バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十六章
壊れかけの偶像
2



「まったく、身の程知らずな女ねえ……。あんた、奴隷の身分のくせに、一般家庭の女子高生である、吉永さんに対して、なんてことしてんのよ!? 聞くに堪えない暴言を吐くわ、暴力を振るうことまでするわ……。時代が違っていれば、あんたなんか、その日のうちに、存在ごと抹消されるほどの、重罪よ。厳しい処罰が下されることを、覚悟しておきなさい」
 滝沢秋菜は、凍ったように人間味のない目つきで、涼子を見下ろしている。
 その隣に立っている明日香が、ふふっ、と笑う。
 そうなのだ……。現在、涼子の身を拘束している、見えない首輪から伸びた、その鎖を、直接、握っているのは、本来は『仲間』であったはずの、この滝沢秋菜なのだ。だから、涼子は、香織たち以上に、秋菜に対して、恭順の姿勢を示さねばならない。また、その秋菜は、涼子が、香織たちに謀反を起こさないかどうか、常に目を光らせている。
 まさしく、絶望にうなだれるしかない、がんじがらめそのものという状況である。
 それにしても、たった今、秋菜から加えられた打撃は、三、四十分ほど前の、つまりは、一発目のビンタよりも、はるかに強烈に感じられた。ただ、それもそのはず。なにしろ、平手で頬を叩かれた、などという表現では生ぬるく、正確には、相撲の突っ張りのごとく、掌底で、あごを横に打ち抜かれたのだから。
 現在は、脳しんとうを起こしているせいで、とても立てないほどの、激しい目まいの症状があり、そのうち、乗り物酔いみたいに、吐き気を催しそうである。絶対安静。それが何より大事なのは、医学的知識がなくとも、容易にわかることだった。しかし、悲しいかな、自分を取り巻く状況が、それを許してはくれない。あと、心配なのは、やはり、あごの状態だった。実際のところ、自分の下あごは、すでに、外れているのではないか、とさえ思う。なぜなら、下顎骨に、経験したことのない違和感があるし、痛みを意識すると、じんじんとした鈍痛が、頭骨全体に響いてくるのを感じる。
「それで……、あんた、いつまで寝転んでるつもりなの? まず、やるべきことがあるでしょう? 殴られたことで、いじけてるんだか知らないけど、本当に、あきれ返るしかない、意固地な奴隷ねえ。このまま、わたしの責任問題に発展したら、たまったもんじゃないから、いちおう、警告しておくわ。吉永さんは、とっても心優しい人だから、あんたに甘かったけど、わたしは、そうはいかないからね。わたしが、調教師として、あんたが、まっさらな心をした奴隷となり、吉永さんたちの足もとに、自ら進んで、ひれ伏すようになるまで、徹底的に躾ける。今のあんたは、吉永さんたちに尽くすためだけに、生かされてるの。そのことが理解できたなら、とにかく、自分の犯した罪について、猛省した上で、吉永さんに、誠心誠意、全身全霊で謝罪しなさい。こういうことこそ、吉永さんの言うとおり、真の意味での社会勉強って言うのよお?」
 その発言の端々から、涼子は、いよいよ、海より深く思い知らされていた。
 滝沢秋菜は、涼子のことを、クラスメイトでもなければ、同じ女子高生とも見ておらず、それこそ、本物の奴隷として扱っても、なんら問題ないと考えているらしいことだ。だから、涼子の側は、秋菜の言い分が、いかに理不尽であろうとも、それに対し、鎖を引っ張られて歩かされるがごとく、唯々諾々と従うほかない。でなければ、秋菜が、今こそ手腕の見せ所とばかりに、阿修羅と化し、涼子の身を、苛烈な暴力という形で鞭打ってくるのは、火を見るより明らかだった。
 しかし……。
 猛省だと?
 謝罪だと?
 当然ながら、涼子としては、香織に対する自分の言動について、反省する気持ちなど、これっぽっちもない。なにしろ、自分が、香織から受けた行為は……、思えば思うほど、ぞっとさせられるが、まさに、汚辱、以外の何物でもなかったのだから。あろうことか、その相手に、こちらが、頭を下げたとしたら、それは、もはや、人間としての振る舞いとはいえないはずだ。プライドのかけらも持ち合わせていない、哀れなピエロである。
 先ほどのことになるが、自分は、この地獄を乗り切りたいがゆえに、プライドを捨て去り、愚かにも、奴隷という烙印を、自らの手で額に押し当てた。それからは、ぎこちないながらも笑顔を作り、声高らかに返事をし、香織たちにとって、耳当たりの良さそうな発言を繰り返し、道化に徹し続けたのだ。だからこそ、わかる。あの時の、自分が自分ではなくなっていくような、そう、アイデンティティーさえも喪失していくような、まがまがしい感覚。あれは、人間をやめた者のやることだ、と。
 そして、滝沢秋菜は、涼子に、今一度、ここで、奴隷であることを行動で示せ、と命じているのだ。
 ふざけるな。絶対に、ごめんだ。
 殴りたければ、殴ればいい。たとえ、体中、アザだらけにされようとも、わたしは、ひとりの、誇りある人間であり続ける……!

「あんた、いくら口で言っても、わからないみたいね」
 ついに、秋菜が、こめかみに青筋を立てているような顔つきで、こちらに迫ってきた。その右手が、ぬっと涼子の頭部に伸びてくる。
 よける間もなく、涼子は、髪の毛をわしづかみにされた。
「ぐずぐずしてないで、立ち上がるのよ!」
 どうやら、秋菜は、威嚇目的でなく、本気で、力任せに、涼子を立たせようとしているらしい。
 頭皮まで引っ張り上げられていく様が、目に見えるようであり、ぶちぶちと髪の毛の抜ける音が、心なしか聞こえてきそうだった。だが、涼子は、断じて立ち上がるまいと、下に重心をかけながら、もはや、憎しみの感情をむき出しにし、秋菜の顔をにらみ上げた。
「なによ、その、恨みがましい目は……。いい!? ここでは、あんたにとって、わたしの命令は、校則であり、国の法律であるも同然なの! わたしに、笑顔を見せろって言われたら、笑顔になるべきだし、立てって言われたら、立つべきだし、ひざまずけって言われたら、ひざまずくべきなのよ! なんなら、あんたの、排泄に関することまで、わたしが、規定、管理してあげようかぁ……? ほらっ、校則で定められたことなら、一から十まで従う、優等生さぁーん。規律に背くなんて、自分らしくないことを続けてないでさ、とっとと立ち上がって、吉永さんに、謝罪しなさいよ!」
 秋菜は、一段と躍起になり、わしづかみにした頭髪を、大きな農作物でも引き抜くみたいにし、涼子の身を持ち上げようとする。
 すでに、相当数の髪の毛が、毛根ごと抜けてしまっていることだろう。強豪校としての伝統を築き上げてきたバレー部に所属し、それも、キャプテンを務めていることもあり、飾り気のないショートカットをしている涼子だが、世間では、しばしば、女の命とも呼ばれる髪を毟り取られていくのは、むろん、泣きたいくらいやるせない思いだった。しかし、かりに、頭皮の一部が、脱毛症っぽい状態を呈するに至るのだとしても、奴隷という身分に、自ら立ち戻ることだけは、金輪際しないと、決意を新たにする。
 そうして、コンクリートの地面に、おしりを、べったりと付けたまま、涼子は、挑戦的な眼差しで、秋菜の顔に、無言のメッセージを投げかける。
 吉永の薄汚い下僕である、滝沢さん、もう終わり……?
 悔しいけど、今日のところは、わたし、あなたに対して、腕力で対抗することが、どうやら無理みたい。だから、わたしのこと、好きなだけいたぶらせてあげる。
 でもね……、この心と体に受けた痛みは、いつの日か、数倍にして、あなたに返すから。必ず、ね。
 わたしを、散々、奴隷扱いしたんだから、その時は、逆に、あんたの、奴隷らしい姿を、とくと拝ませてもらうよ。うん、まざまざと思い浮かべることができる。わたしの前で、あんたが、直立不動の姿勢を取っている光景を……。わたしに、ボッコボコにされたせいで、原形を留めていないほど腫れ上がった、無残極まりない顔。もちろん、制服とか下着なんて、邪魔なものは、全部、はぎ取ってあるから、丸裸。それに、性的部分を、手で隠すことすら認めていないので、嫌でも目に付く、乳首や陰毛。あとは、そうだな……、あまりの恐怖に失禁していて、足もとには、黄色い水溜まりができていそう……。うっわぁ、きぃったない……。そんな姿で、滝沢さん、あんたは、人間廃業を宣言するのよ。
 プライドが山みたいに高そうな、あんたが、人間としての誇りを、完全に失ったら、いったい、どんな生き物になるのか、見ものだね。
 ああ、わたし、なんだか、わくわくしてきちゃった。こういうのを、血湧き肉躍るっていうのかな。クフフ……。
 気づけば、早くも臨戦態勢に入っており、病的な興奮状態にある者のように、鼻息を荒くしている自分がいたのだった。
 
 やがて、秋菜は、うんざりした顔で、短いため息を吐いた。
「あんたってさあ……、哀れとしか言えないくらい、頭の鈍い女ね。どうも、まだ、理解できてないようだから、教えてあげるわ……。わたしは、ほかならぬ、あんたのためを思って、吉永さんに、謝罪しなさいって、諭してあげてるの。だって、よく考えてごらんなさい。もう一度、言うけど、あんたは、吉永さんたちに尽くすため『だけ』に、生かされているのであり、存在を容認されているのであり、学校に通わせてもらってるの。だというのに、今ここで、自分の犯した罪について、吉永さんから、許しを得られないとしたら、それは、すなわち、奴隷としての価値なし、と見限られることを意味してるのよ? 当然、そんな奴隷は、お払い箱よねえ? そう。わたしが、好むと好まざるとにかかわらず、あんたを、この学校から、抹殺しなきゃならなくなるってわけ。まあ、あんたの人生だから、あんた自身に、決める権利だけは、あるんだけどさ……。で? どうするか、答えが、知りたいわぁーん……」
 それを聞いていて、最後のほうにもなると、涼子は、うっ……、えうっ……、とおえつを抑えられなくなっていた。全身からほとばしっていたエネルギーが、直前までとは一転、体内に押しとどめられていくのを感じる。果たして、自分は、まだ、闘争心を維持しているのかどうか、自分でも判然としないという境地である。
 しかし、まもなく、秋菜に、髪の毛を引っ張り上げられるがまま、コンクリートの地面から、おしりの肌が、べりべりと離れていく感触を覚え、自分自身の行動に唖然とさせられる。そうなると、もう、抵抗していたのが嘘みたいに呆気ないものだった。片膝を立てて腰を浮かし、ゆっくりと背筋を伸ばしていく。
 とうとう、目線の高さは、涼子のほうが、秋菜よりもやや上になった。
 だが、秋菜は、何を思ったのか、頭髪をつかんでいる手で、さらに上方へと、涼子の身を持ち上げようとするのだった。
 その力にも抵抗せず、涼子は、爪先立ちになり、伸び上がるような体勢を取らされる。これでは、まさに、釣り上げられた魚さながらの有様である。また、秋菜のほうも、涼子の、敗残者ぶりを、より強調してみせる意図から、そうしているのだと確信を抱く。意思とは無関係に丸まっていく、左右の手を合わせた十本の指。爪が手のひらに食い込むほど固く握り締めた、両手の拳。いっそ暴れたいという衝動を、未だに自制している自分自身が、もはや、人間ではない、異形の存在に感じられてならない。しかし、それから数秒もすると、当然のことだが、体の内側に押し込められていたエネルギーが、出口を求めて暴発したのだった。
「ちっ……、ちっ……、ちいぃぃぃっくしょぉぉぉぉぉぉうぅぅぅっ!」
 涼子は、女であることも忘れ、この世に、千年後まで怨念を残すがごとき咆哮を発した。
「ああ、やだやだ……。痺れるくらい、びんびんと伝わってくる、復讐への渇望! なんだか、この先、あんたの祟りがありそうで、寒気がしちゃうわよ。ホンット、プライドの高い奴隷ほど、忌まわしい生き物は、ほかにいないわね」
 秋菜は、その発言内容とは裏腹に、愉悦を隠しきれない様子で言い、さらに、言葉を続ける。
「よく聞くのよ? あんたは、自分の中にある、その、どろどろとした負の感情を、どうにか、ポジティブな方向に、百八十度、変換しなさい。そんでもって、吉永さんたちへの奉仕に、悦びを見いだすしか、あんたに、生きる道はないの。さっ、こっちに来るのよ」
 向こうへと、なおも髪の毛を引っ張られる。
 涼子は、その力に身を任せる格好で、ぎくしゃくと歩を進めていき、香織とさゆりの前に引き出されたのだった。
 ようやく、手を離した秋菜が、涼子の右手側に移動する。
「もう、充分、わかってると思うけど、今、あんたは、人生の明暗を分ける、分水嶺に立ってるんだからね。だから、最後に忠告しておくわ。これ以上、くだらない意地を張るようだったら、あとは、どうなっても知らないわよ」
 要するに、ふたたび、道化に徹することで、香織に、機嫌を直してもらわねば、自分の人生そのものが、暗転する、という状況に置かれているのだ。
 涼子は、その香織の顔を、さり気なく見やった。
 吉永香織は、斜めに見上げるようにして、涼子の顔を、じいっとうかがっている。その、つり上がり気味の目に宿った、ちょっとやそっとのことじゃ、許さない、とでも言いたげな、見るからにひねくれた光。
 なんって、嫌な目つきなんだろう……。
 そこで、香織の黒目が、かすかに下に動いたのを見て取った。
 涼子は、自分の乳房に、香織が、視線を注いでいるのを察知し、ついつい、乳首を隠すように両肩を抱いていた。
 すると、香織は、さらに、目を落としていく。どうやら、涼子の裸体の前側を、今一度、視覚情報として取り入れておきたいらしい。当然、その視線は、涼子の腰回りの高さで止まっていた。なにか、涼子のVゾーンに生い茂った、陰毛の生え具合に、改めて見入っているような様子である。
 涼子としては、強烈なコンプレックスのある、その部分を、ただちに両手で隠したいところだった。しかし、いくらなんでも、それは、あからさますぎる反応であり、香織、あるいは、秋菜から、反抗的な態度だというふうに咎められそうな気がし、両手を下ろすことはしないでいた。それにしても、吉永香織に、自分のVゾーンを凝視されるのは、これほどまでに苦痛に感じることだったのかと、今さらながらに思わされる。
 ほどなくして、香織が、再度、涼子の顔に視線を向けてきた。
 目が合うと、香織の口もとが、いいっ、と発音する形に歪んだ。恥をかかされたことに対する強い恨みと、これから、その思いを存分に晴らすことができる、という狂人めいた期待感が、表裏一体になったような表情である。
 一方、涼子の脳裏にも、つい先ほどの出来事が、ずっとこびり付いたままだ。これまでの人生経験からは、誰かに触れられる場面など、想像すら不可能に等しかった、後ろの排泄器官に、いきなり、他人の指が押し当てられたのである。そこに意識を傾けると、あの、おぞましい感触が、生々しくよみがえってきて仕方ない。そして、その行為に及んできたのが、目の前のこの、下卑た顔つきをしている女だと思うと、何かの力で、肉体をねじり上げられるような生理的嫌悪感に襲われる。
 自分の記憶から、あの体験を、綺麗さっぱり消し去ってしまいたい。また、それと同時に、あのような行為に手を染め、おそらくは、ある種の悦びを覚えていたのだろう、この女には、地球上から、跡形もなく消え失せてほしい。そうすれば、自分の中で、あれは、一応、なかったことになる……。もし、それが叶わぬというのなら、せめて、せめて……、吉永香織という女と、同じ空間からは、一分一秒でも早く立ち去りたい。この女の顔が、視界に入っているだけで、自分の精神まで、狂気に蝕まれていくかのような感じがあるし、次、その声を聞いたら、それだけで、体中、びっしりと鳥肌が立ちそうな気がする。
 だというのに……、自分は、これから、その相手に、平謝りに謝らなくてはならないと……。
 無理だ。
 かりそめにも、まともな神経の持ち主である人間であれば、到底、できようはずのない行為だ。
 よしんば、それを強行したとしても、口を開いて、出てくるのは、謝罪の言葉ではなく、吐瀉物になるように思われてならない。
 しかし……、今ここで、反旗をひるがえすためには、何かが足りていない、という感覚があるのも、また、動かしがたい事実だった。その何かとは……、きっと、高校生活が、望まぬ形で終焉に至るという、現在、十七歳の自分にとっては、カタストロフィとも呼ぶべき最悪の事態と、真っ向から向き合うだけの、常人ならざる、覚悟、であろう。果たして、自分は、そのような超人になれるだろうか……?
 しかも、あとちょっとの間に、である。
 右手側にいる、滝沢秋菜が、無言のプレッシャーをかけ続けてくる。もう、今にも怒鳴りだしそうな気配を、ひりひりと肌で感じるのだ。
 その時、ぽつりと思った。
 ああ、わたし、スポーツ推薦で、体育系の大学を受験したかったのになあ……。
 ん?
 まだ、その推薦を貰うこと、できるんじゃん。
 
 涼子は、肩から両手を下ろし、ぴしっと腰に付けた。最大限、誠意ある態度を示すためだ。
 そうして、香織に向かって、勢いよく、かつ深々と腰を折った。
「吉永さんっ! 本当に、本当に! 大変、申し訳ございませんでした! あのっ……、吉永さんが、無知蒙昧なわたしに! ケツ毛の検査の、受け方について! 指導してくださったにもかかわらず! そ、そのっ……、触れていただいた、場所が、場所だっただけに、えっと……、わたしの、汚い、う、うんカス? ですか? そ、それを、吉永さんの、指に付けてしまったと思うと、なんていいますか……、は、恥ずかしい、っていう感情が、爆発し! 愚かにも! ど、奴隷である自分を、見失ってしまったんですっ! そのため、本来は、感謝すべき吉永さんに対して! ありえない、暴言を吐いてしまい! それに加えて、体を突き飛ばす、暴力を振るってしまったこと! 心の底から、反省しています! もう二度と、あのような行為はしませんし! 反抗的な態度も取りません! なので、どうか、どうか! お許しくださいっ! わたし、奴隷として! 吉永さんたちに、もっと、もっと! 尽くさせていただきたいんです!」
 えっ……、これ、わたしの声? 嘘でしょ!? いったい、何を言ってんの……? おい、おい、南涼子、お前だ、お前。っていうか、わたしだ、わたし……。お前、人間をやめるつもりなの? まさかね……。ここは、続けて、こう言うべきでしょ? 『なーんちゃって。わたしが、本気で、そんなこと、言うと思った!? 人を舐めるのも、いい加減にしろよ』ってさ。それで、吉永の髪の毛を引っつかんで、力尽くで、頭を下げさせようよ。だって、そうでしょ!? 謝罪するべきは、わたしじゃなく、この変態クソ女のほうでしょ!? えっ……? そんな真似をしたら、滝沢が、黙って見ていないって? ああ、滝沢って、ある意味、吉永よりも許せない女だよね……。わたし、またもや殴られたし、そのせいで、今も、軽く目まいがする……。だったらさ、その仕返しとして、滝沢に、渾身のアッパーカットをお見舞いしてやろうよ。たぶん、それを喰らった滝沢の奴、二、三メートルは吹っ飛んで倒れて、口から泡を吹いて気絶するんじゃないかな。それで、滝沢の無様な姿が見られたら、けっこう、胸がすっとするはずだよ。やっぱり、ひとりの人間として、それに、人並み以上にパワーを持った、体育会系女子としてさ、そういうふうに振る舞いたいもんだよねえ、南涼子っ……。
 空想を膨らませるだけなら、ただだね。でも、それって、いくらなんでも、自分自身に対して、無責任すぎない……? そりゃあ、やる気になれば、やれるよ? 相手は、吉永? 滝沢? もしくは、この場にいる全員? こんな生っちろい女たち、右腕一本で片付けられる。それで、もちろん、あの、足立舞っていう、超、気持ちの悪いガキも含めて、五人を血祭りに上げれば、まあ、幾分かは、溜飲が下がるのかもしれない。だけど、その代償は、計り知れないほど大きいってこと。わたし、気づいたんだっ。たしかに、今日この場に居合わせた、五人とも、八つ裂きにしても飽き足らないくらい、憎い……。だからこそ、だよ。そんな奴らに、わたしの人生そのものまで奪われるなんて、それこそ馬鹿みたいだな、って。同感でしょ、南涼子さんっ……。
 今現在、涼子なかでは、こうして、対照的な主張をする二人の自分が、互いにせめぎ合っていた。人間としての誇りを、何より大事にしている自分と、自分の未来を照らす光だけを、真っ直ぐに見つめている自分である。どちらの言い分も、至極まっとうなのだが、今のところ、後者が前者を圧倒している状態だった。
 
 しばらくの沈黙の後、やっと、香織が口を開いた。
「暴言を吐いた、か……。で、あんた、あたしに、なんて言ったんだっけ?」
 その落ち着いた声からは、感情の抑制ぶりが感じられ、よけい怖くなってくる。
「あっ……、はい! あの、吉永さんに、不快な気持ちを、思い出させてしまいそうで、恐縮なんですが……、わたし、吉永さんに対して……、そのっ、れ……、レズで、変態みたいなこと、考えてる、とか……、口走ってしまいました! それについては……、あの、えっと、なんていうか……、わたしっ、自分が言われて、一番、嫌だったことを言い返してやろう、的な……、人間のクズみたいな心理に、無自覚ながら! おちいってしまって! そ、そういう言葉が、口を衝いて出てきちゃった、って感じだったんです……! こ、今回のことで! 自分自身が、いかに! いかに……! 心の汚れた人間か、思い知りまして! 今は、ひたすら、猛省するばかりです!」
 涼子は、平身低頭したまま、向こう見ずに謝罪の言葉をつむぎ出す。自分の卑屈ぶりを情けなく思うどころか、逆に、まだ、ひざまずくような真似まではしていない、自分のプライドの有り様に、感心の念すら覚える。
「ふーん。言われて、一番、嫌だったこと、か……。まあ、あんたにとっては、図星だもんねえ」
「えっ……?」
 どういう意味なのか、よく飲み込めなかった。
「だからさあ……、あんたの場合は、滝沢さんのことがあるんだから、レズであり、変態みたいなこと、考えてるって、図星すぎて、それだけになおさら、あたしたちから、そういう指摘を受けると、耳を塞ぎたい思いだったんでしょ」
 香織は、冷え冷えとした口調で言う。
 当然、涼子としては、是認しがたいところだった。
 しかし、なんにせよ、今の状況において肝要なのは、香織の発言を、決して否定してはならない、ということだ。
「そ、そうです、ねえ……。あの、レズビアンってこと自体は、別に……、その、珍しくなんてないし、恥ずかしいことじゃないって、ちゃんと、わかってはいるんですけど……、なんだろ、た、滝沢さん本人がいる場で、そのっ、女同士、付き合いたいって思ってるとか、あとあと……、あっ、罪の意識で、いっぱいなんですけど……、し、下心が、あるとか? 吉永さんたちから、ずばずば言い当てられると……、やっぱしぃ……、滝沢さんに対して、気まずいっていうか……、いっそ、消えちゃいたいくらい、すごく肩身が狭くて狭くて……」
 涼子は、しどろもどろになりながらも、どうにか調子を合わせる。
「つまり、レズとか、変態とか、そういう言葉で言い返せば、あんたと同じく、あたしも、精神的に動揺するに違いないって、思い込んだわけね……。どうも、あんた、壮大な勘違いをしてるようだけどさ……、自分自身が、レズで、しかも、日頃から、片想いの相手である、滝沢さんのことを、妄想の中で、好き放題に穢してる、ド変態だからって……、周りの子たちも、多かれ少なかれ、自分と似た一面を持ってるに決まってる、みたいな先入観は、やめてくれないかな……? 迷惑なの。言っておくけど、女子校は、レズの子が、たくさんいる、とか考えてるんなら、それ自体が、まず、最悪の偏見だから」
 もしも、この学校内に、そのような色眼鏡で、生徒たちを見ている者がいるとしたら、涼子自身、たしかに、あまり、いい気がしない。
「す、すみません……! まさに、吉永さんのおっしゃるとおりですよね……。レズで、そうやって、その、そうやって……、片想いしてる相手の子のことを、妄想の中で、あのっ……、あれこれして、穢してる? 変態の女なんて、めったに、いるはずがなくって……、やっぱしぃ、この、わたしくらい? みたいな……? でも、でも! 言い訳するつもりはないんですけど、そういうこと、しちゃったりするのは……、なにも、悪気があるわけじゃなくってぇ……、好き、っていう感情が、暴走してる状態? だってこと、滝沢さんにも、わかってほしいなぁー、なんて? 思っちゃったり? あっ、自分で言っていて、キモい。うん、相当、キモい……」
 おそらく、聞いている滝沢秋菜にとっては、それこそ、ぞわぞわと背筋の寒くなるような話であろう。
「だったら、あたしに対する暴言の内容を、撤回する意味も込めて、もう一度、言い直して……。四六時中、滝沢さんの裸を思い浮かべて、『あんなこと』をしたり、『こんなこと』をしたりと、淫らな妄想にふけってばかりいる、レズの変態女は、あんたでしょ? その事実を、自分の口から、具体的かつ明確な言葉で、公言しなさい。はいっ、顔を上げて、真っ直ぐ立って」
 香織に促され、涼子は、そろそろと腰の角度を戻していき、さながら、体育系の部活で、厳格な先輩部員を前にしている者のように、しゃんと背筋を伸ばした。そうして、頭の中で、香織の言ったことを反すうしながら、具体的かつ明確な言葉か……、と想像を巡らせる。しかし、右隣に立つ秋菜が、一連のやり取りに、少なからぬ嫌悪感を抱いたのだろう、汚物が真横にあるような眼差しで、こちらを見ているのだ。可能な限り、その彼女の感情にも留意しなくてはならない。
「はい! あのっ! もう、四六時中! 滝沢さんのことを思い浮かべて、それでっ!」
「違うでしょっ」
 香織に、言葉を遮られる。
「あんたの場合、思い浮かべてるのは、滝沢さんの『こと』じゃなくて、滝沢さんの、『裸』でしょ。は・だ・か。ぜ・ん・ら。そうよね? 往生際悪く、言葉を濁してんじゃないわよ」
 ここまで来たら、後は、どうにでもなれ、という気持ちになる。
「あ、ごめんなさい! そ、そうです! もう、四六時中……、滝沢さんの……、ぜ、全裸を思い浮かべて、あのっ……、おっぱいを、いやらしく揉んだり? あとは、下のほう、あそこも……、その、ま〇こ? そこまで、触ってみて、ぬ、濡れ濡れの状態にさせちゃってぇ……、滝沢さんの、あのっ、あ、あえぐ声? を聞かせてほしいなぁーっ、なーんて、淫らな妄想ばかりしてる、レズの変態女は! このわたし! 南涼子ですっ!」
 涼子は、自分の口から飛び出す言葉と、自分自身のアイデンティティーとの、はなはだしい不調和感に、くらくらと立ちくらみを起こしていた。
 はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? おい、お前、南涼子っ。よくもまあ、同性である女を相手にした、そんな淫猥な場面を、頭の中にイメージできたもんだなあ。本当に、お前、わたしなの? まあ、それはともかくとして……、わたしは、自分が、同性愛者だと思ったことは、一度もない。そもそも……、自分でも、とっくに、わかっているだろう!? それに当てはまるのは、相手側の女たちだってことを。レズビアンであることが確実、及びその疑惑に満ちた者は、一人、二人……、三人? いや、もっと増えるかも。下手をすると、この場に居合わせている、わたし以外の全員、レズなのではないか……? そう。南涼子、お前は、レズの女たちに、全裸姿にさせられ、周りを取り囲まれているという状況なんだよ。だから、どいつもこいつも、わたしのこの体を、見て、触って、性的興奮を覚えているということ。屈辱だろう!? これほどの屈辱を味わわされて、棒立ち状態になっている女子高生が、この世のどこにいる? お前に、ほんのわずかでも自尊心が残っているのなら、全力で抵抗しろ、南涼子っ。
 待って! やめて! わたしの気が狂いそうになることは、もう主張しないで。そんな……、わたしのことを、なぶり者にするために集まった、四人と、本来なら、『仲間』のはずだった、裏切り者の、計、五人が、偶然にも全員、レズビアンだったなんて、到底、考えられない。この学校は、女子校という環境のせいもあって、同性愛の傾向のある生徒が多い、だなんて思考を持ち始めているのなら、それこそ、馬鹿げた偏見じゃないの。とにかく、今日この場で、激情に駆られるまま行動を起こすことだけは、ご法度よ。たしかに、忍耐の臨界点は、とっくのとうに超えている。けど、いずれ、この生き地獄の時間にも、終わりはやって来るんだから。そうして、あの地上への階段を上がり、ひとりの、まともな人間として、帰宅することができたなら……、わたしは、まだ、未来の光を信じて生きていけるよね、南涼子さんっ。
「聞いた……? 滝沢さん。要するに、南さんにとって、あなたは、恋愛対象であると同時に、最高のオナネタだったってことよ」
 香織が、いくらか機嫌を直し始めたような顔つきで、秋菜に話を振る。
「もぉぉぉう、この女の存在自体が、許せなくなってきた……。三年で同じクラスになってから、今日に至るまで、この女は、まるで、虫眼鏡を使って調べるみたいにして、わたしの体に関するデータを、収集し続けてきたに決まってるわ。吉永さんの言うとおり、その……、オナネタにするために。想像しただけで、身震いしそうな話だけど。もう二度と、わたしの体を、そういう目で見ることができないよう、いっそ、この女の目玉をくり抜いてやりたい気分よ」
 滝沢秋菜は、あたかも、自身のほうこそ、性暴力の被害者であるかのごとく、ぎゅっと両肩を抱き、両手の爪を立てた。
「まあ、暴言のほうは、南さんが、自分自身のことだと認めたから、よし、として、あと問題は、あたしの体を、勢いよくど突いてきたことよね。あたし、肩が外れたかと思ったもん」
 香織は、その物理的衝撃を思い起こしているのか、右手で左肩を撫でさする。
 涼子としては、邪魔な荷物をどかす程度の力で、軽く突き飛ばしただけ、という感覚だったのだけれど。
「南さんさあ、あなた、女にしては、けっこうデカいし、何より、バレー部のキャプテンを務めてるだけあって、屈強ぶりを見事に体現した、アスリート体型だよね。それなのに、一般人のあたしに、暴力を振るうなんてさ、まさに、凶器で人を殴ってるようなもんじゃん? あなた、そんな卑劣なことをするために、今まで、体を鍛えてきたってわけ? 自分で、恥ずべきことだと思わないの?」
 香織は、いかにも説教ぶった口調で言う。
 その時、涼子のなかで、またもや、対照的な主張をする二人の自分が、激しく衝突した。

「ええっと……、なんでしょっ……。そのことについては……、わたし、今は、裸足なんで……、吉永さんに、あのっ、足を踏みつけられた時、悲鳴を上げそうなくらい、痛くて、ついつい、手を出しちゃったんですけど……。あ、でも! どんな理由があれ、わたしみたいな体つきの女が、吉永さんのことを突き飛ばしたら、その時点で、ほとんど犯罪に等しいですよね……? もう、弁解の言葉もございません。なので……、何をしても、許されることじゃないのは、承知の上なんですけど、いち体育会系女子として! 猛省している姿を、精一杯、示させていただきます!」
 涼子は、そう宣言すると、取っ組み合いの喧嘩をするような勢いで、自分の右頬に、右の手のひらを打ちつけた。続けて、左頬にも、左手で、同等の威力の平手打ちを加える。
「反省っ! 反省っ! 反省っ! 反省っ!」
 声を張り上げながら、まるで、バレーの大事な試合を前に、自らを奮い立たせる時のごとく、右手と左手を交互に使い、自分に対して、ビンタを繰り返す。一発一発、頬を張るごとに、大きく鳴り響く、ばちんばちんという乾いた音。そうして、十往復くらい終えた頃にもなると、もはや、両の頬は、燃え上がったように熱くなっていた。
 香織はというと、一時的に、涼子に対する害意すら忘れたのか、すっかり目を丸くしている様子である。
 涼子は、手応えを得たので、さらなるパフォーマンスを見せることに決めた。
「あと、自分へのお仕置きとして! セルフで、おしり叩きもしておきまーっす!」
 香織に満足感を与えるべく、両の手のひらで、自分のおしりを荒々しく叩く。おしりの表面は、あぶら汗にまみれているせいで、一発、二発、三発と殴打するごとに、あたかも、牛レバーの生肉ブロックを、地面に打ちつけたかのごとき破裂音が、豪快に響き渡った。
 おいおいおい、南涼子。あんまり、わたしを、がっかりさせないでくれ。わたしは、毎日、毎日、思い出すだけで、気が遠くなるような、過酷な筋トレのメニューをこなし、一心不乱に体を鍛え上げてきた。たしかに、その一番の目的は、他人を暴力でねじ伏せることなどではなく、もちろん、ジャンプ力やスパイク力、瞬発力といった、バレーにおける競技能力の向上だった。だけどだよ? 理不尽な攻撃を仕掛けてくる者がいたら、それが誰であろうと、最終的には、パワーで対抗できるような、そんな強い女になるのも、大事なことだったんじゃないのかよ!? それなのに、なんだよ、このザマは……。お前、自分でも、薄々は気づいているんだろう? わたしは、すでに、精神的にも肉体的にも、壊れる寸前だ。人型の肉塊のイメージが、脳裏に浮かぶか? 刻一刻と、その状態に近づいているんだよ。そして、悪魔すら青ざめるほどの、この奸悪な女たちは、わたしのことを、本気で『壊したがって』いるんだ。人間というものは、一度、壊れたら、二度と、本来の健康を取り戻すことはない。つまり、このままだと、わたしが、人生そのものを奪われるのは、時間の問題だということ。ならば、戦え。わたしの最大の武器ともいえる、腕力を用いて……。なに? そんな暴挙に出たら、後々、滝沢の策謀によって、わたしは、学校の門を、くぐれなくなる事態に追い込まれる? もう、そのことについては、残念だけど諦めるしかないじゃん。だからさ、いっそのこと、どれだけ憎んでも憎み足りない、五人の女、全員、体中の骨を粉々にするつもりで殴りつけて、再起不能の体にしてやった上で、自分から、潔く退学届を出すんだって。要するに、この女たちと、人生を刺し違えるってことだよ。それしか、自分の誇りを守る方法はない。拳を振り上げろ、南涼子っ!
 待ってよ……。わたしは、まだまだ、狂いもしなければ、倒れもしない。今となってはね、逆に、妙なエネルギーが湧いてくるの。こんなところで、絶対に、壊れてたまるか、って……。それに何より、わたし、光の見えない人生を、とぼとぼと歩いていくことだけは、どう考えても耐えられそうにない……。でも、だけど……、もしも、本当に、人型の肉塊みたいな人間になっちゃったら、ごめんね、南涼子さん。



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