バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十四章
乙女の叫び
6



「で、どうするわけ……? 南さんの、答えを聞こうじゃないの」
 香織が、高圧的な口調で言う。
 涼子は、今一度、両の手のひら全体に伝わる、ごわごわとした陰毛の感触に、意識を傾けた。この場の全員の眼前で、自分が、強烈なコンプレックスを抱えている部分を、すっかりさらけ出すということ。その恥ずかしさに思いを巡らせるだけで、涙があふれ出そうになってくる。
 しかし……。
 現在、涼子の胸の内では、感情の糸が切れそうなほどの葛藤が生じていた。
 滝沢秋菜と足立舞の、二人の存在……。
 裸出している自分のおしりの、その深部に秘められている排泄器官……。
 事と次第によっては、嗅がれることになるかもしれない、便の残滓の臭い……。
 女としてのプライドが、考えうる限り最悪に近い形で、踏みにじられることになる、その苦痛……。
 やがて、地の底から響いてきたような低い声を、涼子は発した。
「絶対にぃ……、約束は……、守ってくれるんでしょうねえ?」
 まるで、今の今になって、思春期の少女、南涼子ではない、別の人格が現れたかのごとき、ドスの利いた声音だった。
 涼子の物言いが、よほどおかしかったらしく、香織とさゆりは、顔を見合わせて、小さく吹き出した。
「おおお、こわっ。もし、約束を破ったら、あたし、南さんに殺されそうだね……。約束は、うん、ちゃんと守るよ。あたしを、信用して。じゃあ、つまり……、南さんは、あたしの、現実的な提案を、受け入れると決めたってことだよね?」
 香織は、へらへらと笑いながら言う。
 涼子は、香織のその顔を、にらみ付けるように直視した。返事をすることも、首を縦に振ることも、自尊心が拒否している。
「だったらさ、南さんの、その切実な気持ちを、大きな声で訴えて。『誰』と『誰』にだけは……、体の、『どこ』を見られたくないのか。もし、声が小さかったり、心がこもってなかったりしたら、あたし、提案を白紙にするからね。チャンスは、一度きりだよ。さっ、どうぞ」
 香織は、涼子の感情を、徹底してもてあそぶ。
 涼子は、自分の顔に、憤怒の表情が浮かぶのを感じた。しかし、それは一瞬のことで、またたく間に、心が、諦観の底に沈んでいく。そして、ぎゅっと目を閉じ、あごを上向けた。
 いったい、どのような言葉を口にすればいいのだろう……。
 その迷いを断ち切り、すうっと息を吸い込んでから、宙に向かって、腹の底から声を吐き出した。
「わたしぃっ! 滝沢さんとぉ! あだっ、いや……、舞ちゃんにだけはぁ! おしりの穴、絶対に見られたくありませんっ!」
 涙の混じった、がらがら声が、やまびこのように響き渡った。
 涼子は、その残響を耳にしながら、薄目を開ける。
「きゃあああああああああ……。言っちゃったあぁぁっ」
 香織が、悦楽にあふれた嬌声を上げる。
「南さんったら、もぉう、超絶にキモカワイイんだからあ……。まあね、舞ちゃんっていうのは、よく理解できる。いくらなんでも、自分に片思いしてる、二個下の後輩の子に、おしりの穴を見られるっていうのは、普通の神経の女だったら、プライドが許さないよねえ。だけども……、滝沢さんのことを、これほどまでに特別に意識しちゃう、南さんの思いっていうのは……、さゆり、何?」
「もちろん、恋、ですよっ」
 さゆりは、勢い込んで即答する。
「だよね、だよね、今度こそ、確定だよね!? 大好きな滝沢さんには、うんこの出るところである、おしりの穴なんて、絶対に見せられない……。南涼子、乙女の叫び」
「けど、けど……、南せんぱい的には、物事の順序ってものが、あったんですよ。まずは、滝沢先輩と、遊園地でデートとかして、腕を組んで歩きながら、いちゃいちゃラブラブしたい、みたいな。それで、何度目かのデートで、初めてのチュー。最終的には、当然、裸で抱き合って、滝沢先輩に、自分の体の汚いところまで、全部、見てもらいたいって、そんなふうに考えてたに、決まってますって!」
「ああ、なるほど。うん、間違いないね……。南さんの、ちょっぴり、やましい初恋……。やぁーん。南さんって、バレーのこと以外、眼中にない女、って印象が強かったけど、ちゃんと、女子高生らしく、青春してたんじゃなーい」
 香織は、はんにゃのお面のような笑みを浮かべる。それから、秋菜のほうに顔を向けた。
「一方で、滝沢さんの、今の心境も聞きたいね。南さんは、あなたに、公然告白したも同然なんだよ? あなたのほうは、恋愛とか、エッチとか、男としか、できないわけ? それとも……、女も、アリだと思えるタイプ?」
 秋菜は、半ば、茫然とした様子で、香織の言葉を聞いていた。
「嘘でしょう……。この女、マジだったの……? だとしたら、最悪よっ。だって……、わたし、さっき、この女から、服を脱がされそうになったのよ? あの時、吉永さんが、寸前で止めてくれなかったら、わたし、何をされてたか、わかったもんじゃないわよっ」
「ああ、ああ……。そういえば、あの時、あたしが、ストップ、って言ってるのに、南さんってば、それでも、滝沢さんの制服を、引っ張り上げようとしたんだったね。あれは、滝沢さんの、裸の体を、見たくて見たくてしょうがなかったことの、何よりの証拠だよ。それで、もし、滝沢さんの、おっぱいとか目にしちゃったら、もう、南さん、欲望のままに暴走してた可能性が、大だね。南さんの場合は、レズはレズでも、それこそ本当に、ガチのレズだから」
 香織は、横目でこちらを見ながら喋る。
「つまり……、わたし、レズの女に、レイプされるところだった、ってことじゃない。うっわぁ……、考えただけで、身の毛がよだつほど、おぞましいっ」
 秋菜は、乳房を隠すように、自分の両肩を抱いた。
 まさに、何もかもが、あべこべだという状況だった。
 この場において、同性愛者であることが明らかな者を、誰か一人、挙げるとしたら、それは、足立舞にほかならないはずだ。また、竹内明日香も、その疑惑を向けられてしかるべきである。だというのに、その彼女たちから、この体に、性的な陵辱行為を加えられた、涼子が、いわゆるレズビアンだという話なのだ。おまけに、現在進行形のこの、性暴力の被害者である、涼子のことを、秋菜は、あたかも極悪な性犯罪者のごとく言う。
 それは、どっちよ……!
 心の中で、声を大にして、そう反論し続ける。
 だが、その反面、涼子は、香織たちの話を聞いているうちに、まるで、洗脳されているかのように、惨めな気持ちを通り越して、だんだんと、自分こそが、恥ずべき存在であるという、強烈な自己否定感に、精神を蝕まれ始めていた。
 体も不潔である上、心まで薄汚い、人間以下の生き物の、わたし……。

「さてと、南さん……。あたしの提案を、受け入れたんだよね? だったら……、次は、体のどこを見せなきゃいけないか、自分でわかってるでしょ? あたしの気が変わらないうちに、早くしてれる?」
 香織の声が、水中で聞いている音のように、頭の中で反響する。
 その言葉の意味を、しばし時間をかけて噛み締め、胸の内に落とし込んだ。
 涼子は、再度、香織の不敵な笑い顔を、ぎろりと見返した。
「絶対にぃ……、絶対にぃ……、約束を、破ったり、しないでしょうねえ……?」
 呪詛を唱えるように問う。
 もしも、約束が守られなかったら、いずれ、自分の怨念が、香織を呪い殺すであろう。
「だーから、あたしを信用しなさい、って言ってんの。そんなふうに、いつまでも疑われると、あたし、提案を、白紙撤回したくなってくるんだけど……。そうなったら、泣きを見ることになるのは、南さん、あなたでしょ? いい加減、自分の立場ってものをわきまえて……。はいっ、これ以上は、問答無用。ま・ん・毛・の検査だけは、正々堂々と受けます、っていう意思を、ただちに行動で示しなさい」
 香織は、ことさら涼子を刺激するような、尊大な態度で言った。
 涼子は、香織の姿を、何とはなしに視界に捉えたまま、ぱちぱちと瞬きをした。ふと、それまでの感情の昂ぶりが嘘みたいに、自分が、まったくもって今の状況にそぐわない、明鏡止水の境地に至っていることに気づく。そして、脈絡もなく、漠然と思うのだった。
 それにしても、わたしの人生、ずいぶんと狂っちゃったものだな……。
 今となっては、輝いていた過去の日々が、なんだか、すべて、夢まぼろしだったかのよう。
 輝いていた……? うん、それなりに。
 思い返してみると、わたしにしては、少々、うまく行き過ぎていた感さえある。
 毎日、部活は、いつ倒れても不思議じゃないくらい大変だったけれど、高校生活は、おおむね順風満帆だった。どんな時でも、笑顔を絶やさないよう努力してきた甲斐あって、わたしの周囲には、常に、自然と人が集まってきた。また、二年生の夏、バレー部のキャプテンに任命されてからというもの、とくに後輩たちから、異様にモテるようになった。スクールカーストなんて概念は、好きじゃないけれど、正直、自分が、かなりの上位に立っているような、そんな自負心は持っていた。
 ああ、わかった……。
 わたしの、悪いクセだ。周りからチヤホヤされると、すぐ思い上がっちゃう。だから、それに合わせて、知らず知らずのうちに、プライドが、高層ビルみたいに高くなってたんだ。
 ハハッ。わたしって、ホント、アホな女。
 それを猛省するつもりで、今の自分を、客観的に見てごらん。
 わたしの身に着けていた、Tシャツやスパッツ、それに、ブラジャーやパンツは?
 人間としての最低限の尊厳は?
 自由に発言したり行動したりできる権利は?
 意思に反する形で、性的行為を加えられた際、抵抗するすべは?
 それらは……、すべて奪い取られたのだ。
 もう、わたしには、何も残っていない。
 あるものといえば、そう……。この、自分でも閉口するくらい、猛烈な臭気を放つ、清潔感のかけらもない体だけ。
 冷酷なクラスメイト、滝沢秋菜に至っては、こんなわたしのことを、吉永香織たちの、奴隷であると表現した。
 奴隷。
 反論不能だ。ぐうの音も出ない。
 にもかかわらず、この期に及んで、まだ、わたしは、過去の栄光にすがるようにして、分不相応なプライドを、後生大事に守ろうとするつもり……?
 いいや、そんなことを続けても、いたずらに、自分自身を苦しめるだけだ。
 そろそろ、今現在のこの、ありのままの自分を受け入れよう。
 奴隷ならば奴隷らしく、もし、吉永香織たちから、地べたにひれ伏せと命じられたなら、彼女たちの靴を舐めるように土下座したらいい。そして、今は、いわゆる大事なところを見せるよう、要求を受けているのだから、わたしは、その部分をさらけ出す形で、直立不動のポーズを取ればいいのだ。
 えっ、なに……?
 苦手意識を抱いている相手、滝沢秋菜の存在が、どうしても気になるって……? 
 まったく、そんな自分に、つくづく呆れてしまう。わたしごときが、滝沢秋菜、いや、滝沢秋菜『様』に対抗心を持つなんて、百年早いってもんよ。
 えっ、わたしの裸の体を、やらしい目で見ている、一年生の子がいるって……?
 いいじゃない。今のわたしには、そんな子の欲求を満たしてあげるくらいしか、価値がないんだから。
 はいっ、色々と考えるのは、もう終わり……。奴隷に身を落としたことを肯定してしまえば、あとは、気楽なもんだね……。
 
 涼子は、陰毛部を隠している、両方の手を、じりじりと横に動かしていく。ほどなくして、両の手のひらで、両脚の付け根の部分を押さえる格好となる。すると、なんとなく、手の置き所がない心地がし、左右の太ももの外側を、やんわりと握った。
 ええっと……、わたしの、その、大事なところ、あまりに毛深くて、どん引きしちゃいました……? そりゃあ、そうですよね……。わたし自身、見苦しいと思ってますもん……。汚らしい? 女を捨ててる? ほとんど獣? うん、うん。どうぞ、なんとでも言ってください……。
 涼子は、少女たち一人ひとりの顔に、そんなメッセージを込めて、おそるおそる視線を走らせる。それから、恥ずかしさを紛らわせるように、卑屈にも、口の両端を上げ、うっすらと笑い顔っぽい表情まで作ってみせた。
 が、一見したところ、少女たちは、涼子の下腹部に視線を向けてくるものの、当たり前の光景でも眺めているかのような様子であり、大げさな反応を示す者は、誰もいなかった。
 そのため、涼子は、胸の内に、安堵の念が、じんわりと広がっていくのを感じた。
 そっかそっか……。なんだかんだで、女の子同士だもんね……。Vゾーンなんて、思い切って、さらけ出しちゃえば、なんのことはない……。今まで、それを極度に怖がってた自分が、馬鹿みたい……。
 しかし、次の刹那、苦手意識を抱いている相手、滝沢秋菜が、エサにかぶりつく齧歯類みたいな顔つきをし、その口もとに、右手を当てたのである。
 涼子の神経は、秋菜のその素振りに、極めて鋭く反応した。
 あっ、笑われてる……。
 やっぱり、わたし、滝沢さんに、ものすごい見下されてるってこと……?
 そうなのかな、いや、あの顔は、そうに決まってる……。
 きっと、滝沢さんの目には、わたしのこの姿が、家畜みたいに映ってるんだ……。
 そのことを悟ったとたん、涼子は、たちまち、自分の肉体が、生きた人間のものではない、人体標本と化しているかのような、そんな絶望に覆い尽くされた心境におちいった。



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