バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十四章
乙女の叫び
2



「さてと……、じゃあ、南さんの体が、セクシーショーを演じるのに、適格かどうか、腋毛の検査を始めようか。さゆりっ、あんたも、検査を手伝って」
 香織が、性悪の後輩に言う。
「はーい」
 さゆりは、待ってましたとばかりに快諾した。
 二人が、涼子のところへ近寄ってくる。
 涼子の左腕側に、香織が、右腕側に、さゆりが立った。
「うっふわあああああ……」
 香織が、恐れおののいたような声をこぼし、さらに言葉を続ける。
「嘘でしょ、これ……。女も、人によっては、ちょっと放置するだけで、腋が、こんな有様になるんだねえ……。なんか、見てるだけで、ぞわぞわしてくる……」
「あたしもぉ……。変な寒気に、襲われちゃった……」
 さゆりは、自分の両腕をさすった。
「南、涼子ちゃーん……。あたしに、怒られるのが怖くて、きちんと、約束を守ってたってわけ?」
 香織は、頬が蕩けているような表情で、涼子に訊いてくる。
 涼子は、下唇を軽く噛んだ。
 実際には、毎夜、カミソリで、数回、撫でる程度の処理は行っていた。もし、腋毛の処理は禁止、という香織の言いつけを、完全に守っていたら、とてもじゃないが、半袖の格好では、体育の授業にも、部活の練習にも出られなくなってしまう。だが、それでも、今や、自分の腋の下は、目も当てられないような状態であることに変わりはない。香織は、そのことに、無上の悦びを覚えているらしい。
 涼子の腋の下、その部分の発毛範囲は、極めて広く、ほとんど手のひらと同じくらいの面積である。その縦長の楕円状の中に、たわしのごとく、びっしりと密生した、濃い腋毛。全体的な毛の長さは、五ミリほどで、長いものでは、一センチを超えるほども伸びていた。
「ねえねえ、答えて……。きちんと、約束を守って、剃ったり抜いたりしなかった、ってことなの?」
 香織が、もう一度、もの柔らかに尋ねてくる。
 涼子は、少しばかりためらったが、こくりと首肯してみせた。
 女の子としての身だしなみに関することまで、香織に制限され、それに、おおかた従っているという自分の情けなさを、改めて噛み締める。
「ふーん。そっか。いい子じゃない……。でも、本当なのかなあ……?」
 香織は、涼子の腋を、まじまじと観察してきた。そうして、腋毛の発毛部分の上端に、右手の人差し指を押し当てると、ぐいっと皮膚を上に引っ張った。
「この部分とか、なーんか、周りの毛と比べて、短くなってるし、ちょっとくらいは、処理したんじゃないのかなあ……? ねえ、さゆり。あんたも、そっち側の腋、不自然な点がないか、徹底的に調べてくれる?」
 その指示を受け、さゆりも、やや体勢を低くし、涼子の腋の下を、のぞき込むようにしてくる。
「うえっ。なにこの、腋汗の量。しずくが、ぽたぽた垂れ落ちそう……。っていうか、この臭いっ! 目に染みるー! 涙が出そうっ! 無理です。顔を近づけられない!」
 さゆりは、げははっ、と老婆のような笑い声を立てた。
「わかるわかる! 硫黄ガスみたいな、すんごい刺激臭がするよね!?」
 香織も、躍り上がらんばかりに浮き立った。それから、今一度、上目遣いに涼子の顔を見上げてくる。
「南さーん。やっぱり、腋毛を伸ばすとぉ、ばい菌が増殖しやすくなって、必然的に、臭いも、強くなっちゃうのかなあ? そうなのかなあ? その辺りのことは、あたしも、女の子として、後学のために知っておきたいから、よーく確かめさせてね」
 左腕の肘を、香織の手で、さらに持ち上げられる。
 香織は、そうして、涼子の腋に、鼻を寄せてきた。腋の肌に、その鼻先が、触れるか触れないか、という至近距離まで。どうやら、その行為を恥ずべきこととは、微塵も思っていないらしかった。涼子の腋全体から、満遍なく臭気を吸い込もうという意思の表れだろう、顔を、上下左右に小刻みに動かしながら、ヨガで腹式呼吸をするみたいに、荒々しい勢いで鼻をすすり始める。
 涼子は、切れ切れの吐息を吐き出した。
 平時においても、自律神経の狂いが原因で、汗腺の異常な活発化や頑固な便秘、また、それらによる、体臭の悪化といった症状が現れており、自分の体が、どんどん汚いものに変わってきているという、悲しい事実を、嫌でも思い知らされてきた。その上、こうして極限状態に追い詰められたことにより、今や、自律神経は、壊滅的な影響を受けているらしかった。体中の毛穴という毛穴からの、あぶら汗の噴出。当然ながら、それに伴い、自分の体が、猛烈な臭気を放っていることも自覚している。そして、なかでも、その一番の発生源ともいうべき部分の臭いを、他人に、それも、自分から健康性を奪った、張本人である女に嗅がれるという、この屈辱感。
「香織先輩、嗅ぎすぎっ……」
 さゆりが、失笑しながら口にする。さすがに、香織に対して、異様なものを感じ始めたのかもしれない。
「おわあああああああああ……!」
 香織は、まるで、武者震いしているかのような声を発し、顔を離した。その後、しばし、声も出ない様子で突っ立っていたが、やがて、んふふっ、と涼子に笑いかけてきた。
「これは、間違いない。腋毛の量や長さと、腋の臭いの強さは、完璧に比例する……。南さんの体って、とっても勉強になるわあ」
 その恍惚とした顔つき。
 ほどなくして、香織の口もとが、意味ありげに歪んだ。
「あ、そうだ……。南さんの、この、腋の臭い……、『仲間』である、滝沢さんにも、確かめてもらわないとねえ」
 それを聞いて、涼子は、左腕の筋肉が、反射的にこわばるのを感じた。
「ん? どうしたのっ?」
 香織の目が、涼子の内心を見透かすように、ぎらりと光る。香織は、秋菜のほうを振り返った。
「滝沢さん。あなたも、ここまで来なさいっ」
 涼子は、正面、五、六メートルほど離れたところに立つ、秋菜と舞に、思わず視線を向けた。
「いやよお。その人の体臭、さっき、おしくらまんじゅうの勝負してる時に、散々、嗅がされて、本当に、具合が悪くなりかけたんだから……。それに……、そっちに行くまでもなく、心なしか、その、腋の酸っぱい臭いが、こっちまで、ぷーんと漂ってきてる感じがするもん」
 秋菜は、実に嫌そうな顔で、目の前の空気を、手で払う仕草をした。
 相変わらず、そうした言葉が、どれだけ涼子の感情を傷つけるか、という点については、まるっきり無頓着である。
「滝沢さん。図に乗るんじゃないよ。あなたが、脱がずに済んだのは、誰のおかげだと思ってんの? 大恩人の、あたしの言うことが、聞けないってわけ? あなたは、あくまでも、南さんの『仲間』なの。だから、セクシーショーを演じる、南さんの体の状態を、細部に至るまで、しっかりと把握しておくのは、あなたの、最低限の仕事だよ。ほらっ、ご託を並べてないで、早く来なさいっ」 
 香織が、主導権を握っていることを誇示する。
 秋菜は、諦めたように宙を仰いだ。
「すみませんでした、吉永さん。了解です」
 それだけ言うと、こちらに向かって歩き始める。
 その直後、涼子の、まさに女としてのプライドが、過敏に反応した。
「やぁっ、やぁっ、やぁぁ、やめて、来ないでっ……」
 明日香の両腕が、下半身に絡みついているため、逃げるにも逃げられなかったが、涼子は、横に移動するように、どたどたと脚を動かした。
「あららららー、南さんったら、滝沢さんのこと、ものすごい意識してるぅ」
 香織が、興奮に上ずった声で指摘してくる。
 秋菜は、涼子の反応を、やや怪訝に感じたのか、足を止めていた。そして、つと小首を傾げ、涼子に向かって口にする。
「なによ、南さん……。そんなに慌てふためいちゃって。わたしのことを、過剰に意識する必要は、ないでしょう? それともなにか、わたしに対して、特別な感情でも、あるっていうの?」
 そう冷笑的に問われる。
 涼子は、返す言葉も思い浮かばず、視線を斜めに落とした。
 香織が、右手を上に伸ばし、涼子の頭を、ぽんぽんしてきた。
「南さんは、滝沢さんのことを、どうしても意識しちゃうんだよね? 南さんにとって、滝沢さんは、ただのクラスメイトじゃないんだもんね? 滝沢さんと、仲良くなりたくて、距離感を縮めようと、一生懸命、努力してきたけど、滝沢さんが、一向に振り向いてくれないから、南さんが、人知れず嘆き悲しんでたこと、あたしは、ずっと前から知ってたよ……。南さんって、ほんっと、キモカワイイ」
 秋菜はというと、やはり、涼子に対して不審の念を抱いているような目線を、こちらに向けてくる。
 涼子は、この世界に存在するのが、自分と、苦手意識を抱く相手、滝沢秋菜の二人だけになってしまったような、そんな気まずさを感じながら、上下の唇を口の中に丸め込んだ。周りから見たら、泣きべそをかいていると思われるかもしれない。

「まあ、いいや。いちおう、腋毛の検査は、合格ってことにしてあげる。で……、想像してた以上に、腋毛が伸びちゃってるから、この状態で、セクシーショーを演じるのは、さすがに見苦しいねえ……。でもね、実はさ、そんなこともあろうかと思って、あたし、用意してきたんだよね」
 香織は、そう言って、くるりときびすを返した。自分のバッグが置いてあるところに歩いていく。
 さゆりも、香織の後を追うように、涼子から離れていった。
 香織は、自分のバッグを開けると、中から、何かを取り出した。それは、四枚刃か五枚刃と見られる、薄いピンク色をした女性用のカミソリが、一本、入った、未開封のケースだった。
 涼子は、思わず目を見開いた。
 香織は、それを手に、こちらに戻ってくる。
「これ、薬局で、買ってきてあげたのよ」
 まさか……、今この場で、剃れ、とでもいうのか……。
 しかし、まもなく、香織の口から、はるかに信じられない発言が飛び出した。
「滝沢さんっ。残念ながら、南さんの腋毛は、セクシーとか、そういうのを通り越して、なんていうか……、一言で言うなら、インモラル、つまり、モラルに反してるって感じ。だから、あたしとしても、苦渋の選択なんだけど、『仲間』である、あなたが、南さんの、両腋の腋毛を、このカミソリで、綺麗に剃ってあげて」
 涼子は、聴覚に異変が生じるほど震かんした。
 秋菜のほうも、愕然としたらしく、血相を変えて抗議する。
「ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってよ……! なんで、わたしが、そんな『汚れ仕事』を、引き受けないといけないのよお! 吉永さんっ。いくらなんでも、それは、あんまりじゃないっ!」
「だって、仕方ないでしょう。南さんには、自分で、腋毛の処理をすることを、禁止してるの。自分では、剃ったり抜いたりできないんだから、誰かが、代わりに、それをやる必要があるの。その役目は、合理的に考えて、南さんの『仲間』である、あなた以外にいないのよ」
 香織は、どこ吹く風という態度で論じる。
「いい加減にしてぇぇぇぇぇっ!」
 涼子は、我知らず、怒号を響かせていた。わなわなと唇が震える。もう、これ以上は、黙って聞いていられない。
「吉永さんっ。あんた、もちろん、冗談で言ってるんだよねえ? もしも、本気で、そんなこと言ってるんだったら、あんたが通うべきなのは、学校なんかじゃない。病院。それも、病院は病院でも、精神の治療を専門にしてる、病院よっ」
 まごうことなき性的異常者である、竹内明日香と、そして、人のむだ毛を、別の人間に処理させるという発想をする、吉永香織の、この二人を、今すぐ社会的に隔離してほしいと、良識あるすべての大人たちに訴えたい。
「はあ? あたしは、真面目に言ってるんだし、普段と変わらない精神状態なんだけど……。そもそも、南さん、あんたのためにも言ってあげてるの。今日ここで、滝沢さんに、腋毛を剃ってもらうのを、拒否するってことは、腋毛を、もっともっと伸ばします、っていう意思表示と、同じだからね。そのうち、部活の練習とかでも、ほかの子に、腋毛が伸びてること、指摘されちゃうんじゃないかなあ。いくら女子校内とはいえ、女の子としての最低限のエチケットも、守れないような生徒は、周りから軽蔑の目で見られるよ。そんなんで、いいわけ?」
 自分で腋毛の処理をすることは、禁止、という言いつけを、涼子は守り通す、という前提で、香織は話す。
「いいから、そんなもの、持ってこないでっ! バッグにしまってえぇぇっ!」
 涼子は、香織の支配下にある立場であることも忘れ、大声で怒鳴り散らした。滝沢秋菜の手で、腋毛を剃られるくらいだったら、この身を切り裂かれたほうが、マシだという思いだった。
 緊迫した空気が流れる。
 数秒の間、涼子の、はあはあ、と息を切らす音だけが聞こえていた。
「あっ、そう……」
 香織が、仏頂面で口にする。
「そこまで激しく拒否するんなら、あたしも、無理に、とは言わないわ……。ただ、あんた、自分で、こっそり腋毛を処理したら、死刑より重い罰を与えるからね」
 涼子は、鼻の付け根に、しわが寄るのを感じながら、香織の顔を見すえる。
「まあ、せいぜい、高校卒業まで、腋毛を伸ばし続けるんだね。この、きったならしい、腋毛女っ」
 香織は、吐き捨てるように言い、身をひるがえした。自分のバッグのところに引き返していく。
 涼子の目には、香織のバッグにしまわれる、その薄いピンク色のカミソリが、世にも忌まわしいものに映っていた。
 だが、もはや、自分の腋は、きちんとした手入れを行わなければ、日常生活に、大きな支障が出ることも、また事実だった。いったい、どうしたらいいというのか。
 いや、今は、先のことを心配している余裕などない。とにかく、今日この日、まともな人間として、家に帰ることだけを考えるのだ……。



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