バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十五章
もどかしい距離感
7



「さてさて……、それじゃあ、南さん、本題に戻ろうか。たった今、大失恋したばかりで、傷心の南さんに、追い打ちをかけるようで、あたしも、少々、胸が痛むんだけどさ、今から、ケツ毛の検査を受けてもらうよ。まあ、さっき、乙女心全開にして、滝沢さんと、舞ちゃんにだけは、おしりの穴、絶対に、見られたくありませーん、って叫んだんだもんね? あたしも、その点は、約束どおり、南さんの希望にそった形にするよ。だから、あたしと、さゆりと、明日香で、あなたの、ケツ毛の生え具合を調べる。それなら、もちろん、納得よね? 心の準備は、オッケー?」
 香織は、愉快げに問うてくる。
 胸の底に、悲しみのしずくが、ぽつりと落ちる。しかし、ただそれだけのことだった。恐怖や、悲嘆や、憎悪といった強い感情は、不思議なくらい隆起してこない。
 涼子は、どちらかというと、虚無の闇と向き合っている境地だった。現在、自分の置かれている状況を鑑みれば、人間の心理状態として、極めて不自然であることは、自分自身でも、おぼろげながら認識している。もしかすると、自分は、魂の荒廃により、とっくに、廃人と化しつつあるのかもしれない。
 しかし、自分を褒めたいことに、脳細胞のどこかでは、どう行動するのが、自分にとって最善なのかと、わりと冷静に、思考を働かせていた。
 確実なこと。それは何かといえば、今の自分には、拒否権がない、ということだ。また、香織たちが、翻意する可能性は、万に一つもあり得ない。すなわち、これから、自分が、たった今、香織の言ったとおりのやり方で、辱めを受けることは、すでに確定しているのだ。だが、滝沢秋菜と足立舞の二人が、それに加わらないのであれば、その点だけは、正直、せめてもの救いである。考えようによっては、この辺りが手の打ち所、という見方もできる。それならば、受け入れる意思を、香織に示すべきなのではないか。
 けれども、と思い留まる。
 自分のおしりの割れ目が、おそらくは、香織の両手の指で、左右に押し広げられ、その奥の光景が、つまり、女の子にとっては、ともすると、恥部より見られたくないと感じる部分が、三人の、観察対象となるのだ。わかり切ったことだが、きっと、審美性は、最悪だろう。下手をすると、臭いまで……。
 ああ、もう、考えないほうがいいな。
 涼子は、そこで、ごく近い未来に関する思考を、頭から追い払った。それから、つと、香織のほうに視線を向けると、誠意ある態度を意識し、口を開いた。
「はぁい」
 自分の耳にも、それは、とても柔和な声に聞こえ、我ながら意外の感に打たれる。
 あれ、わたしの声って、こんなに女性らしかったっけ……?
「はぁぁい」と、後輩の石野さゆりが、面白がって涼子の口真似をする。
「うーん、とっても、いいお返事ね。どうやら、ケツ毛の検査を受けることに、ちゃんと、納得してくれてるみたいで、感心、感心……。よし、南さんは、そこ、動かないで……。さゆり、明日香、行くよっ」
 香織に促され、三人が、揃って動き始めた。
 彼女たちは、涼子に対する、優越感に満ちあふれた態度で、こちらに近寄ってくる。
 そうして、香織とさゆりが、横を通り過ぎ、涼子の背後に回った。
 が、竹内明日香だけは、涼子の目の前で、意味ありげに足を止めた。
 涼子は、ちらりと、明日香の顔を見たが、その人間離れした美貌を前に、今回で何度目だろう、息を呑むような心地になり、色々な意味での劣等意識から、すぐに、おどおどと視線を落とした。自分は、ひとりだけ全裸姿という悲惨な状況下で、数奇な運命にも、テレビや映画で活躍する、トップモデルに遭遇してしまったのではないかと、そんな非日常的な錯覚すら覚える。
 まもなく、自分の真後ろにいる、香織たちが、しゃがみ込んだのを、気配で悟った。
「毎度、毎度、思うんだけどさ……、相変わらず、きぃーったないおしりだねえ。なに? なんで、寒い季節でもないのに、いっつも、こんなに鳥肌が立って、うぶ毛が、全体的に、びっしりと逆立ってるわけ? 文字通り、鳥の肌を見てるようで、キモいんだけど。それにぃ、よくよく観察すると、毛穴の黒ずみも、けっこう、ぶつぶつと目立ってるし……。あたし、このおしり見ると、極太うんこのイメージで、頭の中が、いっぱいになっちゃうんだよね」
 きっと、香織のほうも、涼子の女心を傷つける意図というより、むしろ、同性としての率直な意見を、忌憚なく述べているに過ぎないのだろう。
「わりと色黒の肌だし、風船が、二個、並んだような、デカケツだから、よけい不潔な感じに見えちゃうんでしょうね。それに、今日は、オイルを塗りたくったように、汗で、でらでらと濡れ光ってるせいで、一段と、ひどい有様ですよ。なんか、見るからに、ケツの表面にも、人体に有害な、ばい菌とか、寄生虫の卵とかが、一ミクロンの隙間もなく、こびり付いてそーう」
 さゆりは、おどろおどろしい声で言う。
 汚い。不潔。便のイメージ。ばい菌だらけ。侮辱され放題であるが、いよいよ、それらの極致ともいうべき部分を、香織たちの目に触れさせるのだ。ただ、よく思い返せば、香織も、さゆりも、明日香も、ほとんど一瞬かもしれないが、涼子のその排泄器官を、一度は目にしているはずである。考えたくもないことではあるが……。しかし、今度ばかりは、香織が、『検査』的な形式にこだわっているため、三人が、たっぷりと時間をかけて、毛の生え具合を筆頭に、視覚的特徴について子細に調べてくるのは、ほぼ間違いないと覚悟するべきだろう。
 
 ああ、苦しい。惨めすぎて、わたし、やっぱり、ものすごい苦しい……。
 涼子は、それまで向き合っていた、優しい虚無の闇が、残酷な神によって、しだいに取り払われていく境地におちいった。
 その後、視界に浮かび上がった光景を主として、聞こえてくる物音や、全身の肌に伝わってくる感覚情報など、五感全体で感じ取ったのは、目のくらむほど怖ろしい現実だった。
 気づけば、自分の体は、中枢神経系に異常を来したかのように、がたがたと震え始めていた。
 明日香が、そんな涼子の様子を、好奇の眼差しで見つめているのは、その表情を確認するまでもなく明らかだった。
 しかし、涼子は、あえて再度、明日香の顔に視線を向けた。
 今から十数分前だろうか、プライドを捨て去り、明日香と、目と目を見合わせていた時と同様、そのフランス人形のような美少女の顔には、一見、親愛の情の表れとも捉えられる、魅惑的な微笑が浮かんでいる。だが、今は、確信できる。彼女の口もとは、底無しの悪意に歪んでいるのだ、と……。なにしろ、彼女は、死神のごとき、変態サディストなのだから。
 そこで、これから開始される、『検査』のことを考えると、先ほど、自分の下半身に、この女が、背後から絡みついていた時の、あの出来事を、嫌でも想起してしまう。
 そう……。
 涼子のおしりの割れ目に、明日香は、鼻を寄せると、女の子にとっては、ある意味、もっとも嗅がれたくない臭いである、便の残滓の臭気を、あからさまに吸い込んできたのだった。その瞬間、自分は、それこそ、死の恐怖にも似た恥ずかしさに襲われ、自我を喪失しかけたことまで、ありありと思い起こされる。
 しかし、今度は、なんといっても、おしりの深部を調べられるのだから、自分は、あの時以上の、はなはだしい恥辱を味わうことになると、そう考えざるを得ない。
 わたし、本当に、壊れちゃうかも……。
 見た目だけは人間である、肉塊。コンクリートの地面に転がっており、目は開いていても、何も見えておらず、耳に音が届いていても、何も聞こえておらず、口は付いていても、何も喋れないという、まさに、粗大ゴミのごとき物体と化した自分の姿が、脳裏に、白黒映像でちらつく。
 すると、未知への恐怖、いわば、動物としての、本能的、原始的恐怖が、一気に増幅し、とうとう、自分の体は、頭部まで、とくに下あごが、小刻みに震え始めた。それを抑えたい思いで、歯を食いしばるも、奥歯が、かちかちと鳴り続ける。
「うーん?」
 明日香は、いつものあの、人を挑発するような声を出した。もしかすると、怯えきった涼子の姿に、なおさら嗜虐心をくすぐられる気分なのかもしれない。
 涼子は、あごを引いて上目遣いになり、拗ねるように、震える唇を、きゅっと突き出した。浅ましくも、またぞろ、明日香を相手に、媚びた表情を作ってみせたのである。まさしく、絶対的支配者を前にして、無力な奴隷が、必要以上に卑屈になる構図そのものだと、自分のことながら深く感じ入る。
 明日香……、明日香も、これから、わたしの体の、その……、一番、汚いところの、『検査』に加わるつもりなんでしょ? 当たり前のことだけど、わたし、そこを見られるだけでも、胸の中を、むちゃくちゃにかき乱されるくらい、恥ずかしい。それなのに、もしも、あなたから、また、あの……、さっきみたいに、臭いまで確かめられるなんてされたら、わたし、屈辱感というか、劣等感というか、あるいは、絶望感というか、たぶん、そういうのが一緒くたになった、想像も付かない感情に襲われて、本当に、壊れちゃいそうなの。一生のお願いだから、わたしの、心を、体を、人生を、壊そうとしないで……。
 そのように、目で語りかけているうち、明日香も、そろそろ飽きてきたとばかりに、すーっと移動し、涼子の背後に立った。それから口にする。
「りょーちんの体、すっごい震えてるぅ……。ケツ毛の検査されるのが、よっぽど怖いみたい。可哀相な、可哀相な……、りょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ、ちぃんっ!」
 最後のかけ声と同時に、明日香が、上から叩きつけるように勢いよく、涼子のおしりを、両手でつかんできた。
「どっひゃああぁぁぁぁっ!」
 涼子は、驚愕に満ちた奇声を発し、文字通り跳ね上がった。ただでさえ、極限の恐怖にさらされ、精神面が、著しく脆弱になっているというのに、不意打ちで、無情の一撃を喰らった格好だった。
 しかも、明日香は、すでに、腰を落としているらしく、そのまま、涼子のおしりの肉を、やわやわと両手で揉んでくる。まるで、涼子の心にまで、爪を立てるかのように。
 その悪魔の所業により、涼子のメンタルは、破滅的影響をこうむった。
 恐怖や悲嘆が、もはや、耐えうる限界を超え、それが引き金となって、感情を制御する機能が働かなくなる。
「んわああああああああぁぁぁぁぁん……」
 涼子は、涙こそ出なかったものの、恥も外聞もなく泣き声を上げた。
「……ははあああはっはっははあはぁぁぁぁぁん」
 今まで、負の感情が、溜まりに溜まっていたのだが、その防波堤が決壊したことで、身も心も、錯乱の渦に呑み込まれており、一向に声が止まらない。
 一方、明日香は、それを聞きながら、涼子の耳には、不快な音として、すっかりこびり付いている、あの、笛の音のような笑い声を立て始めた。
 人を疑うことを知らぬ、純朴なバレー部のキャプテンは、浅はかにも、密偵活動のために部内に潜り込んだマネージャーを、仲間として受け入れてしまったがゆえに、恐るべき奸計に絡め取られ、その結果、両者の関係は、行き着くところまで行き着いたということ。その冷厳たる現実を色濃く反映する、両者の対照的な声音の重なり合いが、まさしく、この世の地獄に似つかわしい不協和音となって、長いこと響き続けていた。



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