バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十二章
不気味な響き
3



「やっぱり、自分じゃあ、どうしても脱げないみたいだねえ」
 香織の言葉が、遥か遠くの声音のように耳に入ってきた。
「まったく、困った人だねえ、南さん。しょうがないなあ。最後のそれは、あたしが、じきじきに脱がしてあげる」
 気づいた時には、つり上がり気味の目をした、小柄な女が、野卑な笑みを浮かべながら、こちらに歩いてきていた。
 涼子は、茫然と突っ立ったまま、自分のほうに向かってくる、その女の動きを、他人事のように見つめる。
 二人の距離は、もう、あと十歩ほどしかない。
 眠気すら覚えるような、諦めの境地。
 が、次の瞬間、涼子の体の細胞という細胞が、本能的な恐怖に貫かれた。
「いやああああ!」
 涼子は、大音声で叫び、その場から離れた。
「こらこら、なに逃げてんの、南さん。待ちなさいって」
 香織は、そう言いながら涼子を追ってくる。
「やだっ! こっちに来ないでぇぇぇ!」
 涼子は、怒鳴り声を張り上げ、両腕で乳首を押さえたまま、全力で駆け出した。
 だが、愕然とすることに、香織のほうも、その直後から駆け足になり、涼子を捕まえようとしてきたのである。
 あっちへ行っても、こっちへ戻っても、香織が、執拗に迫ってくる。涼子にとっては、まさに命がけともいえる鬼ごっこだった。
 
 ほどなくして、香織は、うんざりしたように宙を仰ぎ、はあーっと、大きなため息を吐いた。それから、秋菜のほうに首を回した。
「滝沢さん。どうなってんの? 南さんが、こうやって逃げ回ってるのに、あなたは、何も思わないわけ? なんで、黙って見てんのよ!? あなた、南さんのことを、全然、躾けられてないじゃない! これ以上、セクシーショーの開始が遅れるようだったら、あなたの責任問題になるからね」
「はいっ。気が利かなくて、申し訳ありません」
 秋菜は、もの柔らかな口調で謝罪する。そして、こちらに、凍てついたような眼差しを向けてきた。
「南さーん。あんたのせいで、わたしが、怒られちゃったじゃなーい。わたし、あんたに、本気で腹が立ってきたんだけど。あんた、わたしに対して、ちょっとは、申し訳ないって思わないわけ? わたしが、責任を取らされることになろうと、あんたとしては、知ったことじゃないってわけ? まったく、自分勝手な女ねえ……。でも、まあ、いいわよ。あんたが、そういう心積もりなら、わたしにだって、考えがあるから……。もし、あんたが、わたしの迷惑を顧みずに、次、少しでも、吉永さんから逃げたら、わたしは、あんたのことを、断じて許さない。それが、何を意味するか、あんたも、わかってんでしょう? わたしが、チリを吹き飛ばすように、あんたのことを、この学校から、綺麗さっぱり抹殺してあげる。単なる脅しじゃなく、わたしは、本当に、実行に移すつもりよお? 要するに、あんたに残された道は、二つに一つ。今、その場で、女としての恥じらいを捨てるか、それとも、自分の人生そのものを捨てるか、ね」
 少し前までは、『仲間』であった涼子に対し、眉一つ動かすことなく、その、残酷極まりない選択肢を突きつけてくる。涼子にとっては、そのことが、何より許せない思いだった。
「滝沢さん……。あなたって人は……。同じ女でしょう? それなのに、それなのに……」
 涼子は、どこまでも冷然とした秋菜を、きっ、と見すえながら、ひとり言のように口にしていた。それからまもなく、裸足の足の裏を付けている、ひんやりとしたコンクリートの地面が、どういうわけか揺れ動き始めた。いや、そうではない。自分の体が、胴震いしているのだと気づく。

「さてさて、南さん。涼子ちゃーん。どっちを選ぶか、心は決まった? まだ、逃げ回る気かな……? まあ、それでもいいけど、ただ、その場合は、滝沢さんの言ったとおり、あなたは……、この先、どうやって生きていくか、一から考え直さないといけなくなるねえ」
 香織は、余裕たっぷりの様子で、こちらに、ゆっくりと歩いてくる。
 涼子の二本の脚は、じりじりと後ずさりした。その場から動かず、悲惨な運命に屈するのを、自分の肉体が、不可抗力的に拒絶していた。しかし、だからといって、全力で逃げるだけの勇気はなかったのだ。
 香織は、もはや、苛立ちの素振りを見せず、むしろ、涼子を追い詰める過程を、じっくりと味わっているかのように、一歩、また一歩と、地面を踏みしめながら、こちらに歩み寄ってくる。
 ぶるぶると震え続ける涼子の両脚は、また、さらに後ろに下がる。自らの意思で、香織から遠ざかっているというより、なにか、故障した乗り物に、自分の体が動かされているような感覚だった。
 後退を繰り返す涼子と、前進し続ける香織の間合いは、かろうじて一定に保たれている。
「ここには、女しかいないんだから、全裸になることを、そんなに怖がる必要はないんだよ、南さん……。なんだか、異様に怖がってる様子に見えるけど、その原因は、なんなの……? もしかして、だけど……、滝沢さんと舞ちゃんも見てるから? 滝沢さんと舞ちゃんに、あそことか、おしりとか、体の汚いところまで見られるなんて、南さんにとっては、悪夢のような事態なの?」
 香織は、涼子の恐怖を、一層、煽り立てるように言う。
 涼子の身は、目に見えない手に引っ張られるがごとく、後方に移動した。が、その時、背中が、どんっ、とコンクリートの壁にぶつかった。二本の脚は、それでも後退したがって、虚しくも、地面を蹴る動作を行う。しかし、むろん、ずりずりと背中を壁にこすり付けるばかりでしかない。
 
 香織が、その間に、すんなりと間合いを詰めてきて、涼子の目の前に立った。
 二人は、まるで、無二の親友同士のような距離で、お互いに、目と目を見合わせる。涼子の顔を、まじまじと見上げてくる香織と、その顔を、虚ろに見下ろす涼子。やがて、香織の唇が、みるみる挑発的な形に歪んでいった。かと思っていると、香織の身が、すーっと下がっていく。
 これから、香織が、何を行おうとしているのか。
 涼子は、その答えを知っている。忘れもしない。計、三度だ。過去、三度、香織は、涼子の身に着けているパンツに、手をかけ、それをはぎ取っていった。あたかも、その行為を、この上ない生きがいとしているかのように。
 今、香織の顔が、涼子の股の位置と、同じ高さにある。香織は、今一度、上目遣いに、涼子の顔をうかがい、そして、目線を落とした。強烈な既視感。それが、今から脱がすよ、という宣告なのだった。
 涼子の脳裏に、あの、人間としての最低限の尊厳まで奪われる瞬間が、闇夜を裂く閃光のようにフラッシュバックする。今や、文字通り、体全体が震えていた。両脚だけではなく、乳首を覆い隠している両腕さえも。そればかりか、唇まで、重篤な神経障害を起こしたように震え始める。
 ついに、香織の両手が、涼子の腰へと伸びてきた。その何本かの指先が、涼子の白いパンツの上縁に触れる。
「ぎぃあああああああ!」
 実際に、この現場を見ていない者だったら、かりに、それを耳にしたとしても、女子生徒の叫び声だとは、つゆほども思わなかったに違いない。たった今、陰鬱な地下の空間に響いたのは、カラスの断末魔じみた声音だった。
 
 パンツだけは脱がされたくない、という絶対的かつ根源的な一念。
 涼子は、乳首を隠すのを放棄し、電光石火の勢いで両手を下げ、パンツを押さえた。ちょうど、香織が、それを下に引っ張り始めたところだった。薄い布地を巡って、涼子と香織がせめぎ合う。まもなく、香織の両手が、涼子の腰の後ろに回った。無防備なパンツの後ろ側を、ずるりと引き下げられる。おしりの肌が、外気にさらされたことにより、涙が出るほどの絶望感が押し寄せてきた。
 だが、涼子は、それでも抵抗することを諦めなかった。ふいごのような荒い息を吐きながら、死にもの狂いでパンツを恥部に押し当て続ける。
 女の子の、それも、クラスメイトのパンツを、無理やり脱がせる。悪鬼の所業であるにもかかわらず、香織は、罪悪感のかけらも持っていないらしく、完全にやっきになっていた。
 まさに紙一重で、涼子の恥部は、パンツに隠されている状態である。
 今、その薄い布地は、編み目の中が透けるほど、ぴんと引っ張られている。
 こちらに、勝ち目はない。それは、自明のことだった。香織のほうは、涼子のパンツの生地が、伸びたり千切れたりして、下着として使い物にならなくなろうと、なんら問題は生じないのだから。
 涼子は、とっさの判断で、最後の自己防衛に動いた。パンツの中に、両手を滑り込ませる形で、恥部をきつく押さえたのだ。間を置かず、陰毛がはみ出ないように、手の位置を微調整する。
 パンツは、瞬時のうちに、涼子の太ももの中ほどまで、無残に引きずり下ろされた。
 涼子は、その股布の部分を見て、目玉の飛び出るような気分を味わった。危惧していたとおり、この日、白いパンツを身に着けていた自分を、心の底から恨めしく思うこととなった。目に痛いくらい、くっきりと浮かんだ、黄色い染み。その上、湯気が立つほど蒸れた、その涼子のパンツからは、獣の肉を思わせるような臭気が、むわっと立ち上ってくるのだった。
 耐え難い恥ずかしさに襲われ、涼子は、自分が自分ではなくなるような感覚すら抱いた。
 パンツは、涼子の足首の部分まで引き下げられ、下着というより、みすぼらしいボロ布のように、くしゃりと丸まって地面に落ちた。

「脚、上げて」
 香織が、例のごとく、冷淡に命じてくる。
 過去、これとまったく同じ状況で、涼子は、香織の命令に大人しく従ってきた。一秒でも早く、自分の股の前から離れてほしい。その一心から、屈辱に震えながら、片脚ずつ自分で上げ、香織に、パンツを抜き取られてきたのだ。
 しかし、今回は……。
 滝沢秋菜と足立舞の存在の影響から、涼子のプライドは、鉄壁の守備を固めており、足の裏は、一ミリたりとも地面から離れなかった。
「聞こえなかった? 脚、上げてって言ってんの」
 香織の語気が強まる。
 涼子は、足もとで丸まっている自分のパンツを、狂おしい思いで見つめた。
 今なら、まだ間に合う。パンツを、完全にはぎ取られる前に、上に引っ張り戻すのだ……。そう思い直すと同時に、そろそろと腰をかがめた。左手は恥部に押し当てたまま、右腕の肘のあたりで、陰毛を隠すようにした、不格好な体勢で、右手を、白い布地へと差し向ける。
 だが、その右手は、香織に、あっさりと払いのけられた。
「なんなの? その手は……。もうさあ、ここまで脱いじゃってんだから、馬鹿みたいに、未練たらしいことしてないで、脚、早く上げなさいよ」
 香織は、苛立たしげに言うと、涼子の左すねを両手でつかみ、強引に持ち上げようとしてきた。
 しかし、涼子は、反射的に、左脚にぐっと体重をかけた。
 数秒の間、二人の力比べが続いた。
 香織は、よほど業を煮やしたのか、涼子の左ふくらはぎに、めりめりと爪を立ててきた。
 しかし、今の涼子にとって、その程度の痛みなど、苦痛のうちにも入らなかった。最後の衣類であるパンツは、自分の生命線だといえる。それを取り戻すためなら、いかなる痛みにも耐えられる気がした。たとえ、ふくらはぎの肉を、刃物で切り刻まれようとも、脚を上げることはしないだろう。

「これだけはぁ……、これだけはぁ……」
 涼子は、うわごとのようにつぶやきながら、再度、右手を、自分のパンツへと伸ばしていった。
 香織は、舌打ちし、目障りなもののように、涼子の右手を、邪険に振り払う。それから、おもむろに、顔を後ろに向けた。
「滝沢さーん。南さんが、強情なことに、パンツをちゃんと脱ごうとしないの。あなたも、こっちに来て、南さんのパンツを取り上げるの、手伝ってくれない?」
「はーい」
 秋菜は、のんきな返事をし、こちらに向かって歩き始めた。
 涼子は、はっと息を呑んで、秋菜のほうに目をやった。
 目の焦点が、その秋菜に合うまでに、やや時間がかかった。
 秋菜は、気だるげに歩きながら言う。
「南さんさあ……、あんまり、わたしの手を、焼かせないでくれないかな?」
 涼子は、激しく動揺していた。
 もうまもなく、秋菜が、この場にやって来る……。
 すなわち、それは、こういうことだ。ひとりの女の子として、絶対に人に見られたくない、股布の部分の、黄色い染みを、秋菜に見られることになる。いや、それだけではなく、同時に、自分の蒸れたパンツが発する臭気を、秋菜に嗅がれることになるのかもしれない。
 その状況を想像すると、涼子の頭の中は、たちまちパニック状態におちいった。
 次の刹那、涼子は、飛びのくようにして、その場から、つまり自分のパンツから、自発的に距離を取った。
 香織は、そんな涼子の行動を見て、にたっと笑い、こちらに、意味ありげな目を向けてきた。なにか、涼子の意図を感じ取ったような、そんな顔つきである。
 涼子が、唐突に抵抗を止めたことで、秋菜は、途中でストップした。
 しかし、いずれにせよ、涼子は、最後の衣類であるパンツをも、香織に奪われることになったのだった。
 
 香織は、涼子のパンツを拾い上げると、明日香たちのほうに戻っていった。右手で、そのパンツを高く掲げながら、嬉々として声を張り上げる。
「はい、戦利ひーん。戦利品を、持ってきましたー」
 竹内明日香と石野さゆりが、待ってましたとばかりに、香織のところに駆け寄る。
 涼子は、両の手のひらを、恥部に、ぴたっと押し当てたまま、その場で、石化したように立ち尽くしていた。自分のコンプレックスである、毛深い陰毛の、そのごわごわとした感触に、否が応でも意識が集中する。
 わたし……、とうとう、パンツまで脱がされちゃった……。
 苦手なクラスメイトの、滝沢さんだって見てるのに……。それに、わたしのことが好きな、一年生の子まで見てるのに……。
 こんなの、嘘でしょう……!?
 人前で、全裸になる、ということ。
 二週間ほど前、バレー部の合宿費が消えたことに関して、『身の潔白』を証明するよう、香織たちに迫られ、涼子は、生まれて初めて、強制的に全裸にさせられるという、その屈辱に満ちた体験をした。あの時は、ショックのあまり、自分の置かれている状況を、到底、受け入れられない気持ちだった。しかし、今は、あの時以上に、この場で起きていることを、現実として認識できない心境である。もしも、これが本当に現実ならば、南涼子という、これほど惨めな女など、この世から、存在ごと消し去ってしまいたい、とさえ思う。
 
 案の定、下劣なことが大好きな三人の女は、涼子の身に着けていたパンツに、あからさまな興味を示していた。それぞれが、代わる代わる、白いパンツを手に持ち、その汚れ具合や臭気などを確かめ始める。
 涼子は、目に映る光景も、耳に入ってくる声音も、自分の脳に伝わる前に、すべてシャットアウトしようと努めた。しかし、それは、繁華街のど真ん中で、ひとり、座禅を組んで瞑想にふけるような、それくらいの精神性を要することだった。
 明日香が響かせる、はしたない嬌声。
 性悪の後輩が発する、涼子への侮辱の言葉。
 三人の女は、涼子のパンツをネタに、きゃあきゃあと、ちょっとした宴のような盛り上がりを見せていた。



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