第三章


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第三章




「ねえ、千尋ちゃん……。わたしの家で働くと決まったんだから、それなりに、きちっと身だしなみを整えてもらうからね」
 ゆったりとソファに腰かけている亜希は、全裸で立つ千尋を眺めながら言った。
 身だしなみ……。千尋は、その言葉の真意を計りかねたが、訊いたところで、何がどうなるわけでもない。
「はい、わかりました」
 その刹那、亜希の顔に、不気味な微笑が浮かぶ。
「まず、使用人として働く人が、髪の色を染めてるのは、わたしとしては、あまり気に入らないの。これから黒く染めさせてもらうけど、納得してくれるよね?」
 千尋は、背中の筋肉が、きりきりと引きつるような感覚を覚えた。
 髪の毛のことまで、言い掛かりを付けてくるとは、思いも寄らなかった。おそらく、亜希の頭には、中学校時代の校則か何かのような、規則で縛るという概念が浮かんだのだろう。その真似事をし、また一つ、千尋の自由を奪い取ることで、征服感のようなものに浸りたいだけなのだ。ガキの発想だ。
 千尋は、歯噛みした。あんたは、そんな派手な茶髪をしているってのにね……。しかし、気持ちとは裏腹な答えを返す。
「はい。……だいじょうぶです」
 亜希は、ますます得意気な顔になる。
「それじゃあ、お風呂場に行くから、ソックスも脱いでくれる? あと、そのピアスとネックレスは外してね……」
 その言葉に従い、千尋は、文字通り一糸まとわぬ姿となった。テーブルの上に置いた、お気に入りのピアスとネックレスを、亜希が手に取った。
「千尋ちゃん。こういうお洒落は、ここで働くにはふさわしくないの。だから、当分の間は、わたしが預かっておくよ」
 亜希は、掌にのせたネックレスを蛍光灯の光にかざし、その輝きを眺めながら言った。千尋の細部に至るまで、自由という自由を、すべて奪い取りたいらしい。
 全裸になり、おしりの穴まで検査されたうえ、アクセサリーも奪われ、これから、髪の毛を強制的に染められるのだ。まるで、何の権利も持てない奴隷のよう……。そんな悲惨なイメージが、千尋の脳裏に生まれていた。

 二階の廊下には、幾つもの部屋が並んでいる。
 亜希と加納の、弾むように軽快なスリッパの音が、フローリングの廊下に響き渡る。その中にあって、千尋は裸足で、ぴたぴたと悲しげな足音を立てていた。千尋にはスリッパを履かせないという、亜希のつまらない嫌がらせである。
 加納が、突き当たりにあるドアを押して開けた。
 そこは、ホテルの大浴場のように広い脱衣所で、奥に、ガラスドアで仕切られた浴室があった。上品なインテリアが壁を彩り、ゴミ一つない白い大理石の床が、蛍光灯の明かりを、きらきらと反射している。
 そこに入ると、薄ら笑いを浮かべた亜希が、千尋の前に立った。
 亜希は、千尋の首筋に、脈絡なく両手を伸ばしてきた。亜希の指が、肩にかかった千尋の髪の毛を、ゆっくりと掻き上げていく。指の間を流れ落ちる栗色の髪は、乱れながらふわりと落ちた。
 千尋は、ごくりと生唾を飲み込む。
「綺麗な髪の色だけどぉ、黒く染めようねっ、千尋ちゃん」
 オレンジに近い亜希の髪の色が、千尋には、やけに鮮やかに映った。
「こっちに来て」
 亜希は、何気ない素振りで、千尋の肩口にぴたりと触れた。
 その瞬間、千尋は身悶えしそうになった。思えば、亜希に裸の体を触られるのは、これが初めてだった。激しい生理的な嫌悪感を覚えたが、今の千尋には、その手を振り払うこともできない。
 
 亜希に裸身を押されて進んでいくと、執行場所はすぐにわかった。美容室にあるシャンプー台と同じようなものが、壁際に設置されていた。
「千尋ちゃん、ここに座って」
 流し台の前にある、黒い革張りの椅子に座らされると、衣類を何も身に着けていないことに、ひどく落ち着かない心地になる。千尋は、さり気なく乳首と性器を手で覆った。
「加納さん。あとは、よろしくねっ」
「任せて下さい」
 加納は、千尋に精神的圧力を掛けるかのように、スリッパの音を大きく響かせながら、こちらへやって来る。
 亜希はといえば、どこからか小振りの木製の椅子を持ってきて、そこに腰かけた。見せ物を見物するような風情である。
 加納が、ふっと失笑して言う。
「おまえの往生際の悪さには呆れるよ。その体は、もう、余すところ無く見られたっていうのに、まだ隠していたいの? 恥ずかしい両方の穴まで、見られたっていうのにねえ」
 今の千尋にとって、もっとも言われたくない内容の言葉だった。
「でも、その堂々としていない態度は、お嬢さまに対して失礼よ……。両手を、肘掛けの上にのせておきなさい」
 もはや、理屈もへったくれもない。
 それでも、千尋は、黙って両腕を肘掛けにのせ、無防備な格好で、じっと耐えることになった。
 すると突然、千尋を見下ろす加納の口もとから、薄気味の悪い笑い声が聞こえてきた。
「ふふっ、ふふふ……。苦労知らずの千尋お嬢さまが、こんな姿になって……。ねえ、今までの生活から、こんな自分の姿を想像できた? ねえ、どう? 地獄に落ちた気分なんじゃない?」
 寒気のするような物言いに、千尋は、思わず加納を見上げた。
 加納は、口もとを手で覆って笑っており、その目つきは、ぎらぎらと光っていた。これまで、『適性検査』の時も、あくまで加納は、亜希の指示に、事務的に従っているという感じだったが、内心は、そうではないようだ。千尋の凋落を、狂喜乱舞せんばかりに喜んでいるらしいことが、見て取れる。そのことを悟った千尋は、言い様のない不安に駆られた。
 ところが、加納の目つきが、急に一変した。怒りか、あるいは憎しみのようなものが、その両眼に宿ったのだ。
 それに気づき、ぎくりとした次の瞬間には、加納の手が、千尋の顔面まで迫っていた。勢いよく頬をつかまれ、唇がすぼめられる。
「ふぎゅっ……」
「わたし、前からねえ、おまえの偉そうな態度が、気に入らなかったのよ。ぺこぺこしてやりゃあ、調子に乗っちゃって……。おまえ、内心では、わたしのことを、ただの使用人だとか思って、見下してただろう……?」
 加納はそう言うと、千尋の頭部を、椅子の背もたれにぐりぐりと押しつけ、手を離した。
「そんなっ、そんなことないです……。いい人だって思ってました」
 千尋は、何度も首を横に振ったが、加納は鼻で笑う。
「おまえ、さっき、わたしに対して、使用人のくせに、その口の利き方はなんだ、とか言ってくれたよね?」
 先程、誠実な態度だった加納が豹変し、千尋に対して、裸になれという意味の言葉を吐いた時の話だろう。たしかに千尋は、怒り心頭に発して、そんなふうに言い返していた。
 千尋は、言葉に詰まってしまった。
「まあ、いいわよ。おまえはもう、ちやほやされるような人間じゃあ、ないんだしね。下っ端として働きながら、自分の立場を、身をもって学んでいくといい。まずは、その髪の毛を、真っ黒に染めないとね」
 加納は、勝ち誇った表情で言うと、なにやら、千尋の下腹部へと視線を向けた。と、その直後、いきなり、加納の指先が、下腹部の茂みに突っ込まれた。
「えっ! いやっ!」
 反射的に体を丸め、千尋は、両手で恥部の中央を押さえていた。加納の右手と千尋の両手が、陰毛の中でせめぎ合っている。
「なんの真似よ、これ? おまえは、何をされても抵抗するべきじゃないの。今すぐ両手をどかしなさい」
 加納の言葉にびくつきながらも、千尋は、性器を守っている手をどかすことはしなかった。
「えっ……。でも、やめてください」
 とたんに、加納の顔に、怒りの影が走る。
「言われたとおりにするんだよ!」
 耳をつんざく怒号と共に、剥き出しの太ももに手を打ち下ろされる。衝撃と痛みで、全身が跳ね上がった。千尋の雪のように白い肌に、赤い腫れの色が、瞬く間に広がっていく。
 またしても、加納の非道な暴力により、千尋の気持ちは圧殺されることとなった。おそるおそるガードを解くと、加納は、陰毛をつかんで引っ張り上げた。
「髪の色も、ここの毛と同じように真っ黒にしてやるからね」
 その毒々しい言葉に、千尋は、どこまでも自分が貶められていくような思いがした。

 加納は、さっそく髪の染色の準備に取り掛かった。スーツの上着を脱いでブラウスの袖を捲り、機敏に動き回る。その姿からは、強い意気込みが伝わってきた。
 黒染めの溶液が、クシにたっぷりと付けられる。それが、千尋の頭部に当てられ、髪を後方へと流していく。千尋の髪の長さならば、一箱分の溶液で充分のはずだった。しかし、完全に黒くするためなのか、二箱使って染色が行われた。それが終わると、オールバックになった頭に、ラップが巻かれる。
 わたしは、いったい何をしてるんだろう……。幼なじみの亜希が見ている前で、全裸でシャンプー台に乗り、強制的に髪の毛を黒くさせられている……。今の自分の状況を突きつめて考えていくと、肌がぷつぷつと粟立ってくるような感覚があった。
 洗い流しまでの待ち時間、加納は、亜希の隣に椅子を並べ、腰を下ろしていた。
「明日は是非、あの子の手料理を食べてみたいものですね……」
 加納が、皮肉な口調で言った。
「うんっ、うんっ。千尋ちゃんの料理の腕はすごいんだよー。わたし、千尋ちゃんから色んな料理を教わったもん。……ねえ、千尋ちゃんは、パスタが一番得意なんだよね?」
 この場面にそぐわない、呆れるほどふざけた会話だ。千尋とは違い、自分たちには、明日も明後日も、穏やかな日常が続くのだということを、言われているような気がした。
 それでも、千尋は一呼吸置いて答える。
「……はい、そうです」
 その後、二人は、時々千尋を小馬鹿にしつつ、適当なお喋りに興じていた。
 三十分ほどして、加納が、頭のラップを取り去った。椅子の背もたれが、後ろにゆっくりと傾斜していく。
 流しの縁に首をのせた千尋は、だらりと四肢を伸ばした格好で、天井を眺めていた。全裸で仰向けにされるのは、これほどまでに心許なくて、惨めな気持ちにさせられるものなのか。今の自分の格好から、つい、生体実験や解体される死体といった、悲惨な情景を連想してしまった。
 こんなの、人間じゃない。人間がやられることじゃない……。
 洗い流しが終わり、背もたれが元に戻される。タオルを手渡され、それで髪の毛の水気を切っていった。
 つと髪の束を手に取り、目の前に持ってくる。見事なまでに真っ黒だった。自分の外見が、他人の悪意によって変えられてしまったという実感が、ふつふつと湧き上がってくる。

「加納さん……。ちょっと、千尋ちゃんの髪のことで話があるの……」
 亜希が、意味ありげな物言いをした。そちらに目をやると、亜希は、歯の間から舌先をちょろりと出して、こちらを横目で見ていた。へどが出るほど憎たらしい、その顔。明らかに何かを企んでいる表情だった。
 加納の耳もとに、亜希は、何事かを囁きかける。そして二人は、含み笑いをした。
「じゃあ、お願いね」
 亜希が、声のトーンを戻して言う。
 新たな指示を受けた加納は、戸棚からドライヤーとヘアブラシを用意し、シャンプー台に戻ってくる。染められたばかりの髪は、ドライヤーで入念に乾かされた後、全体をブラシでストレートに伸ばされた。
 その作業を終えた加納が、道具を片付け始めると、亜希は椅子を立ち、奥の浴室を仕切るガラス戸のほうへ向かった。
「千尋ちゃん……。こっちにおいで」
 亜希は、ガラス戸を開いて呼んだ。
 理由を尋ねても意味はない。亜希が何を企んでいようと、千尋には拒否権がないのだから。
 長いことシャンプー台に着いていたせいで、椅子の黒革に、おしりの皮膚が張り付いている。引き剥がして立つと、おしりが妙にすーすーとした。今さらながら、人前で、パンツまでも脱がされている惨めさを痛感する。
 亜希と共に浴室のタイルを踏んだ。水滴が足の裏を濡らし、湿気が裸体を包み込む。
 左手に、洒落た石造りで縁取られた豪勢な浴槽があり、その角には、黄金色をした天使の彫像が載っていた。右手が洗い場となっており、壁面には、巨大な鏡が据え付けられていた。
 亜希は、鏡の前に立つと、そこに映る自分に話しかけるように言った。
「わたしの隣に来てよ……。千尋ちゃん……」
 鏡を見つめる亜希の後ろ姿が、千尋には、何とはなしに不吉に感じられた。心臓の音が、どくどくと速まっていく。亜希から一歩引いた位置で、千尋は足を止めた。
 長方形の大きな鏡の中には、パジャマ姿の亜希と、全裸の千尋、二人の全身がしっかりと収まっている。客観的な絵として見せつけられると、にわかに羞恥心が膨れ上がってくる。千尋は、さり気なく乳房と恥部に手をやった。
 亜希の派手な茶髪と、千尋の、黒く染められた髪。前髪は、眼差しを覆い隠すように垂れ、後ろ髪は、肩下までストレートに流れている。
 ずいぶんと、雰囲気が変わったものだ……。
 けれども、黒髪の少女は、以前とはまた違った色気を、湛えているように見えた。やっぱり、わたしは、どんな髪になろうと、色気を保っていられるんだ……。千尋は、自嘲気味にそんなことを思った。
 鏡の中の亜希が、千尋のほうに顔を巡らした。
「どーう? 今の自分はぁ?」
 腐った小娘……。千尋が、自分の変わりようを見て、どれ程の精神的ダメージを受けているのかを、確認したいのだろう。
「べつに……」
 千尋は無愛想に言って、そっぽを向いた。むろん、ここに、お目付役の加納がいたとしたら、こんな態度は取れない。
 だが、その直後、鏡面の亜希の顔に、舌なめずりでもしそうな下品な笑みが浮かんだ。
「千尋ちゃん。ちょっと髪の毛、長いね……」
 その言葉は、千尋の脳裏に刺さった。千尋は、鏡越しにではなく、実物の亜希の横顔に、目を向けていた。

 数秒後、加納のスリッパの音が迫ってきた。隣に加納が立ち、鏡の枠の中で、千尋は、二人に挟まれる格好となった。
 うそ……。そんなのって……。
 千尋は、加納が手に持っているものを視認して、思わず顔を歪めていた。
 冷たい光を放つ銀色のハサミ。
「千尋……。何度同じことを言わせるの。お嬢さまの前では、もじもじと体を隠すんじゃないの」
 ついに加納は、千尋を名前で呼び捨てにし始めた。当然、そのことに強い不快感を感じたが、命令に従い、両手を太ももの横に添える。
 鏡面に映る、つんと突き出た乳首と、毛並みの乱れた陰毛。薄笑いを浮かべる二人の同性に挟まれて、全裸の少女が、呆然と立ち尽くしている光景は、ひどく現実味を欠いていた。
 しかし、今は、それどころではない。亜希の本意は、これから先にあるのだ。
 長身の加納が、事の始まりを告げるように、千尋の頭に手を置いた。
「千尋ちゃん。髪の色はよくなったんだけど、その髪の長さは、うちで働く身だしなみとしては失格かな……。だから、きっちり整えようね」
「待って、亜希ちゃん……。ちょっと待って、やめて……」
 頭頂部を押さえる加納の手の圧力がすごくて、亜希のほうに首が回らない。やむなく、鏡越しに視線で訴える。
 だが亜希は、千尋の視線に気づくと、嬉しさが込み上げたように、にんまりと笑った。そして、千尋の裸体に向き直り、肩の下まで真っ直ぐに流れている黒髪に、目を注いだ。
 信じられないぐらい亜希は非情だった。いや、悪意に満ちていたというほうが正確だろう。
 亜希は、加納に目配せすると、千尋の首筋を、手刀でとんとんと二度打った。ここまで短くしちゃって……。その意味に他ならない。
 千尋は、体温が急激に下がっていくような感覚を覚えた。亜希が手刀で示した位置は、目を剥くほどの高さだったのだ。
「えっ、ちょっとやめて。待って、やめて……」
 いくらなんでも、このまま黙って断髪されるわけにはいかない。千尋は、加納の腕力に逆らうように首を振った。
「亜希ちゃん。ねえ、お願いだから……」
 その瞬間、鼓膜のすぐそばで、割れんばかりの怒声が響いた。
「動くんじゃないよ! おまえのこの髪は、お嬢さまに見苦しいって言われてるんだから、切るしかないだろう。さあ……、もう切り始めるよ。正面を向きなっ!」
 じーんと耳鳴りが起こり、脳髄が痺れていた。全身の力が抜けていく感じがして、もはや、言葉を発する気力すらなくなる。
 千尋は、ただ鏡面を眺めているしかなかった。
 
 加納の持つ銀色のハサミが、後ろ髪に接近する。梳きバサミではなく、普通の形状のものだ。
 加納は、一片のためらいも見せず、髪の毛に対し垂直に刃を入れた。
 小気味よい音。千尋にとっては、体が硬直するようなその冷たい音と共に、そこから下の髪の毛が、瞬時に落下する。
 さっき、ドライヤーとブラシで、全体を真っ直ぐに伸ばしたのは、正確な長さを把握するためだったようだ。
 後ろ髪に、普通では、まず有り得ない段差ができてしまっている。加納は、その段差に合わせて、ハサミを真横に進めていった。ものの五秒ほどで、後ろ髪の長さは、うなじの中ほどの高さで、一直線に切り揃えられていた。
 髪の毛は、女の子のアイデンティティーである。それを切り崩されるのは、自分自身を失うのと同じことなのだ。今や、千尋の胸の内は、喪失感で一杯だった。
「サイドは、耳がちゃんと出るようにしてねっ」
 愉快そうな亜希の言葉が、さらに追い打ちをかけてくる。
「はい。横も、ばっさりと切ってしまいますので……」
 ハサミの刃が、千尋の側頭部に触れる。横髪を切り落とされる瞬間の、凍りつくようなショックは、後ろ髪の比ではなかった。
「えっ、う……そ……」
 鏡の中の光景が嘘のようで、千尋は思わず呟いていた。
 髪型もくそもない。ハサミを操る加納の頭には、耳に髪の毛が一本たりとも掛からないように短くする、という単純な一点しかないらしかった。
 千尋の両サイドの耳が、すっかり露出すると、亜希と加納は正面に回った。
「前髪は……。そうねえ、眉の上で切り揃えちゃって」
「かしこまりました」
 加納は、千尋の前髪を手で浮かすと、おまえには、お洒落をする必要なんてない、と言わんばかりの態度で、ハサミを入れていった。
 すべて終わると、二人は、自分たちの作り上げた彫刻でも点検するような表情で、千尋の髪型を眺めていた。
 こっちは、生身の人間、意思を持った、ひとりの人間だというのに……。
 亜希が、こんなものでいい、と加納に頷きかける。加納は、微笑して一礼し、軽やかな足取りで浴室から出ていった。

「どーおぅ? 千尋ちゃん。わたし的には、すがすがしくて真面目な感じがするから、その髪型、好感持てるんだけどねえ」
 亜希は、すました態度で、千尋のそばに歩み寄ってくる。
 前に立っていた二人が、そこをどいたので、千尋は、改めて鏡に映る自分の容姿を確認した。もはや、亜希の皮肉の言葉にも、何の感情も湧かないほどに打ちのめされる。
 眉毛の上で、真一文字に揃えられた前髪。横髪は、どう引っ張っても耳には掛かりそうもない。後ろ髪は、首筋から、わずかに覗くぐらいしか残されていなかった。それでも、トップのボリュームは減らされていないため、不格好なキノコ頭になっている。そのキノコの部分でさえ、加納がぞんざいに切ったせいで、左右のバランスも滅茶苦茶で、斜めに傾いていた。
 みすぼらしい、の一言である。
 鏡に映る黒髪の少女の顔からは、もう色気などという贅沢なものは、微塵も感じられなくなっていた。その情けない顔を、ただ悲しげに歪めているだけだった。
 今の自分は、輝いていた頃の自分とは、もう完全に切り離されている。千尋は、それを身に染みて感じるようになっていた。
 隣にいる亜希は、鏡の中に立つ二人の少女を、あからさまに見比べていた。そして、なにやら優越感に満ちた表情になり、派手な茶髪をいじったり、顔の角度を変えてみたりして、容姿に自信ありげな仕草を、見せ始めるのだった。






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