バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十二章
不気味な響き
6



 しばらくの間、沈黙が続いた。
「でも……、あなたは、今日、ここへ来てからも、また、わたしのことを蔑ろにして、保身に走ったよね」
 秋菜が、抑揚のない声で言った。
 涼子は、おそるおそる上体を起こしていく。
「とりあえず、聞きたいんだけどさ……、あなたは、どうして、さっき、自分一人でショーを行うことを拒んだの?」
 意味がよくわからなかった。
「えっ、どういうこと……?」
 涼子は、真摯に尋ねる。
「吉永さんが、一度だけ、チャンスをくれたじゃない。もしも、あなたが、あの一年生の子の、すぐ目の前で、自分の意思でもって、身に着けてるものを、全部、脱いだなら、わたしだけは、脱がないでいいって」
 そのことか、と思う。香織は、涼子のことを試してきたのだった。秋菜のために、自分の身を犠牲にできるか、と。あれは、涼子にしてみれば、あまりにも馬鹿らしい話だった。
「合理的に考えてよ。二人とも脱ぐ必要が、どこにあったっていうの? あの時、あなたは、わたしだけでも助かるよう、あの一年生の子の前に、すぐ移動して、自分から、全裸になればよかったでしょ?」
 秋菜は、当たり前のことのように、さらりと口にする。とても同じ女とは思えないような、冷酷な発言だった。
「……そんなっ、ひどい」
 涼子は、かすれる声で抗議した。
「ひどい? でも、あなたは、この前、自分の保身のために、わたしに、とんでもない仕打ちをしたのよ? そのことを、心から反省してるなら、今度は、自分を犠牲にしてでも、わたしのことを助ける。そうするのが、人としての筋、ってものじゃないかな?」
 その発言には、妙な説得力があった。
 涼子は、反論の言葉を探す。
 そこで、秋菜は、右手の人差し指を頬に当て、視線を斜めに落とした。そして、ぶつぶつとつぶやき始める。
「実のところ……、あの時、あなたが、わたしを助けるために、プライドを捨てて、脱ぐかどうかは、まあ……、わたしのなかでの、あなたに対する、最後の『テスト』みたいなものだったんだけどね。わたしって、情にもろい性格だから、あなたが、そんな自己犠牲の精神を見せてくれたら、わたしだけは、あなたの気持ちを考えて、ここから出て行ってあげるつもりだったんだけど……。でも、あなたは、それを拒否した。やっぱり、あなたって、ダメね。それがわかったから、わたしも、この『イベント』に参加することにしたわ」
 むろん、涼子には、秋菜の言っていることが、まるっきり理解できなかった。

「……とにかく」
 つと、秋菜の黒目が、こちらを向く。
「あなたは、自分を犠牲にして、わたしだけでも助ける、という選択をしなかった。いや、そればかりか……、わたしのことを見捨てて、自分ひとり、帰ろうとしたわよね。つまり、自分さえ助かれば、人が、どうなろうと構わない。それが、あなたの、基本的な考え方でしょ。あなたは、自己犠牲の精神なんて、これっぽっちも持ち合わせてなくて、苦しい状況に立たされたら、脇目も振らず、自己保身に走る性格なのよ」
 いくらなんでも、その言い方はないだろう、という思いだった。
 そもそも、それだったら、秋菜は、どうなのだ。
 自分さえ助かれば、人が、どうなろうと構わない……。その言葉は、そっくりそのまま、秋菜に返してやりたい。
 今から、三十分以上前のことだ。この場で、香織たちと対面してから、ほどなくして、秋菜は、態度を豹変させた。それからは、敵である香織に、恥も外聞もなく媚を売り、逆に、『仲間』のはずの涼子のことを、これでもかというほど侮辱し、自らの保身に狂奔したのだ。涼子が、自分ひとり、帰ることを決めたのは、その秋菜の言動に、堪忍袋の緒が切れたからだった。
 そう抗弁したかったが、涼子の胸の内には、秋菜に対して、大きな過ちを犯したという、後ろめたい思いが、とぐろを巻いていた。そのため、涼子は、ここで、ぐっと自分を抑え込むしかなかった。

「さらに、もう一点ある……」
 秋菜は、口答えをしない涼子に対して、まだ話を続ける。
「正直に答えて……。さっき、あなたは、わたしが覚醒剤を使った証拠の写真を、吉永さんから、手に入れたがってたけど、その本当の意図は、なんだったの?」
 二人の間に、痺れるような緊迫感が走る。
 涼子は、つかの間、どう答えるべきか迷ったが、おもむろに口を開いた。
「滝沢さんに……、その、侮辱され続けてるのが、すごい悔しくて、わたしも……、滝沢さんと、対等の立場になって……、反撃できたら、とか、そんなふうに、考えてた……」
 先ほどと同様、表向きの理由を、消え入りそうな声で述べる。
「嘘……。反撃、じゃなくて、本当は……、わたしに対する、脅迫が、狙いだったんでしょ? あなたは、わたしの束縛から、逃れるための手段として、わたしを脅迫することを、思いついた。わたしが覚醒剤を使った証拠の写真さえ、入手できれば、わたしを、脅迫することが、可能になる。わたしが、その脅迫を受けて、あなたを、束縛から解放すれば、あなたは、晴れて自由の身となる。つまり、わたしを置いて、自分だけは、地獄から抜け出すことができる……。そう考えたんでしょ? そうよね……?」
 秋菜は、確信に満ちた口調で詰問してきた。
 どうやら、涼子の意図は、完全に見透かされていたらしい。今から思えば、たしかに、自分でも呆れるくらい、浅はかな策だった。しかし、あの時は、脱がされることなく助かる可能性が、ほんのわずかでもあるのなら、それに、すべてを賭けるしかなかったのだ。
 涼子は、秋菜の指摘を認めるべきか、しばし逡巡していた。
「わたしに対する脅迫が、狙いだったんでしょ? そうよね?」
 秋菜は、苛立ちを露わに繰り返した。
 言い逃れは、まず不可能だった。
 涼子は、ぎくしゃくと、うなずいてみせる。
 それからは、視線の向けどころもないような心地になった。今ここで、自分は、どのようなリアクションを示すのが、人として最善なのかと、頭の片隅で漠然と考える。だが、すぐに、いかなる振る舞いをしても、自分の立場を、より悪化させるだけだと直感する。そのため、身じろぎ一つせず、ただただ、虚しく呼吸だけを繰り返していた。緊迫した静けさのなかで、そんな自分の呼吸音が、やたらと耳に付く。

「自分が助かるために、人を、脅迫しようとする……。実に、あんたらしい発想よね。あんたってさ……、全身、もうそれこそ、上は、髪の毛から、下は、つま先に至るまで、薄汚い自己保身の欲でできてる、って感じ……。あんた、そんな生き方してて、自分で、恥ずかしくないの?」
 秋菜は、まるで、性犯罪者を軽蔑するかのような目つきで、涼子のことを見てくる。
 涼子にとって、今のこの現実は、骨まで凍えるような無情さだった。
 五人の生徒の前で、涼子ひとり、全裸姿をさらしているという、想像だにしなかった惨状。そして、今、そんな涼子の、すぐ目の前に立っている生徒は、常日頃から苦手意識を抱いていた相手、滝沢秋菜なのだ。しかも、その秋菜は、同情を寄せてくれるどころか、それとは真逆に、涼子の人間性について、仮借なき非難を浴びせてくる。
 要するに、涼子は、普通の女の子なら、泣き崩れるような惨めさを、二重三重に味わっているのだった。もはや、魂は、この肉体から離脱したがっていた。南涼子などという、最下等の人間として生きることは、今すぐにでも終わりにしたい思いである。



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