バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十五章
もどかしい距離感
6



「まあ、いいわ……。限りなく黒に近いように思えるけど、確証を得られたわけでもないから、不問にしてあげる。わたしって、奴隷である女にも、これほど寛大になれちゃうんだから、自分で言うのもなんだけど、性格がよすぎるわね」
 秋菜は、しみじみとした口調で言う。
 涼子は、開かされていた両脚を、そろそろと閉じていく。
 どうして、今、わたしの目からは、一粒の涙も流れ落ちないのだろう……。
 わたしは、いかなる時であろうと、人前では、決して泣けない性格の女の子だったっけ……。いや、そんなことはない。今日に至るまでの部活の練習を振り返ってみれば、悲しさや、悔しさのために、何度となく、めそめそと涙をこぼし、同学年の部員たちから慰められてきたし、また、大会の試合では、手も足も出ないまま惨敗を喫した直後、キャプテンとしての自分の不甲斐なさを痛感させられ、人目もはばからず、泣きながらコートを去ったこともある。
 なのに、なぜ……。
 こんな女たちにだけは、情けない泣き顔を見られたくないという、意地みたいなものは、むろん、ないわけではない。だが、どちらかというと、すでに、涙が涸れ果てるまで泣いた後のような、そういう状態に近い気がした。

「そういえば、あんたには、あと一つ、肛門のほうの検査を受ける義務も、残ってるんだったわね。その検査は、吉永さんたちが、担当してくれるみたいだけど……。でも、吉永さんたちの、手をわずらわせるのも、申し訳ないし……、もう、この際だから、いっそ、わたしが、あんたの、肛門周りの毛まで、調べてあげるわよ! ほらっ、今すぐ後ろを向きなさいっ!」
 秋菜は、涼子の腰の両脇に、両手を当ててきた。
 体の向きを、無理やり変えられそうになるが、反射的に足を踏ん張って抵抗する。
「やだ! やめてぇっ! それだけは、いや!」
 涼子は、足もとにしゃがんでいる、秋菜に向かって、大声でわめいた。
 目と目が合う。秋菜の顔を、何時間かぶりに見た思いである。
 すると、秋菜は、気だるげな態度で立ち上がり、凄むように顔を近づけてきた。
「なんなの、あんた……。やっぱり、わたしにだけは、うんこの出る穴なんて、何があっても見せられないんだ? わたしに幻滅されるのが、死ぬほど怖い? あわよくば、高校卒業までに、一度くらい、わたしと、レズエッチできるかも、みたいに、まだ夢を見てるんでしょ? あんたってさ……、ホンット、とことん気色悪い女ね」
 目の前の、冷然と整った目鼻立ちをした女が、口を動かすたび、無臭の呼気が、涼子の顔にかかってくる。
 涼子としては、当然ながら、そんな秋菜のことが、憎くて憎くて堪らなかった。しかし、そうなると、もどかしい距離感で接していた頃よりも、一層、対抗心の火に油を注がれる。だから、秋菜に、不浄の穴まで見られるなど、まかり間違っても受け入れられないことだった。
 
 秋菜は、身をひるがえすと、ようやく、涼子のそばを離れた。香織たちのところへ戻っていく。
「吉永さーん。この写真と見比べて、厳正に検査した結果、あの女は、いちおう、吉永さんの命令を遵守している、というのが、わたしの見解です。なので、まん毛の検査は、合格、でいいんじゃないかと」
「ご苦労だったね、滝沢さん」
 香織は、写真を受け取り、秋菜をねぎらう。
「実際、苦労っていうか……、正直、かなり苦痛だったわぁ……。だって、あの女のケツなんて、汗で、どろっどろなのに、そこを、ずっと押さえてる必要があったし、最終的には、やらしい汁が混じってそうな、股の汗までもが、手に付着するのも、我慢しないといけなかったし……。しかもしかも、しゃがんでると、上から、あの女の、腋汗っぽいしずくが、わたしの、髪の毛や制服に、ぽたぽた垂れてきたのよ? 吉永さんに依頼された仕事とはいえ、検査してる途中、なんで、わたしは、こんな悲惨な目に遭わないといけないんだろうって、泣きたくなっちゃった……。もう、今日は、紛れもなく、人生最悪の日よぉーん」
 秋菜は、香織の同情を買おうとしているのか、猫撫で声を出して嘆く。それから、方向を変えて、ふたたび歩きだした。自分のバッグの置いてあるところに行くと、チャックを開け、おもむろに制汗スプレーを取り出す。『仲間』同士、まだ、お互いに衣類を身に着けていた時、自己保身のために、涼子の恥部を、スパッツ越しにつかんできた後と、まったく同じ行動だった。殺菌効果を期待してのことらしく、自身の両の手のひらに、念入りにスプレーを吹きかけている。
 香織が、その秋菜に向かって口にする。
「それはそうと、滝沢さん。あなた、まだ、南さんに、ちゃんとした返事をしてなかったよね?」
「返事……?」
 秋菜は、制汗スプレーをバッグにしまい、やおら腰を上げる。
「そうだよ……。南さんは、あなたに、公然告白したじゃないの。それも、おそらくは、南さんにとっての初恋だよ。初恋の相手である、あなたと、結ばれたいって、強く願ってるのよ。まあ、南さんの場合は、純真な恋愛感情だけじゃなく、薄汚い下心も、相当、入り混じってるみたいだけどさ……。たとえば、滝沢さんの、裸を、隅から隅まで観察したいとか、体の柔らかいところを、揉んでみたいとか、あとは、舐めてみたいとか、ね……。でもだけど、なんにせよ、滝沢さんのことが、好きで好きで仕方がないことに、変わりはないの。そんな南さんを、いつまでも焦らし続けるのは、可哀相すぎない? そろそろ、南さんと、女同士だけど、本気で付き合ってもいいと思うのかどうか、返事をしてあげたらどうなのよ?」
 香織は、賄賂を要求する政治家のごとき、恐ろしく卑しげな顔つきで話す。
 一方、秋菜は、目をしばたたきながら、香織を見返している。が、その数秒後、諦めたように小さく笑うと、緩やかな動作で、涼子のほうに体を向けてきた。
 意味深な沈黙が流れる。まるで、秋菜が、涼子の顔立ちや体つき、それに性的部分に至るまで、改めて品定めしているような、そんな空気である。
 涼子は、両肩を抱いて縮こまっていたが、今さらながら、コンプレックスのあるVゾーンの陰毛部を、無性に手で隠したくなった。
「わたし……、女同士には抵抗がある、とか以前に、体臭がきつかったり、体毛が濃すぎたりする人って、生理的に無理なの……。だから、ごめんなさい」
 秋菜は、しおらしい少女みたいに、体の前で両手を重ね合わせ、深々と頭を下げてみせた。
 あたかも、本当に、告白を断られているかのようなシチュエーションであり、涼子としては、なおさら体面を汚された心持ちだった。
「ちょっとちょっと! 滝沢さんっ。あんたには、人の心ってものが、ないの!? 振るにしても、その物言いは、いくらなんでも、残酷にもほどがあるよ! 乙女の恋心が、いかにデリケートか、くらいは、あんただって、同じ女なんだから、わからないはずがないよね? さすがに、あたしとしても、今のは、看過できない発言だった。まったく、少しくらい、南さんの気持ちも、汲んであげなさいよ」
 香織は、ひくひくと笑いを堪えながらも、いかにも義憤を覚えている者っぽく振る舞おうとする。
「……うーん、そうねえ」
 秋菜は、左手を頬に当て、なにやら、幾分、自省しているような素振りを示した。
 むろん、それは、単なるポーズに決まっている。むしろ、次は、どのような言葉で、涼子を侮辱してやろうかと、頭をひねっているところなのではと思われる。
 そして、案の定、その予想は的中した。
「わかったわ。南さぁーん、あんた、後輩たちも見てる前で、素っ裸にさせられたうえ、体毛検査まで受けさせられるなんて、もう、人権も何もあったもんじゃないわねえ。そんな、救いようのないほど惨めな、あんたに、わたしが、情けをかけてあげる……。わたし、申し訳ないけど、どうしても、あんたとは付き合えない。だけどね、もし、あんたが、わたしの、体だけでも欲しいって望むのなら……、わたし、今この場で、おっぱいくらいなら、じかに触らせてあげても、いいわよぉ?」
 秋菜は、セーラー服の胸もとを、わずかばかり、両手ではだけてみせ、こちらに顔を突き出した。
「え!? やったじゃーん、南さんっ。なんとなんと、滝沢さんの、生おっぱいだってよ? 滝沢さんの体に、エッチなことをする時が来るのを、ずーっと待ち焦がれてたんだもんね? ついに、その夢が叶うんだよ? もう、欲望を制御するなんて、不可能でしょ? ささっ、早く、滝沢さんのところに行って、心ゆくまで、おっぱいを揉み揉みしちゃいなよお!」
 香織は、自分自身のほうこそ、性的に興奮しているような口振りで、涼子をせき立てる。
 涼子は、眉を寄せて視線を落とし、顔をしかめた。
 滝沢秋菜の乳房など、大金を積まれても触りたくない。
 が……、いずれ、その時は訪れるはずだ、とも思っている。いや、信じている。
 そう。復讐のために。
 たとえ、悪魔に魂を売ってでも、今日この場において、自分が味わったのと同じ屈辱を、秋菜の身に与えてやるという、確固たる決意。いつの日か、それが成就した時、あの、やたらとプライドの高そうな滝沢秋菜は、金切り声を上げて泣き叫ぶに違いない。また、その声は、きっと、自分の耳に、心地よく響くことであろう。
 とはいえ、秋菜の裸体に手をかける、その自分の姿を想像するのが難しいのも、また事実だった。

「どうしたの? 南さん……。あなた、すでに、滝沢さんから、恋人同士の関係にはなれないって、振られちゃってるの。そのこと、自覚してる? だったら、せめて、滝沢さんの体に、性欲をぶつけたいって、そう思わないわけ? あたし、断言できる。あなた、このチャンスを逃したら、大人になっても後悔し続けるよ。あの時、初恋の相手である、滝沢さんの、おっぱいの感触を、ちゃんと確かめておけばよかった……、ってね」
 香織は、まるで、人生の大先輩のごとき風情である。
 涼子は、それを聞き終えると、コンクリートの地面を、半目で眺めながら、一度、二度、三度と、静かに首を横に振った。
「はっ……。とんだヘタレ女だわ。バレー部のキャプテンが、聞いてあきれる。そんなんだから、滝沢さんのことを、振り向かせることができないのよ。それとも、まさかとは思うけど、ここで、下手に下心を見せなければ、いずれ、滝沢さんに、再アタックできる、とか勘違いしてるんじゃないでしょうね? 無駄だよ、無駄……。とにかく……、南さんの思い描いてた、滝沢さんとの恋物語は、見るも無惨な形で、終焉を迎えました。ちゃんちゃん」
 香織は、突き放すように言った。
 恋物語……。
 涼子は、以前から抱いていた、茫漠たる違和感の正体に気づいた。
 吉永香織という女の口からは、どうして、こうも、同性愛にまつわる発言が、ぽんぽんと飛び出してくるのだろう……。普通の女子高生だったら、そういった発想が、頭に浮かぶこと自体、めったにないものと思われる。ひょっとすると……、香織は、自己の内面に関することを、そのまま吐き出しているのでは……?
 そこまで思い至った直後、涼子の胸の内では、言葉で表現できない感情が渦巻いたのだった。



次へ

登場人物・目次
小説タイトル一覧
メニュー
トップページ

PC用のページはこちら

Copyright (C) since 2008 同性残酷記 All Rights Reserved.