって、涼子が、健康を失うことすら、悦びの一つなのだろう。
 涼子は、きつく奥歯を噛み締めていた。
 じりじりと迫り来る絶望、それに、恐怖、屈辱……。そういった感情に精神が蝕まれているうえ、さらに自律神経の狂いも影響して、体中の毛穴から、あぶら汗が、止めどなく噴き出してくる感覚がある。そのため、涼子の身に着けているTシャツとスパッツは、乾くどころか、むしろ、より濡れそぼっていくような状態だった。
 
 香織は、涼子のTシャツの濡れ具合を、両の手のひらで熱心に確かめている。やがて、つと、その手を止めると、上目遣いに涼子の顔を見た。それから、左手を、やや下に動かし、Tシャツのすそに手をかけた。涼子の不安を煽るかのように、一秒、二秒、と間を置く。次の瞬間、ぺろりとTシャツをめくり上げた。無駄な贅肉の付いていない、涼子の腹部が露わになる。
 涼子は、驚愕に目を見開いた。
 香織は、涼子の顔を見ながら、にやりと笑う。ほどなくして、右の手のひらを、露わになった、涼子の腹部に、べたりと張りつけてきた。
 耐えられない不快感が、全身に走った。
「やめてっ! 触らないでっ!」
 涼子は、思わず叫び、身をよじるようにして逃れた。
 すると、香織の顔に、不満の色が表れた。香織は、秋菜のほうに首を巡らせた。
「ちょっと、滝沢さん。あたしは、南さんの体の状態を、調べておきたいの。それなのに、南さんに、抵抗されちゃった。滝沢さんが、仲間として責任を持って、南さんを、大人しくさせて。それができないっていうなら、滝沢さんにも、重い罰を与えるよ。場合によっては、退学もありうるからね」
 その脅しを受けて、秋菜は、かしこまったような表情をする。それから、射るような視線を涼子に向けてきた。
「あんた、なに、吉永さんに逆らってんのよ!? どうして、いつまでも、自分の立場をわきまえられないわけ? 言っておくけど、あんたの命運は、わたしが握ってるんだからね。それを、忘れてないでしょうね? わたしは、あんたに命じる。吉永さんには、絶対服従して。あんたが、吉永さんに、反抗的な態度を取ったせいで、わたしの立場が危うくなったら、わたし、あんたのことを許さない。本気で、学校から、あんたを抹殺してやるから」
 涼子は、秋菜の脅し文句を聞いて、絶望に囚われかけた。
 香織が秋菜を脅迫し、それに怯えた秋菜が、涼子を脅迫する、という構図だった。例えるなら、こういうことだ。涼子は、見えない首輪で拘束されており、その鎖の先を握っているのが、秋菜である。そして、その秋菜もまた、見えない首輪を付けられていて、その鎖の先は、香織が、がっちりと握っている。要するに、香織は、涼子と秋菜の二人を、思いのままにできるということだ。涼子にしてみれば、香織の支配下に置かれているという状況は、以前までと、まったく変わっていない。
 
 香織は、涼子の身動きを封じることに成功したという、確信の笑みを浮かべる。
「あたしに、肌を触られるのが、そんなに嫌なの……? でも、我慢するしかないよねえ? だって、ここで、学校を辞めることになったら、南さんの人生、大変なことになっちゃうだろうしぃ」
 ふたたび、香織の左手が伸びてきて、涼子のTシャツをめくり上げた。そして、反対の右手が、もったいを付けるようにゆっくりと、露わになった、涼子の腹部に伸びてくる。
 涼子は、両肩を抱いたまま、腹の底に力を入れるようにして、全身を駆け巡るであろう不快感に備えた。
 へそのところに、香織の右の手のひらが張りつく。
 香織は、円を描くような手つきで、涼子のへその周辺を撫で回し始めた。ひとしきり、それを繰り返した後、今度は、涼子の体を抱くようにして、背中の側へと手を回した。
 香織の鼻息が荒い。
「なにこれ……。肌が、べたべたじゃない……。普通の汗って感じじゃないねえ。あぶら汗? 南さん、これから、自分は、どうなっちゃうんだろうって、怖くてしょうがない思いで、体中から、あぶら汗が出てるの?」
 涼子は、この世でもっとも気色悪いと感じる女の手で、肌をまさぐられる苦痛に、あえぐような息を吐いた。
 香織は、そんな涼子の反応を見て、満足感を得た様子だった。右手を引っ込め、Tシャツを握っている左手を離す。しかし、それでは終わらなかった。その後、おもむろにしゃがみ込むと、涼子の下半身に、じいっと視線を注いだ。まもなく、香織の両手が伸びてきて、涼子の両脚の太ももを、がしっと横からつかんできた。スパッツ越しに、鍛え抜かれた太ももの肉を、ぐいぐいと揉み込むようにする。
「うっわ、すごい……。スパッツも、びちゃびちゃ……。さゆりっ、ちょっと、これ見て。こうして触ってると、汗が、生地から滲み出てくるの。下半身も、ここまで汗だくになるって、どう考えても異常だと思わない?」
「げえ……。しかも、汗の色が、なんか濁ってるように見えるんですけど。汚らしーい」
 さゆりは、気分悪そうに口もとを手で押さえる。
 自分の体は、香織たちのせいで、壊れかけている。それを思うと、涼子は、叫びだしたくなるほど悔しくてならなかった。
 やがて、涼子の両脚の太ももを揉んでいた、香織の両手が、ずずずっと後方に滑っていった。そのまま、おしりを触ってくる。次の瞬間、おしりの肉を、むぎゅっとつかまれた。
 涼子は、びくっとしてしまった。
 香織は、は虫類のように目を輝かせる。
「どうなってんの……? おしりまで、汗で、ぐっしょり濡れてる。これは、さすがに引くなあ……。南さんもさあ、いちおう、女の子でしょう? こんなところの毛穴まで、開きっぱなしの状態で、どうすんのよ? これじゃあ、おしりの肌が、どんどん荒れていくよ。あんたのおしり、ただでさえ汚い印象を与えるのに、さらに肌荒れが進んだら、もう、見るに堪えない見た目になっちゃうよ」
 涼子は、震えるような屈辱と戦いながら、懸命に自分を鼓舞していた。希望を捨てたら、だめ。この地獄から抜け出す方法は、まだ残されているはず。それを、絶対に見つけだしてやる。とにかく、考え続けるんだ……。
 
 香織は、涼子のおしりから、両手を離すと、よっこらしょ、というふうに立ち上がった。それから、両の手のひらを、しげしげと眺める。手のひらの表面は、涼子の汗で、てらてらと濡れている。ほどなくして、その両手で、自分の鼻を覆った。
「おあっ……」
 香織は、うめき声のようなものを発した。そして、企みに満ちた笑い顔になり、涼子の顔を見上げた。香織の両手が、涼子の顔面に伸びてくる。
「はいっ。化粧水を塗ってあげるから、じっとして」
 その両手が、ぴしゃりと頬を包み込んできた。手のひらに付着している汗を、頬に塗りたくってくる。それに続き、右の手のひらが、涼子の鼻と唇に押し当てられ、何度も執拗にこすり付けられる。
 まがまがしいまでに強烈な臭気。
 涼子は、香織のその行為に対する怒りも、さることながら、自分の体は、壊れかけているというより、腐ってきている、と表現したほうが正確なのではないかと思われ、烈々たる悲しみを抱いていた。ちゃんと自分の汗の臭いを嗅ぎなさいよ、という手つきで、香織に、鼻を押し曲げられながら、えうっ、とおえつをこぼしてしまう。
「どう? 南さん。たぶん、あんた自身も、自分が、汗臭い体をしてることは、自覚してたんだろうけど、認識が甘かったって、気づいたかな? 今、あんたが嗅いでる臭いが、あんたの体が発してる、正真正銘の臭いなの。あたしたちが、別に、あんたを傷つけようとして、くさい、って言ってんじゃないって、よくわかったでしょう? 思ったことを、そのまま口にしてるだけなの……。それが理解できたら、お願いだから、もうちょっと、女の子らしく、自分の体臭の問題と、きちんと向き合ってくれる?」
 香織は、ねちねちと涼子を言葉責めし、その両手を下げた。
 顔中に付着した汗の臭いが、間断なく鼻腔に流れ込んでくるため、頭痛を起こしそうだった。今すぐ顔を洗いたい。それに、このままだと、汗の汚れが皮膚に染み込み、そのうち、顔中が、かゆくなるような気がする。

「あっ。そうだ。あたし、思い出しちゃった……。さっき、あたし、誰かさんから、とんでもない暴言を浴びせられたんだった。あたしの脳みそは、どろどろに腐ってて、たくさん、虫が湧いてるとか、言われた気がするんだけど、誰に言われたんだっけなあ……?」
 香織は、ふてぶてしい表情を見せる。
 涼子は、斜めに視線を落とした。
「たしか……」
 香織は、右手を、涼子の口もとに伸ばした。
 その手が、涼子の上唇を、ぎゅっとつまみ、上にめくり上げてきた。
「この口じゃなかったかなあ……? この、いけないお口が、あたしに、暴言を吐いてきた気がするんだけどなあ」
 上唇を、右へ左へと動かされる。
 今、自分は、ひどく見苦しい顔をさらしているはずだ。
 香織は、さらに調子づいた。右手の親指を、涼子の唇の中に押し入れてきたのだ。歯の前を通り過ぎ、その指が、左頬に達する。そうして、涼子の左頬を、親指と中指で挟み、外側に、ぐいっと限界まで引っ張った。
「そうだよねえ、南さん? 言ってくれたよねえ……? 聞きたいんだけどさ、あんた、あの時、どんな心理状態だったの? あたしたちに、勝った気分でいたわけ? だから、もう、あたしに、遠慮する必要はないって思ったの? そうなんでしょ? でも……、今じゃ、残念ながら、このザマ。ねえ、あの暴言について、あたしに、何か言うことがあるんじゃないのお?」
 謝れということか。
 涼子は、顔を醜く歪められながら、葛藤を覚えていた。喉まで出かかっている、謝罪の言葉。だが、それを口にしてしまえば、その時点で、自分の完全な負けを認めることになるのだ。
 そこで、秋菜が、苛立った声を出した。
「あんた、吉永さんに、早く謝りなさいよっ! 吉永さんには、絶対服従だって、言っておいたでしょっ!」
 涼子のことを、見えない首輪で拘束している、秋菜からの命令だ。
 それにより、涼子は、ぽっきりと心が折れるのを感じた。
「……ご、めぇんなしゃいっ」
 舌を動かしにくかったが、涼子は、もごもごと口にした。敗北感で胸が一杯になる。
 香織は、ふんっ、と笑うと、涼子の口から、親指を抜いた。指に付着した唾液を、涼子の首筋にこすり付け、手を下ろす。
「まあ、謝ったくらいじゃあ、許さないけどね。これから、たっぷりとお仕置きをさせてもらう。あたしに、暴言を吐いたことを、あんたが、一生、後悔するような思いをさせてやるから、覚悟しておくんだね。あんたは、きっと、泣き叫ぶことになる。『吉永さん。お願いですから、それだけは、やめてください!』ってね。あんたの、その姿を見るのが、今から愉しみでしょうがない」
 香織は、一国の女王にでもなったかのような、大きな優越感に浸っている様子を見せる。
 
 涼子は、自分自身に問いかけた。
 もう、わたしは、諦めるしかないの……?
 しかし、すぐに、心の内で、激しくかぶりを振った。
 着ているものをはぎ取られるまでは、希望を捨てないと、心に決めていたではないか。考え続けろ。どうしたら、自分を拘束している、この見えない首輪を外せるのか。その鎖の先を握っているのは、吉永香織ではなく、滝沢秋菜だ。だから、滝沢秋菜に対して、なんらかの形で対抗する必要があるだろう。
 対抗……。
 それだったら、いっそのこと、こちらも、秋菜に、見えない首輪をはめてやればいいのではないか……?
 涼子は、はっとした。
 見えない首輪。それは、むろん、脅迫のことである。秋菜は、涼子のことを脅迫しているのだ。それと同じことを、やり返して、いったい、何が悪いというのか。
 非情になれ。この地獄から、抜け出すために。
 秋菜を脅迫するのに使えるネタなら、今、香織のバッグの中に入っているはずだ。秋菜が、覚醒剤を使用している証拠の写真。もし、それが、手に入ったなら……。
 秘策の形が見えてきた。もうちょっとで、その完成形を、頭の中に思い描ける気がする。そのための、時間がほしい。



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