バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十二章
不気味な響き
8
周囲は、一面のお花畑だった。五十センチほどの高さのひまわりが、遥か彼方まで広がっている。
その中を突っ切る、舗装されていない畑道を、涼子は、とことこと歩く。
小学生になってから、初めての夏休みだった。そして、昨日から、涼子の一家は、田舎に住んでいる親戚の家に、泊まりに来ていたのだ。
あんまり遠くへ行っちゃ、ダメよ。
さっき、お母さんは、そう言っていた。
涼子は、後ろを振り返る。
親戚の家は、豆粒のように小さく見えた。すでに、かなり距離が離れている。
けれども、涼子は、胸を躍らせながら、その畑道を、先へ先へと進んでいく。もっともっと遠くまで行けば、アニメのストーリーみたいな、刺激的な体験が待っているような予感がした。不思議な動物を発見したり、親切な人と出会ったり。そう。これは、わたしにとっての、冒険。ひとりで来て、よかったと思う。弟は、まだ幼稚園児だ。冒険をするのは、早い。もし、一緒に連れていたら、きっと、途中で、帰りたい帰りたい、と泣き出すに決まっている。そんな弟の姿を思い浮かべると、くすっと笑いが漏れてしまう。だけど、わたしは、もう、お姉さん。お父さん、お母さんがいなくても、自由に、どこへだって行ける。暗くなる前に帰ればいい。それで、夕御飯の時にでも、あんなところに行ったよ、こんなことがあったよって、みんなに話して聞かせてあげよう。そうしよう。
と、そこで、涼子は、つと足を止めた。
自分の周りを、ぐるりと見回してみる。
見れば見るほど、ひまわりの黄色さが、目に眩しい。まるで、金色に輝く海みたいだ。
綺麗だな、と心から思う。
そうだ……!
唐突に、アイディアが浮かんだ。
ひまわりで、花冠を作ってみよう。
正直、上手に作れる自信はない。でも、面白そうだ。何事も、チャレンジすることが大事。
涼子は、その場にかがみ込んだ。
ひまわりさん、ごめんなさい。
心の中で謝りながら、ひまわりを、一本、地面から抜き取った。その茎には、三輪の花が付いていた。もっと、花が欲しいと思ったけれど、これ以上、殺生するのは、心が痛む。なので、その一本で我慢することにした。
涼子は、さっそく、花冠作りに取りかかった。
茎を、輪になるように結んで……。
やっぱり、思ったとおり難しい。冠っぽくするのは、至難の業だ。だけど、もし、可愛く作れたら、これは、お母さんにプレゼントしよう。
そうして、涼子が、ひまわりと悪戦苦闘している時だった。
ふと、遠くから、奇妙な音が聞こえてきた。
涼子は、手を止め、耳を澄ませる。
なんだろう……?
まるで、オオカミが唸っているような、そんな音。
その音源と思われる方向に、目を向ける。
ここから、一キロくらい離れたところに、森が見えた。暗い森だ。
涼子は、胸騒ぎを覚えた。
きっと、あの森の中に、オオカミが潜んでいるのだ。それも、猛獣みたいに巨大なオオカミに違いない。だから、こんな遠くまで、唸り声が届くのだ。そして、その声からは、敵意のようなものが伝わってくる。なにやら、向こうは、涼子のことに気づいているらしい。今にも、こちらを目がけて、ものすごいスピードで襲いかかってくるかもしれない。
事実、姿こそ見えないが、その音が、どんどん近づいてきているのを感じる。
気づくと、不吉な兆候の現れのように、空は、灰色の雲に覆われていた。そのうち、雷が鳴り出しそうな気配である。
涼子の手から、輪っかになったひまわりが、ぽとりと落ちる。
怖い……。すぐに、帰らなくっちゃ……。
涼子は、駆け出した。来た道を、精一杯の力で走って戻っていく。
しかし、その、オオカミの唸り声は、疾風のごとき速さで、涼子に近づいてくる。
親戚の家は、まだ見えてこない。これでは、家に辿り着く前に、間違いなく追いつかれてしまう。
涼子は、わあわあと声を出して泣き始めた。
お母さんの言いつけを守らず、ひとりで遠くまで来たことを、心の底から後悔していた。
音の大きさからすると、オオカミは、すでに、涼子の、数十メートル後方まで迫ってきているみたいである。
が、聞こえてくるのは、なんとなく、オオカミの唸り声ではない気がしてきた。ほかの猛獣が発している音、という感じでもない。それは、呪いの呪文のような、ひどく不気味な響きだった。
涼子は、自分を追っているのが、オオカミなどより、ずっと怖ろしい存在であることを悟った。頭の中に、黒いマントを羽織った、死霊のイメージが浮かぶ。その手が、もう、次の瞬間にでも、自分の肩にかかる感じがする。
とうとう、涼子は、恐怖に耐えられなくなり、そこで、小さな体を丸めてうずくまった。目をぎゅっと閉じ、両手で耳を塞ぐ。
お父さん、お母さん、助けて……! わたし、怖い怖い怖い怖い怖い……!
得体の知れない存在が、今、涼子を見下ろすようにしているのだろう。
おどろおどろしい音響が、頭上から、大音量で降り注いでくる。
その音を聞いていると、頭がおかしくなりそうだった。
もうダメ……!
そう思った直後、ふと、あることに気づいた。
この音は、外から聞こえてきてるんじゃない……。わたしの内側から、発せられてるんだ……。
涼子は、まぶたを開けた。オオカミも死霊も、そのほか、いかなる怖ろしい存在も見当たらない。
わたしは、自分で、この音を、止めるべきなのだ……。いったい、どうすれば、止められる……?
そうだ。わたしは……。
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