バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十三章
ジレンマ
6



 香織が、涼子の顔を、改めてしげしげと眺める。
「……南さーん。もしかして、だいぶ、精神的ダメージを受けてる? でも、この程度のこと、笑って済ませるくらい、図太い神経じゃないと、先が思いやられるよ。なんたって、セクシーショーは、これからが本番なんだからね……。だけど、その前にぃ……」
 涼子は、一時的に言語能力を喪失したような状態で、香織の話を聞いていた。
「たとえば、オリンピック選手が、ドーピング違反をしてるのが、発覚したら、みんな、がっかりするでしょ? まあ、なんていうか、それと似たようなもので、セクシーショーを演じる人が、規定に従ってないと、あたしたちとしても、興ざめなわけよ。だから、そういうわけで、本番前に、その点を、チェックしておきたいんだよね……。南さんさあ……、あたしたちとの、約束、ちゃんと守ってる?」
 香織は、やたら持って回った言い方をし、意味ありげに、やや間を置いた。
 やく・そく……。
 そして、香織の口から、続きの言葉が飛び出した。
「……腋毛。……まん毛。……あと、ケツ毛。この三つは、剃ったり抜いたりして、処理するのを、禁止にしておいたよね? 今から、それが守られてる状態か、体毛検査を始めるよ。南さんの体が、セクシーショーを演じるのに、適格かどうか、あたしたち『全員』で、徹底的に調べることにする」
 香織の顔に、サイコキラーを思わせるような笑みが浮かぶ。
 涼子の耳には、見知らぬ遠い国の、聞き慣れない言語に聞こえていた。だが、それでも、自分に対して、死刑宣告が下されたことだけは、おぼろげに理解した……。そんな境地である。
 恐怖とも絶望ともつかない、青黒い感情が、胴体から四肢の末端にまで染み渡っていき、自分の体が、すでに生き血を抜かれてしまったかのごとく、急激に冷たくなっていく感覚に襲われる。
 涼子は、無自覚のうちに、頭を左右に振り始めた。ただ、その動作は、香織に対して、拒絶の意思を示すというよりは、どちらかというと、現実を否定する気持ちの表れだった。
「どうしたの……? 普通、こういう検査っていうのは、抜き打ちでやるものなんだから、心の準備が整ってない、なんてのは、言い訳にもならないよ。今この場で、南さんが、検査に合格しないと、セクシーショーが、そもそも成り立たなくなっちゃうのよ」
 なぜか、話の流れが、今一つはっきりと見えてこなかった。それに、知りたいとさえ思わない。ただ、この世で、もっとも怖ろしい部類に入るであろう事態に、自分は直面させられている、という点だけは、頭の端のほうで理解していた。
 涼子は、今一度、超自然的な存在にすがりたくなり、おもむろに宙を仰いだ。
 神様……。わたし、何か悪いことを、しましたか……?
 いや、よくよく思い返せば、これまでの人生で、たくさん、人を傷つけたり、思い上がった振る舞いをしたり、また、親や教師には、口が裂けても言えないようなことを、陰で行ったりもしたと、自分の罪深さを痛切に感じる。クラスメイトの滝沢秋菜からも、腐りきった人間だというように、非難を浴びたではないか。それに、先ほどは、神様なんていないと、その存在を否定すらした。
 ごめんなさい、神様……。こんな不埒な人間である、わたしを、どうか許し、そして、助けてください……。

「さっ、そろそろ、検査を始めるよ。まずは……、一番、約束を守ってるか怪しい部分の、腋毛から調べる。南さん、両腋が見えるように、両手を、頭の後ろで組んで」
 香織が、傲然たる口調で言った。
 視界の右隅に、闇に覆われた領域が見え始めていた。
 闇の、黒い色……。
 まさしく、それは、メラニン色素で染まった、体毛の色である。
 本当は、自分でも理解しているのだろう。現在、自分は、どのようなことを強要されているのか。
 涼子は、顔を上向けたまま、ゆらゆらと頭を左右に振り続けた。
「あのねえ、検査を受けるのは、南さんの、最低限の義務なの。ほらっ、いつも検査を受ける時みたいに、早く、両手を、頭の後ろで組んで」
 どうやら、香織は、イライラし始めたらしい。
 今や、視界の右側、半分ほどが、闇に、黒い色に、塗り潰されていた。
 自分の体の、黒い部分、つまり、体毛のイメージを、頭の中に思い浮かべる。そのうち、頭髪や眉毛など、初めから外気にさらしているものは、この際、関係ないとして除外する。だが、そうすると残るのは、どれも、同性同士だろうと、決して見せるにふさわしくない種類の、体毛だけである。あろうことか、これから、その生え具合を、香織たちに調べられるらしい。香織たち……。むろん、そこには、滝沢秋菜と足立舞の二人も含まれているのだ。その情景を想像したとたん、涼子は、脳髄まで揺れ動くほど震かんした。
「やっ……、やっ……、ややっ……、やっ……、やあ……」
 またぞろ、意思とは無関係に、声帯が震えだした。
「やあ、じゃないのよ……。処理をしてないなら、腋の状態を、あたしたちに見せられるでしょ……? それとも、まさか、あたしたちとの約束を破って……」
「やああああああああああああがががが……」
 涼子は、自分の耳にも、やかましく聞こえるほどの声で、香織の発言を遮っていた。
 香織は、つっ、と舌打ちした。
「だんだん、むかついてきたんだけど……」
 そう口にし、競歩のような足取りで、こちらに歩いてくる。
 涼子は、ほとんど錯乱状態におちいっており、自分の体に、逃げ出すという指令すら発せられない有様だった。
 香織は、そんな涼子の、すぐ目の前に立った。
「どういうつもり……? まさか、あんた、腋毛を、剃ったり抜いたりして、処理したんじゃないでしょうね?」
 年頃の女の子ならば、誰しもが、当たり前に行っていることなのに、自分は、それを禁止されているという、不条理さ。
 しかし、涼子は、不服を言うつもりなど、毛頭なく、逆に、冤罪をかけられた者が、無実を主張するがごとく、潔白であることを懸命に訴える。
「……しょっ、処理なんて、わたしっ、してないっ。お願いだから、わたしのことを、信じてぇっ」
 実際、その言葉は、八割方、本当のことだった。
「信じるとか、信じないとかの話じゃなくてさ。処理は、してない。後ろめたいところは、何もない。そう言うんなら、正々堂々と、検査を受ければいいの。あんた、今までに、腋毛の検査は、何度も経験済みなんだから、もう、慣れっこでしょ? どうして、今日に限って、そんなに必死に拒否するわけ?」
 香織は、白々しい口調で問うてくる。
 涼子は、顔中の筋肉が、中央に寄るのを感じた。今、自分の顔は、梅干しのように、しわくちゃに見えることだろう。
 やがて、香織のつり上がり気味の目が、かっと見開かれた。それに続き、どう猛なサメがエサに食いつくみたいに、その口もとが大きく歪み、歯茎がむき出しになる。まさに、怪人そのものという顔つきだった。
「ひょっとして……、腋毛の検査に、抵抗があるっていうより、両腕を上げたら、今、両手で押さえてる、そこを、隠せなくなるってことが、最大の問題なの? これまでとは違って、滝沢さんと舞ちゃんも見てるからねえ……。やっぱり、南さんにとっては、滝沢さんと舞ちゃんに、ま○こまで見られるなんて、血ヘドを吐きそうなくらい、恥ずかしいことなの? ねえ、そうなの?」
 言葉の端々から、涼子の、血の一滴まで吸い尽くそうという意思が伝わってくる。
「いやあぁぁぁ……」
 涼子は、身も世もなく声をこぼした。
「いや、じゃ、わからないでしょ!? 恥ずかしいのかって、訊いてんだから、それを答えなさいよっ!」
 香織は、かんしゃくを起こしたように声を荒らげる。
 視覚も……、聴覚も……、自分の体から取り除いてしまいたい。いや、今ここで、五感のすべてを失い、そのまま、貝のような生き物になれたら、どんなに安楽だろう……。
 涼子は、そんなふうに感じながら、視線をさまよわせた。というより、眼球が、ぐりんぐりんと、勝手に動いているかのような感覚だった。
「とっとと、この腕を、上げろって言ってんのよ!」
 香織が、右手を伸ばし、涼子の左腕を、乱暴につかんできた。
 左の手のひらが、恥部から引き離されそうになる。
「いやややややあああああああああっ!」
 涼子は、半狂乱になって叫び、香織の手を振りほどくべく、暴れ馬のように全身を左右に振った。
「あんたっ、いい加減にしないと、滝沢さんがやったように、あたしも、顔、本気でぶっ叩くよ!」
 香織は、怒気をみなぎらせ、なおも、涼子の左腕を、無理やり引っ張り上げようとしてくる。



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