バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十五章
もどかしい距離感
2



 その時、滝沢秋菜の声が、耳に入ってきた。
「これはこれは……、今のご時世では、天然記念物ものの、すさまじい毛の量ねえ……。まるで、野生児みたいじゃないの。南さん、正直に答えてほしいんだけど、その、下の毛、いつから生え始めたのお?」
 秋菜は、涼子のVゾーンを、ぶしつけな目で見下ろしながら、苦笑いを浮かべている。
 デリカシーのかけらもない、秋菜のその発言に、涼子は、愕然たる思いを禁じ得なかった。
 滝沢さん……。
 なんなの、あなたは……?
 下の毛が、いつから生え始めたのか、って……。そんなこと、なんで知りたがるわけ……? 悪趣味すぎるでしょ……! しかも、すさまじい毛の量って。野生児みたいって。言われたこっちは、すごい傷つくんだけど……!
 というより……。
 どうして、わたしは、誰にも見せられないはずのVゾーンを、よりにもよって、苦手意識を抱いている相手、滝沢秋菜に直視されている状況下でありながら、平然と立っていられるのだろう……?
 涼子は、その疑問を抱いたとたん、頭の中で、何かが爆ぜたような感覚に襲われ、脊髄反射的に、自分の陰毛部の前で、両手を重ねた。一拍遅れて、心の奥底から突き上がってきたのは、錯乱におちいりそうな、猛然たる羞恥感情だった。
 やだやだやだ、恥ずかしい……! 滝沢さん、やめて……! わたしの変なところ、じろじろと見てこないでよ……!
 しかし、その時、支配者側のリーダー格である、香織が、いかにも、がっかりした、とばかりに舌打ちした。
 涼子は、それを耳にして、すぐに、しまった、と思った。慌てて両手をどかし、それから、ふうーっと、上空に向かって息を吐き出す。
 奴隷の身である、わたしの体を、滝沢秋菜『様』が、隅々まで観察しようとするのは、当たり前の話じゃないの……。落ち着け、落ち着け、わたし……。
 その後、秋菜からの嫌な質問にも、ちゃんと答えるべく、ポーカーフェイスを装いつつ、軽く首を傾けた。ちょっとばかり考え込むように、右手の人差し指を、頬に当てる。
「うーん……。毛が生えてきたのは……、しょ、小五くらい……、かな?」
 真摯な姿勢とは裏腹に、いい加減な答えを口にしてしまう。
「出ましたあー。当たり障りのない、模範的な回答!」
 秋菜が、すかさず突っ込んでくる。
「うそうそ」と、石野さゆり。
 二人の反応に、涼子は、困惑を覚える。
「南さーん。正直に答えてって、わたし、言ったじゃなーい。本当のところ……、南さんは、小二の頃か、もっと早ければ、小一の時点で、もう、生え始めてたんでしょう? それくらい、早熟じゃなかったら、とても、そこまでの状態には、ならないわよお……。ねえ?」
 秋菜は、賛同を求めるように、ほかの四人のほうに顔を向ける。
 香織とさゆりは、涼子を見ながら、にたにたと笑っている。
 もちろん、涼子自身、陰毛の量のおびただしさを、やゆされていることくらい、十二分に理解しており、胸が張り裂けそうほど悲しくて、涙を堪える時、人が、よくそうなるように、目もとの筋肉が、ぴくぴくと引きつれを起こし始めた。しかし、そんな自分を懸命に鼓舞し、明るく声を張り上げる。
「あっ! でもさ、でもさ……、こういう、毛って、知らないうちに、気づいたら生えちゃってた、って感じじゃない!? みんなも、そうでしょ!? だから、正直、わたしも、自分の体のことだけど、生えてきた時期って、よく憶えてないんだよねー。あ、だけども、滝沢さんの言うとおり、小五っていうのは、テキトーすぎたかもしれないっ。ごめんごめん!」
 涼子は、まるで、自分も、目の前に立つ彼女たちの、輪に入っているかのごとく、フレンドリーな空気を作ろうとしていた。自分は、陰惨な性暴力の被害者などではなく、たとえば、温泉で、仲のいい友人たちに、裸を見られているようなものなのだ……。そのように脳を錯覚させたいという、自己防衛の本能が、かつてないほど働いている状態なのかもしれない。しかし、その一方で、支配者側である彼女たちに対し、これほどまでに卑屈に振る舞っている自分は、いったい、何者なのだろうという情けない思いも、胸の内で延々と渦巻き続けている。
「舞ちゃん、舞ちゃん……。どう? どう? 南せんぱいの、大人の女の、まん毛は……」
 香織が、おどけたような低い声で、隣の生徒に尋ねる。
 涼子は、息を呑む思いで、そちらに目をやった。
 支配者側である彼女たちのうち、ひとりだけ、異様な雰囲気を放っている生徒がいることは、だいぶ前から感じ取っていた。しかし、自分は、意図的に、その彼女の存在を無視していた気がする。
 セーラー服を着込んだ小学生にすら見える、一年生の足立舞は、身を乗り出すような姿勢で、涼子の恥部を、まばたきもせず凝視している。まるで、覚醒剤でも打たれたかのように散大した瞳孔。荒い息遣いのせいだろう、絶えず上下している肩。もはや、興奮は、最高潮に達しているという様子である。
 そう……。
 わたしが、全裸にさせられた最大の理由は、同性愛的な傾向のある、あの子に、性的な悦びを与えてあげるため。
 一瞬、身悶えしそうな生理的嫌悪感が、全身を駆け巡ったものの、すぐに、奉仕の気持ちに立ち返る。
 そうして、左斜め前に立っている舞に、自分の陰毛部を、より見えやすくするべく、涼子は、彼女と正対するように、ゆっくりと体の向きを変えた。
「あ、あの、ホント言うと……、さっき、南先輩の裸の写真、見た時、あたし、え? なにこれ? 嘘でしょ? みたいに、カルチャーショックな感じで、だから、ずっと生で見てみたい、って思ってたんですけど、まさか、本当に、こんな毛深い体してたなんて……。なんだか、高校生の女の子じゃないみたい……」
 舞は、涼子のVゾーンから、目を逸らそうともせず、今の心情を熱っぽく吐露する。その夢中っぷりからは、なにか、涼子の陰毛、一本一本の縮れ具合まで、網膜に焼きつけたがっているかのような、鬼気迫る執念が、ひしひしと伝わってくる。
 涼子は、そんな舞に対して、怒りを表すことはせず、逆に、慈悲深い表情を意識し、小さく微笑んでいた。しかし、その口もとの笑みとは裏腹に、左右の太ももの外側をつかんでいる、両手の指先には、ぎりぎりと力が入りっぱなしだった。太ももの肉に、深く爪が食い込んでおり、早くも、血が滲み出てきている感じがする。女としての本能が、その痛みに意識を向けることで、精神的苦痛を紛らわせよと、自分の肉体に、指令を送っているのかもしれない。
「あ、でもでも、そう言う舞ちゃんだって、高校三年生の半ば頃になったら、南せんぱいみたいに、まん毛が、びっしりと生え揃ってるかもしれないよお? どうする? こんなふうになっちゃったら」
 香織が、冗談めかして訊く。
「あっ、あたしは、絶対、こんなふうにならないと思う……。だって、あたし、この、十分の一も、生えてないですもぉん……」
 舞は、茫然とつぶやくような口調で、そう答える。
「ええ! うそっ! ってことは、舞ちゃんって、もう、下のお毛ヶ、生えてたの!?」
 香織は、わざとらしくのけぞり、仰天した素振りを示す。
 その時になって、舞は、ようやく、涼子のVゾーンから視線を外し、慌てふためいた様子で、香織のほうに顔を向けた。
 間を置かず、秋菜も、驚きの声を上げる。
「わたしも、びっくりよお! あなたみたいな、可憐な女の子は、あそこも、まだ、つるつるのすべすべ状態だと思ってたのに……。まさかまさか、大人の女と同様に、まん毛なんてものが、生え始めてたとはねえ……。お姉さん、かるーいショックだわーん」
 二人の先輩から、性的なからかいの言葉を浴びせられ、舞の乙女心は、爆発的に燃え上がったらしい。それこそ、秋菜の言う、『すべすべ』のほっぺたが、血しぶきを浴びたかのごとく真っ赤に染まっている。
「いやいやいやぁ……。やめてくださいっ。そういう、毛の話とかぁ、あたし、恥ずかちぃですっ」
 舞は、紅潮した顔を見られたくない、というふうに両手で頬を包み込むと、ふるふると身を横に振った。
 第二次性徴期を迎えたばかりのように、外見も精神年齢も幼すぎる、一年生の生徒にとっては、自分自身の体のこととなると、陰部の発毛について言及されるだけでも、悲鳴ものの恥ずかしさらしい。だというのに、そのVゾーンを、実際に、さらけ出す格好で立っている、涼子の立場のことには、まったくの無頓着という、あきれ返るしかない身勝手ぶりである。
「うーん、舞ちゃんたら、可愛いんだからぁ。ごめんねえ、あたしたち、舞ちゃんに、意地悪なこと言っちゃって」
 香織は、舞の頭を、ぽんぽんと軽く叩く。
 だが、舞は、ぷいっとこちらを向く形で、ふたたび、涼子の陰毛部に視線を注いできた。不機嫌そうに、唇を曲げている。
「そんなに怒らないでえ、舞ちゃーん。もう、仕方ないなあ。お詫びのしるしに、いいものあげる……。あのさっ、さっきは、舞ちゃんに、南せんぱいの腋毛を、記念品として、プレゼントしたでしょ? で、今度はぁ……、せっかくだし、記念品を、もっとエロエロなものにグレードアップしてぇ……、南せんぱいの、あの、ボーボー状態の……、ね? これ以上は、あたしが言わなくても、なんのことを指してるか、わかるでしょ?」
 香織は、涼子の顔をうかがいながら、舞に対して語りかける。
 舞は、やや真剣な顔になり、目をしばたたいた。
「えっ、えっ……。まさか……。え、もしかして、南先輩の……、ま……」
 最後まで口にすることには、ためらいがあるらしく、言葉を切る。
「そそっ。その、まさか、よ。もし、舞ちゃんが、記念品として欲しいと思うんだったら、自分のお手々で、抜いて取ってきな。南せんぱいに、くーだーさいっ、てお願いして」
 涼子は、香織の話を聞きながら、半ば、無我の境地に至っていた。
「ええっ……、でも、なんかなんか、もじゃもじゃの毛が、汗? で、べたべたしてるように見えて、ばっちい感じがするし……、顔を近づけたら、すごい臭いがして、ウゲッ、てなりそう」
 まるで、たった今、二人の先輩から恥をかかされた、その憤りの矛先を、舞は、無力な涼子に向けるかのように、歯に衣着せぬ物言いをした。
 涼子は、その発言で傷ついたという意思を示すべく、舞に向かって、軽くにらむ目つきをし、ちょっとだけ頬を膨らませてみせた。
「あ、言っちゃったね、舞ちゃん。すごい臭いがして、ウゲッ、てなりそう、だなんて。あたしたちでさえ、南さんの気持ちを考えて、そのことだけは、言わなかったのに」
 香織は、つり上がり気味の目を、ぎょろっと見開く。
「だってぇ、だってぇ、本当に、そう思っちゃうんだしぃ……」
 舞は、悪びれもせず、言い訳っぽく口にする。
「だけどね、舞ちゃん。大好きな人の臭いなら、たとえ、どんな激臭でも、全然、気にならないはずだよ。恋って、そういうものでしょう? だから、取りあえずは、試しに、南せんぱいの、あそこの臭いを、近くまで行って、くーんくんっ、て嗅いでごらん。それで、どうしても無理、触りたくないって思ったら、そのまま、回れ右して戻ってくればいいの。はい、何事も、やってみることが大事。ささっ、ゴーゴー、レッツゴーッ」
 香織は、アニメの萌えキャラクターみたいな調子で、舞を促す。
 やがて、舞の表情が、デレデレと崩れていった。
「じゃあ……、ちょっとだけ……。いいんですよね? 先輩っ」
 涼子の立場など一顧だにせず、舞は、香織にだけ確認を取る。
「もちろんよ」
 香織は、勝手に快諾する。
 涼子は、その場に立ち尽くしたまま、心の中で、取り憑かれたように呪文を唱え続けていた。
 わたしは、奴隷なのよ……。
 高校三年生であり、バレー部のキャプテンを努めてもいる、わたしと、まだ、中学を卒業したばかりの一年生であり、か弱さを絵に描いたような体つきの、彼女という、先輩後輩の上下関係、あるいは、フィジカル面での強弱など、今は、考えるにも値しない事柄だ。また、かつては、女同士でありながらも、彼女が、ゆでだこのように赤面しながら、わたしに、ラブレターを手渡してきた、あの過去の記憶も、忘却の彼方へと消し去るべきだろう。
 要するに、わたしと、彼女の力関係は、もはや、完全に逆転しており、その落差は、天と地ほどもあるということ。
 だから、支配者側に付いている、彼女が、奴隷である、わたしの体の、性的な部分の臭いを確かめたいのなら、それを、黙って受け入れるべきなのだ。その結果、もしも、彼女が、満足感を示すのなら、わたしは、感謝の念を持てばいいし、逆に、彼女が、『くさい』と不快感を露わにしたなら、わたしは、ごめんなさい、と頭を下げればいい。
 ただ、それだけのことよ……。
 怖くなんかない……。
 悲しくなんかない……。
 屈辱なんかじゃない……。
 しかしながら、涼子は、足立舞の顔つきを、改めて目にし、思考途絶するほど唖然とした。今や、舞は、よだれを垂らさんばかりに、だらしなく口を半開きにし、支配者側の者というより、正反対に、女子高生の身分でありながら、この世の底辺まで、堕落しきった人間のごとき風情を漂わせていた。
 その舞が、一歩、二歩と、こちらに向かって足を踏み出した。
 まもなく、舞の足取りが、とととっ、と早まったのを見た直後、涼子の脳裏に、めくるめく閃光が走った。その光の中に映し出された、卒倒しそうになる情景。全裸で立つ自分の足もとに、幼い妖魔じみた女子が、ちょこんとしゃがみ込む。自分としては、堪らず腰を引きたいところだったが、感情を殺して直立し続ける。すると、その女子は、さらに、すーっと、こちらに顔を寄せてきた。それこそ、陰毛に、鼻先が触れるか触れないかという、超至近距離まで。そして、彼女は、ある種のエクスタシーに浸りきっているかのような、とろんとした眼差しで、鼻をひくつかせ始め……。
 次の刹那、涼子は、弾かれたように、後方に飛び退き、さらに、左手で、さり気なくVゾーンを半分ほど隠す。
「え、え、えええ、えっ……。ちょっ、ちょっと待って。ごめん……。これって、いくらなんでも、おかしく、ない……?」
 なるべく、落ち着いて対応したかったが、出る声が、一オクターブほど高くなっていた。
 その場に、時間が止まったかのような空気が流れる。
「どうしたの? 南さん……。早くも、いい子を、続けられなくなっちゃったの?」
 香織が、皮肉な口調で言う。
「ううんっ! 違う、違う! わたしのほうは、別にいいんだけど、この子に、ショックを与えるのは、可哀相かなぁー、なんて、思ってさ! だって、わたしの、『ここ』、めちゃめちゃ蒸れてたから、絶対、気絶しちゃうほど、くさいだろうし……。だから、やめておきなっ? ねっ?」
 涼子は、目の前にいる舞に対して、幼児をあやすように笑いかけた。かろうじて、おおらかな態度を取り繕ったものの、心臓が乱調を来たし、ばくばくと音を立てていた。
 舞は、呆気に取られた様子で、ぱちぱちとまばたきをする。それから、香織のほうに、何かを訴えるような視線を向けた。
「舞ちゃん、舞ちゃん……。南せんぱいったら、どうも、舞ちゃんに幻滅されるのが、怖くて怖くてしょうがないみたい。舞ちゃんには、いつまでも、かっこいい女だと思われていたいみたい。どうする? そんな南せんぱいの女心を傷つけないよう、ここは、引いてあげる?」
 香織は、しんみりと舞に訊く。
 すると、舞は、しゅんとなった。その姿は、彼女が、涼子の肉体に関することに対して、およそ正常ではない程度の好奇心を抱いている、という事実を、如実に現していた。
 涼子は、なんともいえぬ忌まわしさを覚える。

「南さんさあ、あなた、自分の口から、『わたしは、奴隷だ』って言ったよね? だから、南さんは、ようやく、自分の立場を自覚したんだなって、あたし、嬉しくなってたんだけど……、やっぱり、あなた、プライドを捨てきれてないっぽいねえ……。あたしとしては、お互いに、気持ちよくセクシーショーを始めたいから、あなたには、正々堂々と、まん毛の検査を受けてもらいたいんだけど、ダメ? 無理? 苦痛すぎる?」
 香織の機嫌が、だんだんと悪くなっていくのを感じる。
「いえ! ごめんなさいっ! あの、わたし、南涼子は! 奴隷として、正々堂々と、まん毛の検査を受けることを誓います! どうぞ、よろしくお願いしまーっす!」
 涼子は、生徒会長然とした語気で宣誓したが、むろん、その覚悟が決まっているわけではなかった。
「そう……。立派な心意気ね。安心した。じゃあ、南さんの、まん毛の検査は……、『仲間』である、滝沢さんに、お願いしようかな……。ちょっと待っててね」
 香織は、そう言い残すと、きびすを返して移動する。自分のバッグの置いてあるところに行くと、チャックを開け、その中を漁り始めた。やがて、一枚の写真を取り出し、こちらに戻ってくる。その写真が、秋菜に手渡された。
 目を凝らして見ると、秋菜が手にしたのは、彼女の保健の教科書に貼り付けられた写真と、同一のものだった。つまり、一糸まとわぬ全裸姿の涼子が、両手を頭の後ろで組み、服従のポーズを取っているところで、その全身が写っている。何より目を引くのは、むろん、逆三角状に燃え盛ったような、陰毛の黒い茂みである。あの写真は、たしか、一週間半ほど前に、ここ体育倉庫の地下で撮られたのだった。
「この写真と見比べて、南さんが、まん毛の処理をしてないか、よーく確かめて。よーく、ね」
 香織が、秋菜に念を押す。
「はい。承知しました。わたしが、責任を持って、あの女が、吉永さんの命令を遵守してるかどうか、もう、それこそ、徹底的な検査を行いますので、お任せください」
 秋菜は、大企業の重役に仕える、敏腕の秘書のように答える。
 そうして、すぐさま、こちらに歩き始めた。
 涼子は、ごくりと生つばを飲み込んだ。
 秋菜は、取り澄ました態度で、つかつかと近寄ってくる。
 冷ややかな印象を放つ目つき。中分けのストレートヘアを、胸もとで内側にハネさせた、エレガントな髪型。夏場でも汗ひとつ掻かなそうな、いかにも涼しげなオーラ。しっとりとした声質。そして……、普段の高校生活において、涼子が、どんなに熱烈にアプローチし続けても、よそよそしい反応しか示してくれなかったクラスメイトであること。
 やっぱし……、わたし、この子が、ものすごい苦手……。
 涼子は、今さらのごとく、滝沢秋菜という生徒に対しては、どうしてもアレルギーが生じてしまうことを自覚した。
 しかも、嫌なのは、今、こちらに向かってくる秋菜の顔には、見るからに底意地の悪そうな冷笑が浮かんでいることである。まるで、全裸の奴隷である涼子のことを、ことさら挑発するかのように。
 その秋菜の顔つきを見ているうちに、涼子の胸の内では、消えていたはずの対抗心が、にわかに燻り始めた。
 この子にだけは、下に見られたくない……。
 いかなる状況下であろうと、対等な関係でありたい……。
 わたしが、奴隷だということを、今さら否定しても仕方がないだろう。でも、でも、それならば、同じ『仲間』である、滝沢さんだって、奴隷のはずじゃないの!? もちろん、恐ろしく次元の低い話であることは、百も承知だけれど……。なのに、パンツまで脱がされて、最低限の尊厳さえも奪われている、わたしと、しれっと制服を着たまま、普通の女子高生を気取っている、滝沢さんの、このアンバランスさは、なんなの!? こんなの、不公平じゃないの! 理不尽じゃないの! さらには、その滝沢さんに、わたしは、下の毛の生え具合まで、一方的に調べられるなんて……、悪い冗談でしょう!?
 信じられないことに、すでに、その秋菜との距離は、二メートルを切っているように思われた。
 涼子は、パニックにおちいり、無自覚のうちに、どたどたと後退していた。そうして、Vゾーンを正面から見られたくない、という意識が働き、秋菜に対して、斜めに構える体勢になる。
「ねえねえ、ねえっ! 待って! そこまで近づいてこなくても、よくない!? だって……、だってさ、滝沢さん、その、持ってる写真と、見比べて……、わたしが、ここ、この、まん毛? 剃ったりしてないことが、わかればいいんでしょ? だったら……、もう、この距離で、充分、確認できるよね?」
 角が立たないよう、限りなく穏やかな口調で、ささやかな抗議をした。
 しかし、秋菜は、耳を傾ける素振りすら見せず、なおも、こちらに進んでくる。
「やっ、やっ、やぁ……。お願いだから、待ってぇ……。それ以上、こないでぇ……」
 スリラー映画のシーンでよくある、殺人鬼に迫られている者のごとく、涼子は、不可抗力的に後ずさりし続ける。
 まもなく、秋菜は、苛立ちを露わに舌打ちすると、いきなり早歩きになり、一気に距離を詰めてきた。
「いちいち、逃げるんじゃないわよっ!」
 左の二の腕を、秋菜に引っつかまれ、涼子は、乱暴に身を引っ張られた。そのまま、秋菜の体に激突しそうになり、後ろに重心をかけて急停止する。
 身長差は、五センチあるかないかで、涼子のほうは、裸足なのに対し、秋菜は、革靴を履いている。そのため、もはや、互いの息遣いが聞こえるような距離で、涼子と秋菜は、顔と顔を突き合わせる形となった。
 目の前の、冷然と整った目鼻立ちをした少女は、ほどなくして、勝ち誇ったように、ふんっ、と笑い声を漏らし、それから口にする。
「念のために言っておくけど、今から始めるのは、純然たる検査だからね? わたしとしては、心底、嫌なんだけど……、多少、『触診』もすることになるの。だからといって、あんた、変な気を起こさないでよ? もしも、検査の途中で、『濡らして』ることがわかったら、あんた、わたしに対する侮辱と見なして、半殺しにするわよ」
 涼子の耳に、秋菜の発言は、ほとんど意味不明な言語にしか聞こえなかった。しかしながら、動物としての本能が、肉体に警告を発しているせいか、自分の呼吸が、獣のように荒々しくなっていることに気づく。
 そこで、今さらながら、滝沢秋菜との距離が、異様に近いことを痛感した。
 やだっ……。わたしったら、滝沢さんの顔に、めちゃくちゃ息を吐きかけてる……。はしたないっ……。これじゃあ、まず間違いなく、口臭だって伝わってるよね……?
 不安を抱いたのも、つかの間、秋菜は、ゆるゆると身をかがめ始めた。
 涼子の目には、その秋菜の動作が、スローモーションのように映っていた。
 ふと、頭の片隅に、奇妙な疑問の念が生じる。
 この感情は、なんなんだろう……?
 あと数秒後には、自分が、人間でもなければ、生き物ですらない何か、そう、ただの肉塊に変わっているかのような、漠然とした予感……。
 ああ、これは、恐怖だ。わたしは、怖がってるんだ。具体的に、何を怖がってるのかは……、考えたくもない。けれど、おぼろげには理解してる。しいて言葉で表現するとしたら、滝沢さんとの、あってはならない距離感……。
 秋菜は、涼子の足もとにしゃがみ込むと、持っていた写真を地面に置き、左右の手を伸ばしてきた。
 その両手に、涼子は、両脚の太ももの裏側を、むんずと押さえられる。
 ついつい、下に目を落としてしまった。網膜に飛び込んできたのは、これまでの十七年間の人生で目にしてきた、どんなものよりも、非現実的かつ怖ろしい光景だった。
 岩礁に着生した藻のように陰毛の生い茂った、自分のVゾーンと、苦手意識を抱いている相手、滝沢秋菜の顔の、言語に絶する近接ぶり。自分の陰毛の毛先から、秋菜の鼻先までは、あろうことか、親指と人差し指で測れるほどしか、間隔が開いていなかったのである。
 そして、その直後、言葉の雷鳴ともいうべきものが、耳朶を打った。
「なによ、この臭い……! あんたの体のことだから、鼻がひん曲がるような激臭を嗅がされるのは、覚悟してたけど、これは、想像以上ねえ! なんかもう、ウンコとゲロとヘドロを混ぜて、ぐつぐつ煮てみました、みたいなレベルの、最低最悪な臭いがするわ!」
 秋菜は、ハハハハハハハハハッ、と天井を突き抜けるような高笑いを響かせた。
 とうとう、涼子のなかで、理性を司る大事な糸が、ぶつんと切れた。
「うわわあああいやああああああぁぁっ!」
 涼子は、爆発した感情を吐き出し、秋菜の両手の力に逆らって、勢いよく後退しようとした。
 だが、秋菜は、そうはさせまいと、なんと、今度は、ひとかけらの躊躇もなく、涼子のおしりを、ぐっと両手で押さえてきたのだった。
 むき出しの、それも、あぶら汗にまみれた、おしりの肉を、秋菜に、わしづかみされたことに対する、激烈な拒絶反応が起こり、涼子の肉体は、びくんびくんとけいれんした。
「暴れるんじゃないわよ! じっとしてないと、また、手加減なしに、顔を、ぶん殴るわよお? ほらっ、ちゃんとこっちに、腰を突き出しなさいよ!」
 強引に腰を引き寄せられるがままに、直立、というより、秋菜の顔の前へと、恥部をせり出すような体勢を取らされる。いや、そればかりか、全力で足を踏ん張っていなければ、次の瞬間にも、自分の、おびただしい量の陰毛が、秋菜の鼻に覆い被さりそうで、涼子は、まるで、この世と冥界の狭間を漂っているような心地だった。
 たとえ、気心を知り尽くした友人同士だとしても、もちろん、これほどまでに距離感を狭められる事態に至ることはない。
 そもそも……、自分と、滝沢秋菜の関係は、どのようなものだったか……。
 涼子の脳裏に、つい一ヶ月ほど前の、青春のほろ苦い思い出となった、ある情景が、ぼんやりと映し出される。



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