バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十一章
邪悪な罠
8



 時が、静かに刻まれていく。
 秋菜は、心神喪失したのか、焦点の合わぬ目で、空中を見つめているだけだった。

「やっぱり、滝沢さんも、自分じゃあ、脱げないみたいだねえ……。それじゃあ、仕方ないなあ。南さん、出番だよ。あたしからの、命令。滝沢さんの服を、脱がし始めて。まずは、制服の上からね。もし、滝沢さんが抵抗するようなら、バレー部で鍛えた、その腕っぷしでねじ伏せて、強引に脱がせて」
 香織は、むしろ、悦ばしい展開だとでもいうように、涼子に命じてきた。
 命令か……、と思う。
 しかしながら、涼子を拘束している、見えない首輪から伸びた鎖を握っているのは、秋菜なのだ。香織ではない。そのため、香織と秋菜の意思が、対立するような場合、涼子は、香織に服従する必要はないのだった。だが、今は、このまま流されるように、自分の二本の脚は、秋菜のところへと向かっていきそうな感じがする。
 今や、涼子にとって、滝沢秋菜など、どうなってもいい存在なのだから……。いや、少し違う。
 これまでの、秋菜の、涼子に対する言動を思う。口汚い言葉で、涼子を、これでもかというほど侮辱し続けた。涼子の恥部を、いきなりわしづかみにしてきた。涼子の身に着けているものを、一つ一つ、容赦なくはぎ取っていった。しかも、挙げ句には、自ら進んで、涼子のパンツまでも脱がそうとしてきたのである。
 それらを思えば思うほど、胸の内で、復讐してやりたいという気持ちが強まっていく。
 わたしの敵だ。滝沢秋菜は……。

「どうしたの? 南さん。考え込んでるみたいだけど。いいんだよ、あたしの命令なんだから、遠慮しないで……。だいいち、滝沢さんの手で、無理やり、Tシャツもスパッツもソックスもシューズも、それにブラまで脱がされて、パンツ一枚の格好にされたっていうのに、ちっとも、悔しくないわけ? 滝沢さんに、同じことを、やり返してやりたいって、そう思わないの? ……今度は、南さんが、滝沢さんの服を、脱がす番だよっ」
 香織は、不気味な微笑みを、涼子に向けてくる。
 悔しいかどうか……? 当然、そりゃあ悔しい。悔しくてたまらない。秋菜に対しては、はらわたが煮えくり返っている。いや、そればかりか、憎悪の念すら禁じ得ない。
 魂が抜けたように突っ立っている、秋菜の姿を、涼子は、ぎろりと見すえた。
 なんで、わたしは、こんな格好をしてるのに、あんたは、きっちりと服を着たままなのよ……!?
 理不尽極まりない状況だという怒りから、一歩、二歩と、そちらに脚が進む。
 秋菜は、涼子が動きだしたのを察知し、はっとして、警戒する様子を見せた。
「やだっ! やめてっ! とにかく、あんた、そのパンツを早く脱ぎなさいよ! あんたが、あの一年生の子を、満足させてあげれば、それで、ショーは、終わりになるかもしれないじゃない! わたしだけでも助かるよう、最大限の努力をして! こっちに来ないでっ!」
 そのヒステリックさが、よけい、かんに障る。
 血も涙もない態度で、涼子の身に着けているものを、次々と脱がしていったくせに、今度、それを、自分自身が受ける番となると、半狂乱にわめき叫ぶ。まさに身勝手の極致である。怒りの炎に、油を注がれている気分だった。
 
 パンツ一枚の格好で、両腕で乳首を覆ったまま、そろそろと秋菜に迫っていく。今の自分の姿は、香織たちの目には、さぞかし滑稽に映っているに違いない。しかし、今や、そんなことなど、どうでもいいと思う。涼子は、嵐のような感情に突き動かされ、着実に、秋菜のところに前進し続けていた。
 一方、秋菜のほうは、金縛りに遭っているように動かない。
 
 憎らしい秋菜との距離は、二、三メートルほどにまで縮まった。
 このまま進み、秋菜の制服に、手をかけてやる……。
 だが、ふと、その時、本能からの警告のようなものが、脳裏をよぎった。
 今、自分は、冷静さを失っている。それは、とても危険なことだ。今一度、頭を冷やしたほうがいいのではないか。よく思い出せ。先ほど、何があっても、早まったことだけはするまいと、自分自身に言い聞かせていたはずだ。そもそも、今この瞬間、なにか、見えない力に操られるままに、自分は、行動を取っているような気もするのだが……。
 それに、と思う。
 いくら、秋菜に、やられたことをやり返すのだとはいえ、女の子の服を、無理やり脱がせるという、恥ずべき行為に、手を染めてしまっていいのだろうか……?
 涼子は、秋菜のすぐ目の前で、わずかに逡巡した。
 しかし……、秋菜を許す気にはなれなかった。むしろ、秋菜の顔を見れば見るほど、復讐心は、無限大に増幅していくような感じがする。そして、涼子と秋菜が、『仲間』同士であることを考えれば、現在の状況は、いかにも不公平だった。涼子ひとりが、パンツ一枚という惨めな格好をしているのに対して、秋菜のほうは、依然として、完全なる着衣の状態なのだ。秋菜にも、体の肌の大部分を露出させ、屈辱感を味わわせないと、とても気が済まない。その情念にも、背中を押された。
 涼子は、最後の一歩を踏み出した。
 秋菜は、恐怖に青ざめた顔で、涼子の目を見返してくる。
「やっ……。やめて……。お願いだから……」
 銃口を突きつけられているかのような、哀訴の声。
 それを聞いて、涼子は、ほとばしる憤怒の念に、目のくらむような感覚を覚えた。
 脱がせてやる……。
 その直後、頭に浮かんだのは、秋菜の衣類に手をかけるなら、乳首を覆っている両腕を、胴体から離さないといけないという思いだった。秋菜の至近距離で、それに、舞の視線もある。しかし、今となっては、その恥ずかしさすら、忘れそうな境地に至っていた。
 秋菜のセーラー服に、目線を固定する。
 涼子は、ついに行動に移した。青色のスカーフに、迷わず両手を伸ばし、その生地を握る。その瞬間、それまで、涼子の腕で覆われていた部分、紫がかった赤い色の乳首が、寒々しく露出する。秋菜に、間近で乳首を見られるのは、もはや防ぎようがないが、なるべく、舞の位置からは、乳房の中心部が死角に入るよう意識しながら、腕を動かした。そうして、ぞんざいな手つきで、スカーフを襟から抜き取った。
 続いて、フロントのホックを外しにかかる。ほかの子のセーラー服を脱がすなど、むろん、生まれて初めての経験であり、その妙な緊張感から、かすかに手が震える。
 秋菜は、今、自分の身に起こっていることが、まるで理解できていないような、そんな顔つきをしていた。
 涼子は、それから、やや身をかがめ、セーラー服のサイドファスナーを上げた。
 身を起こすと、秋菜の虚ろな眼差しと、また目が合った。秋菜の口が、わずかに動く。
「脱がさないで……」
 今までとは別人のような、消え入りそうな小声だった。
 うるさい。
「あなたも、わたしと同じ気持ちを、味わってみなさいよっ!」
 涼子は、心の底でくすぶっていた感情を、秋菜にぶつけ、セーラー服のすそを、両手でつかんだ。秋菜に、そうされたように、涼子も、強引に生地をめくり上げる。その下の、薄い色のキャミソールが露わになった。
 
 しかし、その時、突然、香織が声を発した。
「はい、ストーップ……。ストップ」
 涼子は、手を止め、怪訝に感じながら、香織のほうに顔を向ける。
 ストップ……?
 意味がわからない。
 とにかく、一刻も早く、秋菜のセーラー服を、脱がさなくては……。
 ふたたび、秋菜の体に向き直り、両手に握っている生地のすそを、勢いよく引き上げた。すその部分が、秋菜の胸もとまで上がる。
 
 ところが、再度、香織から声が飛んできた。
「だから、ストップって言ってるでしょ、南さん」
 涼子は、水を差された気分で、手を止めた。だが、秋菜のセーラー服のすそは、手に握ったままでいた。その状態で、香織のほうを向く。
 どういうこと……? 香織に、目で問いかける。
 香織の顔が、薄笑いの表情に変わる。
「……やっぱり、いい。……滝沢さんは、脱がなくて、いい」
 涼子の両手は、宙ぶらりんのまま固まった。
 しきりとまばたきを繰り返しながら、香織を凝視する。
 秋菜が、生気を取り戻したように、明るい声を出す。
「えっ……? わたしは、脱がなくていいの!?」
 香織の顔に、より、はっきりとした笑みが浮かぶ。
「うん。まあ、そういうことかな……」
 すると、秋菜は、ぱっと、涼子の顔に視線を移した。そして、涼子の手から、自分の青色のスカーフを奪い返す。
「あんた、わたしから離れなさいよ!」
 秋菜の両手に、どんっと胸もとを突かれ、涼子は、よろめくように後退した。すぐさま、両腕で乳首を覆い隠す。
「なっ、なんで……。どっ、どうゆうこと……?」
 思わず、そうつぶやき、きょときょとと、香織と秋菜を交互に見る。
 香織に命じられたから、秋菜のセーラー服を脱がせるという、倫理にもとる行為に及んだのに、それを、いきなり中断させられてしまったのだ。恐ろしく決まりが悪かった。
 
 次の瞬間、香織が、涼子を指差し、ぎゃはははははははっ、と盛大に笑い声を響かせた。
「最低! あいつ、滝沢さんの服、脱がせようとしたあぁぁ!」
 それが呼び水となって、さゆりと明日香も、嬌声を発して大笑いし始める。
 頭の中が、混乱の極みに達する。
 なに、なに……!? どういうことなの……!? あんたが、滝沢さんの服を、脱がせろって、命令してきたんじゃない……!? もしかして、なにかの、罠だった……!? わたしの立場は、どうなるわけ……!? なんで、わたしだけが、恥ずかしい目に遭わないといけないのよ……!?
 涼子は、この十七年間の人生で経験してきたもの、すべてが、一気に弾け飛んだかのような恐慌に襲われた。
「や、や、や、や、や、やだやだやだ、な、な、なんで、わたしだけ、こんな格好でいないといけないのよっ、だったら、わたしも、もう、服、着るからっ」
 脱がされたものは、香織たちの後ろに捨て置かれている。その場所に、一目散に向かおうとした。だが、精神の均衡が、すっかり崩れており、その影響により、身体機能まで狂っている感じで、脚が、もつれにもつれ、うまく前に進めない。
 しかも、石野さゆりが、瞬時に反応し、涼子の身からはぎ取ったものを、一つ残らず拾い上げ、鬼ごっこをするように逃げ始めた。
「おっ、おっ、おかしいじゃないっ! どうして、滝沢さんは、脱がないでいいのに、わたしは、こんな、パンツだけの格好をしてないといけないのよおぉぉ! わたしの服を、返してえぇぇぇ! こんなの、いやぁぁぁぁ!」
 涼子は、声の限りに叫んだ。両腕で乳首を覆ったまま、泥酔状態のような覚束ない足取りで、性悪の後輩を、どたどたと追っていく。まるで、小屋が炎に包まれ、あっちへこっちへと逃げ回っている、ニワトリのような、そんな無様な姿だった。
 
 吉永香織と竹内明日香は、まさに抱腹絶倒していた。
 つと、視界の端に、同じ『仲間』であるはずの、滝沢秋菜の姿を捉える。
 滝沢秋菜は、完全に傍観者の風情だった。いや、そればかりか、涼子の激烈な醜態ぶりを、冷笑的に眺めている感すらある。
 そして……、怖ろしいことに、涼子に告白の手紙を手渡した、一年生の足立舞までもが、手を叩くようにしてはしゃいでいた。

「いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 陰鬱な地下の空間に、涼子の悲痛な絶叫が響き渡る。
 六月の蒸し暑いある日の夕刻、学校の体育倉庫の地下で、純朴を絵に描いたような生徒、南涼子を生贄とした、よこしまな少女たちによる地獄の饗宴が、ずるずると幕を開けたのだった。



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